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欧米との協力関係の陰に潜む、インドのネット世論操作の実態とは?

ニューズウィーク日本版 2023年10月16日 17時0分

<インドはロシアや中国と肩を並べるネット世論操作大国だが、その活動は欧米にはあまり知られていない。国内外での操作とその影響について詳しく掘り下げ、インドのネット世論操作の実態を探る......>

誤解のないように最初に申しあげておくと、インドを独裁国家に分類したのは私ではなく、国際的な民主主義の指標として有名なV-Demである。同組織は統治形態を、自由民主主義(Liberal Democracy)、選挙民主主義(Electoral Democracy)、選挙独裁主義(Electoral Autocracy)、閉鎖独裁主義(Closed Autocracy)の4つに分類しており、インドは選挙独裁主義に分類されている。複数の政党が存在し、選挙が行われるものの公正ではなく、自由など人権に制限がある状態だ。なお、もうひとつの有名な民主主義指数では瑕疵のある民主主義に分類されている。

クアッド(QUAD:日米豪印戦略対話)など日本とのかかわりも少なくないインドだが、その実態はあまり日本では知られていない。特にV-Demで独裁主義に分類されるような部分は見えていない。実は日本以外の国でもあえて話題にしていないようだ。

カナダを前面に出して様子を見る欧米

先日はインドの諜報機関がカナダ在住のインド出身者を殺害したという疑いが持ち上がり、カナダとインドの間では緊張した状態が続いている。インド政府が関与していたという情報は、アメリカも事前に知っており、ファイブアイズでも共有されていた可能性が高い。そのわりにアメリカなどファイブアイズ各国の反応が薄いのは、とりあえずカナダを前面に出して様子をうかがっているのだと指摘する識者もいる。欧米にとってインドを仲間から外すことは対中国の関係上好ましくなく、そのための配慮なのだ。一方、インドは欧米、特にアメリカが対中国のために協力的であることを最大限利用しようとしている。インドの外交上の武器は米国をはじめとする西側諸国との良好な関係なのだ。

インドが民主主義から遠ざかるにつれ、バイデン大統領が民主主義を口にすることが減ってきている。昨年は公の場で、「民主主義と独裁主義(democracy and autocracy)」(だいたい「の戦い」などの言葉がつく)と口にしたのは13回(イベントの数としては11回)だが、今年はまだ5回(イベントの数としては4回)だけで過去2カ月は全く口にしていないことがFactba.se(大統領発言のデータベース)を検索してみるとわかる。独裁色を強めるインドを配慮してのことかもしれない。

世界をリードするネット世論操作先進国

ネット世論操作はロシアや中国が有名でそれに続くのがイランだが、インドは歴史的にもその規模でもそれらに劣ることはない。ただし、インドはこれらの国と違って欧米のパートナーと考えられているため、たとえインドの企業や組織が関係していても、インド政府に結びつけられることがない。

国内向けでは選挙戦におけるネット世論操作は熾烈で、こちらに関してはさまざまな資料でとりあげられている。以前、記事にしたこともある。インド政府の関係が確認されていないのは国外に向けてである。また、与党に対する批判への抑圧も行われている。ネット世論操作を請け負う民間企業の存在も確認されている。

国外向けでは2019年にMetaがインドの企業や個人に関連するページとアカウントを大量の削除した。その後、インドに由来するテイクダウンをMetaは行っていないように見えるが、なかったのではなくテイクダウンを行ってもインドに配慮して公開していなかったことがワシントンポストの記事で暴露された。Metaにとって中露はもともと大きなビジネスになっていない国だが、インドにはMeta傘下のWhatsAppは5億人以上の利用者がいる。それがMetaの対応の鈍さにつながっているのだ。同じことはツイッター(現X)でも起きていた。

自国の圧倒的な市場規模と法的措置などを背景に圧力をかけるのは中国が使っている手だが、中国が多くの欧米プラットフォームを自国から排除していたのに対して、インドは招き入れたうえでコントロールしている点が異なる。

また、NGOのEU DisinfoLabは2019年と2020年に大規模なネット世論操作を暴いた。2019年には65カ国以上で265の偽メディアが明らかにされ、2020年ではメディアは750、116カ国と大幅に増加した。単なる偽情報を流布するだけではなく、実在あるいはすでに死亡している著名人を参加者リストに加えたり、実際にこれらのメディアに寄稿しているEU議員も存在していた。EU DisinfoLabはこの作戦を「Indian Chronicle」と名付けた。

この活動は国連とEUをターゲットにしていた。国連に対しては、2005年8月国連人権委員会、その後国連人権理事会が発足するとそちらを軸足とし、少なくとも10の国連公認のNGOがインドの企業グループが新インド、反パキスタン、反中国活動を繰り広げている。国連の議場で発言したり、イベントを行ったりしていたのだ。

EUに対しては非公式グループを作り、EU議会内や外部で会見やイベントを実施した。また、EU Chronicleというメディアを作り、11人のEU議員から論説の寄稿を受けた。

こうした一連の活動をインド国内および世界に拡散したのはインドの通信社ANI(Asian News International)だった。ANIはまた、これらの偽メディアへのニュース提供もしていた。

注目すべきは、EU DisinfoLabの調査結果はメディアに取り上げられたものの、EUおよび各国の行政や司法の動きが鈍かったことだ。

おそらく中露でこれと同じことが露見すれば、国家由来として批判される可能性が高いが、インド政府の関与についてはきわめて慎重で確認できないという結論になっていた。そのため、さまざまなネット世論操作に関する研究ではインドの国外に対する活動はほとんど取り上げられず、統計にも記載されない。もちろん日本のメディアではほとんど取り上げられていない。

欧米各国の慣例にのっとって申しあげておくと、筆者はインド政府が関与していると言っているわけではない。そもそも欧米の専門家たちが結びつけられない、慎重に判断すべきと言っているのだ。ただ、インドを利するような活動を行っているインドの組織が多数あることは確認されている。もしこれが中露だったら、中露の政府関与を指摘する人は少なからずいただろうというだけの話だ。

さらに気になるのはIndian Chronicles以降、大規模な暴露がないことだ。Indian Chroniclesへの対応で欧米はインドに対して忖度するというシグナルを送ったので、インドがやめるはずはなく、より広範囲の活動を行っている可能性の方が高い。実際、欧米のメディア以外ではネットあるいはそれ以外の影響工作に関する記事が散見される。しかし、欧米以外のメディアの報道が欧米に届くことは稀だ。

欧米各国とSNSプラットフォームから忖度を受けて自由にネット世論操作や連動した工作活動を行えるメリットを生かして、インドは中露と並ぶネット世論操作大国でありながら実態を知られることがない。

インドの政権は右派過激主義

インドのもうひとつの重要かつ危険な特徴は政権与党が支持するHindutvaだ。Hindutvaは宗教的な側面が強調されることも多いが、実態としては右派過激主義(RWE)の特徴であるナショナリズム、人種差別主義、外国人嫌悪、反民主主義、強い国家、陰謀論、マイノリティへの攻撃を持つことが最近の研究「Identifying Themes of Right-Wing Extremism in Hindutva Discourse on Twitter」で明らかになっている。

当然だが、Hindutvaは欧米が提唱する民主主義的価値感とは相容れない。Hindutvaの母体であるRashtriya Swayamsevak Sangh (RSS)という準軍事組織は50万人以上のメンバーを抱え、6万近い支部を持つ。RSSは災害などの際には救援を行ったりするが、その一方でイスラム教や批判的な活動家、カースト下位の者などに対しては暴力やいやがらせを行う。インド首相のナレンドラ・モディおよび閣僚の多くもRSSのメンバーとなっている。

Hindutvaの主張はそれを信奉しない人間には容易に受け入れられないものも多い。たとえばヒンズー教で神聖とされる「牛」の扱いである。2014年にBJPが政権を握って以来、牛を保護する法律がいくつかの州で厳罰化され、牛の保護のための国家牛委員会(Rashtriya Kamdhenu Aayog、RKA)も設立された。Hindutvaを支持する団体は牛の保護を理由に他の宗教の信者やカースト下位の者への攻撃を強化した。

ある州は牛の保護と福祉のための委員会を作り、別の州は牛の保護を強化した法律を施行した。特にカルナータカ州では、牛の自警団が行った暴力行為は免罪されることになった。2021年にはBJPが牛肉や加工製品の販売、保管、輸送を全面的に禁止する法律を提案した。

インドには28の州があるが、そのうち20では牛を屠畜することが禁止されている。牛に関係した暴力事件の90%以上はこの20の州で起きており、罰則が厳しい州ほど起きやすくなっている。牛の屠畜あるいは取引が行われたという疑いに起因するリンチや殺人は多数発生している。またインドは世界有数の牛肉輸出国であり、規制の強化、厳罰化は多くの人々の収入に影響している。

強力な国内監視システム

こうした体制を支える仕組みが統合化されつつある監視と管理である。すでに一度記事にしているが、生体情報を含む国民の個人情報、金融を一括で管理するAadhaarが普及している。公的書類の電子化も進んでおり、生活に必要なものの多くはオンラインで可能になりつつある。

データ漏洩など信頼性に疑問のあるAadhaarだが、India Stackと呼ばれるAPIを公開したことでサードパーティの参入が進んでいる。India StackはAPI群であり、これをサードパーティが利用することで本人認証や決済、あるいは公的文書の管理を行うことができる。特に普及しているのは統合決済インターフェース(UPI)であり、UPIの利用した決済は短期間で件数ベースでもっとも利用される決済方法になった。

海外からはグーグルがAndroidのGooglePayでUPIを利用できるようにして多くの利用者を獲得し、ウォルマート系のPhonePeも多く利用されている。

社会のDX化が進んでいる一方、広範な個人情報が一元管理される可能性が拡大している。UPIは海外にシンガポール、タイ、UAE、日本に広がる動きを見せている。国境を越えた送金や決済が楽になる一方、インドに接続先の国の利用情報が流れる。

世界各国にインドからの移民が多数暮らしている

インドは世界各国に多数のディアスポラがいる。インドの政権与党であるBJPは海外支部Overseas Friends of the BJP (OFBJP)を世界各地に46持っており、選挙の際には選挙資金のおよそ50%が海外からの献金となっている。2018年にはディアスポラから800億ドル(約12兆円)がインドに送られるほどの規模となっている。

インド国内の差別と暴力は国外にも広がっている。世界各国にインドからの移民が多数暮らしているが、モディが首相になり、インド政権が右派過激主義のHindutvaになってから海外にもそれが波及した。海外で反政権などの活動が広がることを懸念したRSSはディアスポラの多い国での監視活動や脅迫などを行っている。ディアスポラの多いアメリカには200以上のRSSの支部がある。ディアスポラの間での亀裂も広がり、特にイスラム教徒への攻撃や、カースト上位の者から下位の者への攻撃が強まり、Hindutvaを批判するディアスポラに対しての脅迫行為も激しくなっている。

イギリスでは2022年にヒンドゥー教徒の集団がイスラム教徒やシーク教徒を襲撃する事件起きた、オーストラリアでも襲撃事件が起き、世界各国のインドのディアスポラの間で亀裂と暴力が広がっている。

中国とのバランス上、表に出にくいインドの実態

インドは中国やロシアとは違い、欧米の重要なパートナーとみなされている。多少の懸念をいだきながらも欧米は中国への対抗上、インドと手を組まざるを得ない。そして、「民主主義」を掲げている限り、インドが行っている差別や世論操作には表だった批判はできない。

欧米から与えられた免罪符を活用してインドは、ネット世論操作や差別を行い、世界に広がったディアスポラの活用を進める、実態が公にされることなく。特にネット世論操作に関しては、あれほど大規模でインドの組織が関与していることまでわかっていても、インド政府に関連づけられることはない。さらに欧米の関係機関の調査対象は中国、ロシア、イランに集中している。

インドの独裁化が進んだ場合、欧米が取る選択肢は大きく2つあるだろう。ひとつは、欧米が「民主主義」という看板を事実上反古にして(おそらく形式上は残す)、権威主義グループになる選択肢で可能性は高い。もうひとつは民主主義を捨てずにインドと距離を置く選択肢だ。後者の場合、欧米グループの衰退がさらに加速することになる。

日本は欧米ではないが、欧米のグループの一員であり、アメリカの選択に従うことになる。インドと距離を取る可能性がある以上、安易な接近は危険だ。アメリカは過去にも中国の民主化に期待し、結果として強力なライバルを育てることになったことがある。インドが同じようになる可能性は低くない。



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