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1万5千年前、西欧の葬儀では死者が「食べられていた」...その証拠とは?

ニューズウィーク日本版 2023年10月13日 22時15分

<ロンドン自然史博物館人類進化研究センターの研究者たちは、なぜ食人の痕跡を葬儀と結び付けたのか。その風習はいかにして途絶えたのか>

後期旧石器時代にあたる1万5000年前の北西ヨーロッパでは、死者を食べることを葬儀の風習とする文化が広く定着していたようです。

人間が人間の肉を食べる習慣は、カニバリズム(cannibalism:食人俗、人の共食い)と呼ばれます。文化人類学における分類では、一時的な飢えによってやむを得ず人肉を食べたり、猟奇的な犯罪で被害者が食べられたりする場合はカニバリズムには含まず、社会的・制度的に認められた食人の慣習や風習のみを指しています。

ロンドン自然史博物館人類進化研究センターの研究チームは、ヨーロッパに点在する後期旧石器時代の遺跡を広範囲に調査しました。すると、マグダレニア人の遺跡でのみ、死者を儀式的に食べていた痕跡が見つかりました。これは、文化の一環として葬儀でカニバリズムが行われていた最古の証拠と言えます。研究成果は、学術誌「Quaternary Science Reviews」に10月4日付で掲載されました。

研究者たちは、なぜ食人の痕跡を葬儀の風習と判断したのでしょうか。マグダレニア人以外のヨーロッパ文化では、食人は行われなかったのでしょうか。詳細を見てみましょう。

人の頭骨にだけ精密な加工

後期旧石器時代は、およそ3万5000年前から1万年前までの時代を指します。現生人類であるホモ・サピエンスは、この時代に世界に拡散されたと考えられています。

当時の地球は最後の氷期で、約2万年前の最盛期には巨大な氷河が北米やヨーロッパ、アジアなど多くの地域の約半分を覆っていました。米アリゾナ大の研究チームが2021年に発表したシミュレーションによると、当時の世界平均気温は8℃と算出されています。

今回、ロンドン自然史博物館の研究チームを率いている古人類学者のシルビア・ベロ博士は、11年にイングランド南西部サマセット州チェダーにあるガフ洞窟(Gough's Cave)で、「人間の頭骨を加工して作られた杯」を発見したことでも知られています。

頭骨製のカップには鋭いものを当てて叩いて割ったような跡が見られたため、ベロ博士は水を飲むために意図的に作られたものと考えています。放射性炭素年代測定によると、3個見つかったヒトの頭骨製のカップはいずれも約1万4700年前のものでした。当時のイギリスはヨーロッパ本土と地続きだったので、ガフ洞窟で生活をしていたのは北西ヨーロッパで栄えていたマドレーヌ文化を持つマグダレニア人と考えられました。

さらに、ガフ洞窟では人骨とシカやウマなどの動物の骨が混ざった状態で発掘されましたが、頭骨に精密な加工がなされたのは人骨だけであったため、ベロ博士らは死体を処理する際に仲間が「儀式」を行っていた可能性があると考えました。

一方、頭骨以外の部分の骨には、人骨も動物の骨と同様に、肉を刃物で削ぎ取ったり歯で齧ったりしたときの傷や、骨を砕いて骨髄を取り出した形跡がありました。したがって、人間の死体が動物のように食べ物とされていた、つまりカニバリズムが強く示唆されました。さらに動物の骨があったことから、ガフ洞窟の住民は食料不足で人間を食べたのではなく「意味のある行動」として共食いしたことも暗示されました。

葬儀習慣としてのカニバリズムを示す最古の証拠

もっともこの研究では、カニバリズムはガフ洞窟にいた人々だけが行った特殊な行動だったのか、当時のヨーロッパに広く浸透している風習なのかは分かりませんでした。さらに、彼らは仲間を食べていたのか、それとも敵を食べていたのかについても謎が残りました。

今回「Quaternary Science Reviews」に発表された論文で、ベロ博士らは「死者を食べる行為は、後期旧石器時代のヨーロッパで共通の習慣であったのか」について調査しました。

約1万7000年前から約1万1000年前頃の北西ヨーロッパに広く分布していた「マドレーヌ文化」に関連すると考えられる遺跡で、人骨が発掘された59カ所を分析すると、現在のフランス、ドイツ、スペイン、ロシア、イギリス、ベルギー、ポーランド、チェコ共和国、ポルトガルにあたる地域の計25カ所で葬儀を執り行った痕跡が見られ、うち13カ所でカニバリズムが示唆されました。残りのうち10カ所では死者を食べずに埋葬または安置した跡があり、2カ所では埋葬とカニバリズムが混在した痕跡がありました。

ベロ博士らはカニバリズムの根拠として、ガフ洞窟で見られたような頭骨の加工や骨についた傷や歯型を用いました。とくに一部の頭骨には、装飾的なギザギザのカットが施されていたといいます。

博士は「死者の儀式的な操作が北西ヨーロッパ各地のマドレーヌ文化圏で頻繁に観察されることは、カニバリズムがマドレーヌ文化の中で食生活を補うためではなく、葬儀での死体処理の方法として広く普及していることを示唆している」と語っています。また、今回の研究は葬儀習慣としてのカニバリズムを示す最も古い証拠であるといいます。

研究チームは、さらに人骨の遺伝情報の詳細が入手できる8つの遺跡について、住民の遺伝子の分析を行いました。すると、すべてマドレーヌ文化の遺跡と見られていましたが、マドレーヌ文化を持つマグダレニア人に関連する「GoyetQ2」遺伝子を継承している住民から構成される遺跡と、同時期に主に南東ヨーロッパで繁栄したエピグラヴェット文化を持つエピグラヴェット人に関連する「Villabruna」遺伝子を継承している住民の遺跡が混在していることが分かりました。

しかも、カニバリズムによる葬儀の文化を持つ遺跡は、マグダレニア人の遺伝情報を持つ住民の遺跡に限定されることが分かりました。カニバリズムの象徴となっていた、装飾が施されたり肉を削がれた形跡があったりする遺骨もマグダレニア人のものだけであり、エピグラヴェット人のものは含まれていませんでした。

つまり、マグダレニア人は敵である他民族を殺して食べたのではなく、仲間を弔う方法として人肉を食べたり骨を加工したりしていたことが示唆されました。

謎多き先史時代のカニバリズム

一方、エピグラヴェット人が住んでいた遺跡は、いずれも後世に伝わる「通常の埋葬」が行われていました。北西ヨーロッパの葬儀がカニバリズムから埋葬に移行したことは、マグダレニア人が埋葬の文化を受け入れたのではなく、エピグラヴェット人が北西に移動してマグダレニア人に取って代わったことが原因と考えられるといいます。

研究チームは葬儀におけるカニバリズムについて、「食べられたほうと食べたほうの間に血縁関係があったのか」「自分たちのグループ以外の人間を食べていたのか」など、今後さらに深く分析していく予定です。

先史時代のカニバリズムについては動機や意図が分からない場合が多く、いまだに謎に包まれています。たとえば09年にスペイン北部のアタプエルカ遺跡で発掘された「最初のヨーロッパ人(ホモ・アンテセソール、約80万年前の旧人類)」の遺骨から示唆されるカニバリズムは、子供や若者が好まれて食べられていることから、儀式としてではなく敵対者が食人を目的として行ったとする説が提唱されています。

今回の研究で示唆された「葬儀で行われるカニバリズム」は、時代が下り、現生人類が仲間の死を哀悼するために「何かをしたい」と考えるようになった結果の行為かもしれません。一見、グロテスクで禁忌とも思える人の共食いにも、人類の進化の歴史が隠されているのかもしれませんね。



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