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オオカミが怖い欧州の政治家たち...2万匹にまで急増し「政治的」となった理由

ニューズウィーク日本版 2023年10月19日 13時0分

<危機に瀕していたオオカミが復活した途端、農家票目当てに保護策の緩和へ走るが......>

いまヨーロッパでオオカミを怖がっているのは誰だろう? 大半は農民だが、それ以外の人が少なくとも1人いる。ヨーロッパで最も大きな権力を持つ女性ともいえるウルズラ・フォンデアライエン欧州委員長だ。彼女はオオカミの脅威について警告を発し続けている。

長年にわたる保護の努力のおかげで、オオカミは復活を遂げた。ヨーロッパでのオオカミの生息数は、1992年にEUが制定した「ハビタット指令」の効果もあって、2万匹近くにまで急増している。ベルギーでは先頃、実に100年ぶりにオオカミが戻ってきた。

【動画】ベルギーにオオカミ...1世紀以上ぶりに目撃

ところが、今まで生息していなかった場所にオオカミが姿を見せ、家畜などに危害を加えるケースが増えている。これを受けて、スカンディナビアのフィンランド、スウェーデン、ノルウェーでは、一定数のオオカミを駆除する許可をハンターに与えた。フランス政府も9月下旬、オオカミを保護する規制をやや緩和する「国家オオカミ計画」を発表した。

欧州委員会は9月、保守政党の支持基盤である農民や牧畜業者などの圧力を受けて、オオカミの個体数を削減する施策を開始した。「ヨーロッパのいくつかの地域にオオカミの群れが集中しており、家畜にとって、あるいは人間にとっても危険な状況だ」と、フォンデアライエンは9月上旬に語っている。「地方当局や各国政府に、必要な措置を講じるよう求めたい」

オオカミの増加に対するEUの最近の動きは、2021年10月にオオカミがヨーロッパの生物多様性の「不可欠な一部」だと宣言したときとは、大きくトーンが変わっている。

フォンデアライエンはかつてドイツの国防相を務め、保守派のキリスト教民主同盟に所属する。彼女は昨年9月、ハノーファー近郊で飼っていた子馬のドリーをオオカミの襲撃で失った。このオオカミは他の動物も襲っており、駆除するよう行政命令が下った。

有権者の目をそらす目的?

それでも、政治家たちの怒りは収まらなかった。昨年11月、欧州議会はオオカミの保護策を弱める動議を可決。この動議は、議会内最大の保守政党グループで、フォンデアライエンも所属する欧州人民党(EPP)が主導した(拘束力はない)。

もちろん、誰もがオオカミを敵視しているわけではない。ドイツの自然保護NGO「ユーロナチュール」の上級政策担当ブルーナ・カンポスは、オオカミを脅威とみるのは誤りだと言う。

「ヨーロッパのオオカミは人間にとって何の脅威にもならない」と、彼女は語る。「家畜を襲うことはあるが、オオカミに襲われる危険性を減らす方法は既にいくつも知られている」。例えば防護柵の強化や、光や音でオオカミを寄せ付けないといった対策だ。

ドイツ・ブランデンブルク州で行われた家畜をオオカミから守る運動(2017年) PATRICK PLEUL-PICTURE ALLIANCE/GETTY IMAGES

しかしヨーロッパでは、農民に強い味方がいる。フォンデアライエンは9月中旬に欧州議会で行った一般教書演説でも、農業に関する「戦略的対話」の必要性を重要な柱にした。彼女は、農家が「来る日も来る日も食料を供給してくれる」ことに感謝を述べた。

来年6月には欧州議会選挙が行われる。農業関係者が神経をとがらせ、保守派陣営が極右の一層の台頭を警戒するなかで、いまオオカミの問題が注目を集めている裏に政治的な計算を感じ取る人も多い。

「ヨーロッパにはもっと大きな問題がある」と、ドイツ緑の党に所属する欧州議会議員ダニエル・フロイントは言う。「EPPは、極右政党などとの連携をますます強めていることから有権者の目をそらそうとしているのだろう」

オオカミの個体数を減らそうとする動きが突然活発になった背景に、フォンデアライエンの個人的な動機を感じ取る見方もある。9月のオランダ議会での討論で左派のレオニー・ベテリング議員は「自分の子馬がオオカミの犠牲になったので、復讐に走った」と、フォンデアライエンを非難した。

農民党が選挙で勝った意味

いずれにせよ、この問題は、農家がまさに「オオカミが来た!」と叫べば、EU幹部が耳を傾けることを示している。

EUを代表する農業補助金制度である共通農業政策(CAP)の総額は約3870億ユーロと、EUの総予算の3分の1を占める。EUからは600億ユーロ強の補助金が農家に交付されているが、農家は昨年の数字でEUのGDP全体の1.4%しか生産していない。

スウェーデンの環境保護活動家グレタ・トゥーンベリは、EUの農家保護に抗議を続けている。特に、ヨーロッパの農業がEUの温室効果ガス排出量の約10%を占めているにもかかわらず、50年までにヨーロッパでカーボンニュートラル(温室効果ガス排出の実質ゼロ)を達成する取り組みから除外されていることを批判している。

この点を変えるため、来年には農家にもほかの産業と同様に排出量削減の責任を負わせるという動きが起きたが、それがオランダ政治に地殻変動をもたらした。3月に行われた州議会選挙で、農家を代表する農民市民運動が第1党になったのだ。この結果はヨーロッパ中に衝撃を与え、中道右派政党が握っていた地盤を危うくしている。

自然森林研究所(本部ブリュッセル)のヨアヒム・メルゲイのみるところ、オオカミをめぐる議論はおなじみの「農村対都市」という対立軸に沿ったものだが、それ以上に保守派が恐れる「変化」の脅威を象徴している。オオカミに命を奪われる家畜は、落雷や病気で死ぬ数より少ないと、彼は指摘する。

「ここにオオカミが『政治的』だという理由がある」と、メルゲイは言う。「農民や猟師など農村部の人々は、自らの影響力が失われていると感じている。オオカミは、そんな彼らが欲求不満をぶつける象徴的な存在になった」

From Foreign Policy Magazine



イリア・グリドネフ(ジャーナリスト)

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