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性犯罪から子どもを守る新制度「日本版DBS」の致命的な盲点

ニューズウィーク日本版 2023年10月17日 22時0分

<モデルとしたのはイギリスの制度。「DBS」とはそもそも何か。日本で実現するために必要になることとは>

最近、性犯罪から子どもを守るための手法として「日本版DBS」が注目されている。子どもと接する職業に就業させるにあたり、雇用者が被雇用者の性犯罪歴を確認する制度だ。こども家庭庁は今秋の臨時国会に法案を提出すると報じられていたが、加藤大臣は提出を断念することを表明した。来年の通常国会への提出を目指すという。

この日本版DBSに関心が寄せられ、議論が展開されるのは好ましい。ただし、そもそも論というか、原理原則が無視されているのがとても気になる。

 

日本版DBSがモデルとしたのはイギリスのDBS。その意味は、Disclosure(開示)とBarring(禁止)のService(サービス)のことだ。この言葉からも分かるように、雇用主に求職者の情報を開示すること、および不適格者の就業を禁止することが制度の内容である。

なぜ、こうした制度が成立したのか。それは「犯罪機会論」をイギリスが導入したからである。つまり、DBSは犯罪機会論を実践する一手法なのだ。

犯罪が起きる場所の3要素

犯罪学では、人に注目する立場を「犯罪原因論」、場所に注目する立場を「犯罪機会論」と呼んでいる。犯罪原因論が「なぜあの人が」というアプローチから、動機をなくす方法を探すのに対し、犯罪機会論は「なぜここで」というアプローチから、機会をなくす方法を探す。つまり、動機があっても、犯行のコストやリスクが高く、リターンが低ければ、犯罪は実行されないと考えるわけだ。

海外の防犯対策では、犯罪原因論は採用されていない。日本で当たり前に使われている「不審者」という言葉も、海外では使われていない。犯行の動機があるかどうかは見ただけでは分からないからだ。

防犯のグローバル・スタンダードである犯罪機会論。その中でも有名な理論の一つが、1979年に発表された、ラトガース大学のマーカス・フェルソンによる「日常活動理論」だ。それによると、犯罪は①犯罪の動機を抱えた人、②格好の犯行対象、③有能な守り手の不在という3つの要素が同時に重なる場所で発生するという。

この理論は、その後シンシナティ大学のジョン・エックによって、対策に応用しやすい「犯罪トライアングル」へと進化した(図1)。ここで内側の三角形は犯罪を発生させる要素を示し、①犯罪者、②被害者、③場所という3辺から成る。一方、外側の三角形は犯罪を抑止する要素を示し、①犯罪者の監督者(親や教師など)、②被害者の監視者(同僚や警察官など)、③場所の管理者(店主や地主など)で構成される。

図1 犯罪トライアングル 出典:『犯罪は予測できる』(新潮新書)

このうち、日本では、前述したように、「①犯罪者」に関心が集中している。もっとも最近は、「②被害者」にも関心が寄せられるようになったが、未だその程度は微弱だ。さらに「③場所」に至っては、まったくと言っていいほど、関心が払われていない。

事件が発生すると、犯罪者だけを責めて終わり、という風潮がずっと続いている。もちろん、犯罪者に責任があるのは当然だ。しかし、犯罪者を責めるだけでは、被害者は救済されない。「③場所」の責任を認めて、初めて被害者が金銭的補償を得る可能性が高まる。

 

「③場所」の責任とは、場所の所有者や管理者が、犯行の機会を可能な限り減らす義務のことだ。海外では、この義務を軽視して、犯罪の機会を放置している間に犯罪が発生した場合、被害者が損害賠償を求めるのが普通に行われている。

イギリスでは、こうした犯罪機会論の法制化さえ実現させた。1998年の「犯罪および秩序違反法」がそれだ。その17条は、地方自治体に対し、犯罪防止の必要性に配慮して施策を実施する義務を課している。自治体がこの義務に違反した場合には被害者から訴えられる、と内務省が警告している。そのため、建物・公園の設計からトイレ・道路の設計まで、犯罪機会論が幅広く実践されている。

日本では、犯罪機会論を知る人は少なく、その法律もない。そのため、子どもの防犯といえば、防犯ブザーや「大声で助けを呼べ」「走って逃げろ」といった護身術など、個人で防ぐ「マンツーマン・ディフェンス」だけだと思われている。しかしこれは、襲われたらどうするかという「クライシス・マネジメント」だ。

対照的に、犯罪機会論は、場所で守る「ゾーン・ディフェンス」なので、襲われないためにどうするかという「リスク・マネジメント」になる。

犯罪機会論では、犯罪が起きやすいのは「入りやすく見えにくい場所」であることが、すでに分かっている。したがって、ゾーン・ディフェンスは、場所を「入りにくい場所」と「見えやすい場所」にすることだ。前述した、場所の所有者・管理者が犯行機会を減らす義務とは、具体的には、場所を「入りにくくすること」と「見えやすくすること」なのである。

DBSは犯罪機会論の実効性を高めるシステム

さて、話をDBSに戻そう。

性犯罪から子どもを守る対策は、学校や保育所などを「入りにくく見えやすい場所」にすることに尽きる。その手法は、ハード面とソフト面に分けることが可能だ。このうち、ハード面の対策は防犯環境設計と呼ばれ、オランダには専門のコンサルティング会社もある。

一方、ソフト面の対策がDBSである。Disclosure(開示)は、学校や保育所などを「見えやすい場所」にすることで、Barring(禁止)は、学校や保育所などを「入りにくい場所」にすることだ。

繰り返すが、場所の所有者・管理者には、犯行機会を減らす義務がある。したがって、学校や保育所などの責任者も、学校や保育所などを「入りにくく見えやすい場所」にする必要がある。

しかし、そうは言っても、関連情報が乏しければ、責任者自身が、性犯罪を行う危険性が高い人を、学校や保育所などに入れたくなくても、気づかずに入れてしまうことも起きる。そうした情報環境をそのままにしておいて、入れてしまった責任を追及するのは酷である。

 

そこで、関連情報を十分に提供することで情報環境を「見えやすい場所」にするから、正しい判断をして、子どもたちを守ってほしいというのがDBSである。言い換えれば、犯罪機会論の実効性を高めるシステムがDBSなのだ。

日本版DBSの議論は、表面的でテクニカルな問題に終始し、根本的な犯罪機会論にまで議論がたどり着いていない。しかし、前述したように、犯罪機会論がDBSの前提なので、今のままでは「木を見て森を見ず」といった感は否めない。本当に子どもを性犯罪から守りたいのなら、まずは犯罪機会論の法制化が必要なのではあるまいか。



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