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なぜヒトだけが老いるのか? 生物学者が提言する「幸福な老後の迎え方」

ニューズウィーク日本版 2023年10月26日 7時47分

<AIの登場は「エイリアンの来襲」なのか? 「死なないAI」は、人類にどんな影響を及ぼすのかを考える>

私たちは命のたすきを次世代に委ねて「利他的に死ぬ」――。そんなメッセージが込められた『生物はなぜ死ぬのか』によって、死生観が変わった方もいるのではないでしょうか。著者であり、東京大学定量生命科学研究所教授・小林武彦先生は、生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすための研究をしています。新著『なぜヒトだけが老いるのか』で扱うテーマは、「老い」について。グーグル創業者のラリー・ペイジ氏やアマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏といった名だたる起業家たちが不老不死研究に投資をしています。

多くの人が健康に長生きしたいと願うなか、「老い」は生物の進化においてどんな意味をもつのでしょうか? 小林先生に老いとの向き合い方についてお聞きします。
※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です。

◇ ◇ ◇

「老い」には「死」と同じくらい意味がある

──『なぜヒトだけが老いるのか』を執筆された動機は何でしたか。

前著『生物はなぜ死ぬのか』では、生物は進化という変化と選択(死)をくり返すプログラムによってできたと書きました。変化により多様性ができ、その時々の環境に合ったものが生き残って、他は死んでいく。つまり、死ぬものだけが進化できたわけで、進化において死は重要な役割を果たしています。

私たちの生は、直系のご先祖さまだけでなくさまざまな生き物の死の上に成り立つもの。一個人としては、死は人生の終わりですが、長い生命の歴史においては、死は進化の原動力であり誕生の源なのです。

読者の反響には、死を肯定的に捉えられるようになってよかったという声もありました。一方で、「老いたら死ぬだけなのか」とネガティブに受け止めている方もいました。ですが、老いにも死と同じくらい良い意味があります。こうしたことをお伝えし、幸福に老年期を過ごす方法について生物学的な視点から提案したいと思い、『なぜヒトだけが老いるのか』を書くに至りました。

『なぜヒトだけが老いるのか』
 著者:小林武彦
 出版社:講談社
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社会における「シニア」の価値とは?

──ご著書を通じて、「長い老後があるのはヒトだけ」と知って驚きました。

野生の動物には老いはありません。ぴんぴんころりです。これに対し、飼育されている犬や猫には老いがあります。ただ、野生の動物と違い、あまり運動していなかったりして、死にきれなくなっているというのが正しい。つまり消極的に老いているんです。でもヒトは、老いがあったからこそ今の人類のように進化できた、つまり「積極的に老いている」のです。これが飼育された動物とヒトとの決定的な違いです。

──積極的な老いですか。ヒトだけが長い老後をもつのはなぜでしょうか?

ヒトが集団生活をするうえで、経験、スキル、集団を束ねる力に長けた年長者、つまり「シニア」のいる集団のほうが、進化の観点で有利だったからです。シニア=高齢者とは限りませんが、集団の中で知識や技術を持ち、物事を広く深くバランスよく見られる人を「シニア」と呼びます。いわゆる「徳のある人」ですね。

若い頃は「人より上に立ちたい」「好きな人と結婚したい」などと、欲望を追求して生きればよかった。これはもちろん自然のことで正解です。若者は向こう見ずにいろんなことに挑戦できます。ところが、全員がそうした振る舞いをしていると、社会としては収拾がつきません。若い人たちの自由度を支える社会基盤が必要になります。そしてその支える役割を果たしてきたのがシニアなんです。

私は社会の理想を2層構造でとらえています。1つは個人の力を発揮する「クリエイティブ層」。もう1つは、彼らに知識や技術、文化を継承し、集団のバランスを保つ「ベース層」です。この2つの層があるから、各世代が力を発揮できる。実際のところ、シニアがベースを担ってきたおかげで集団が安定し、選択により寿命が延び、文明も飛躍的に発展しました。

ベース層に切り替わるうえでのポイントが「老い」なんです。年を重ねると、身体に変化が起きて、以前ならできていたことが難しくなります。また、子どもができたり、職場で部下や後輩ができたりして教える機会が増える人もいるでしょう。すると、自身のクリエイティブとベースの割合が少しずつ変わってくるし、自分が色々な人に支えられてきたことを実感するんです。利己的・競争的だったライフスタイルも変わり、他者や集団全体の利益にも思いを馳せるようになります。この視点に立つと、「よいシニア」とは、利己から利他へ、私欲から公共の利益へと価値観をシフトさせていく存在といえるかもしれません。

──シニアが幸せに生きていくために、社会はどんな後押しをするといいのでしょうか?

老後を迎えた人がシニアとしての役割を果たせていれば全く問題ありません。ただ、高齢社会が進む日本では、いまや5人に1人が70歳以上。多くの職場では定年制があるため、シニアが実力を発揮する機会が減っているのが問題だと考えています。再雇用されても、個人の意思とは関係なく、仕事内容や役割が変わってしまう場合もあります。

高度経済成長期には、若手に就労の機会を与えるために定年制が有効だった面があったかもしれません。ですが、縮小傾向が進む現在は、定年制は労働者不足を加速するだけでメリットがないように思います。経験やスキルを活かして働く人材は会社にとって貴重ですし、本人が働きたいのならそのまま働ける方が自然ですよね。

逆に、定年制があることで、「定年まで同じ会社で勤め上げよう」という発想になってしまう。定年がなければ、違う職業についたり、新しい会社を立ち上げたりするという発想も生まれやすい。年齢の縛りなく人材の流動性が高まれば、適材適所が進んで生産性も上がる。個人も自分なりのライフプランが立てられて、より幸せに生きられるでしょう。シニアが本来の価値を発揮するためには、社会の側も変わっていく必要があると思います。

幸せな老後のカギは「共感力」にある

──老年期に差しかかり、身体的にできないことが増えてショックを受け、不安を感じている方は、老後とどう向き合うとよいでしょうか。

人間は社会性の生き物なので、他者とのつながりのなかで暮らすほうが幸せを感じやすいものです。ヒトは集団生活で協力し合い、共感力を高めてきました。1人で美味しいものを食べるよりも、誰かと「美味しいね」と共有しながら食べるほうが、より美味しく感じられませんか。

また、何かしら仕事をしているほうが、やりがいを感じやすい。趣味のコミュニティに所属するのもいいでしょう。自分の好きなことと、さらには人のためになることを続けて、共感する機会を大事にすることをおすすめします。

アンチエイジングの最前線 「老化細胞」を取り除けるか

──小林先生は健康寿命を延ばすための研究をされています。健康寿命を延ばしたい方向けに、良い兆しとなる研究結果があれば教えてください。

老化の大きな原因の1つは、遺伝情報が書き込まれているDNAが傷ついて変異し、少しずつ壊れていくからだとわかってきました。大切な遺伝子に変異が起きると、がんや認知症の確率が上がってくるんですよ。現に70歳を超えると半分近くの人ががんを経験します。

皮膚のDNAを傷つける要因として紫外線があります。紫外線は日光に含まれているので、日に当たりやすい顔や手の甲は老化しやすい。反対に、背中や内臓は若い人もお年を召した人もあまり変わりません。寿命が延びると、その分DNAの傷が溜まるため、がんになる可能性も高まりますが、もしDNAの傷つく度合いをコントロールしたり、傷を治りやすくしたりする方法が見つかれば、健康寿命を延ばせるのではないかと日々研究中です。

1つ期待されているのが、老化細胞除去技術です。実は赤ちゃんも老化細胞をもっているのですが、うまく取り除いてくれる仕組みがあります。一方、年を取ってくると老化細胞が溜まっていき、悪さをする。そこで老化細胞を取り除こうとしています。マウスの実験はかなりうまくいっていて、老化細胞を取り除くとマウスが若返ったようになるんですね。これと同じことが、遠くない未来、ヒトでも可能になるかもしれません。

いずれにせよ、期待できるのは、がんになりにくくしたり健康寿命を延ばしたりする効果であって、寿命そのものが延びるわけではありません。人間の寿命は120歳くらいが限界といわれています。

「死なないAI」は、人類にどんな影響を及ぼすのか?

──昨今、ChatGPTのような対話型AIが爆発的に普及し、AIとの共存について考える機会が増えました。AIは人類の進化にどんな影響を及ぼすのでしょうか。

まず、今後のテクノロジーの潮流は主に3つあると思っています。1つは不老不死の研究。2つめはAIの研究。そして3つめは宇宙空間の探検です。ここ最近はAIの分野が目覚ましい発展を遂げています。これは「AIに思考させて賢くなりたい」という欲望の現れといえるでしょう。人間は生物なので簡単には進化できませんが、コンピュータなら一気に進化できますから。

私たちはAIが時に間違う場面も見ているので、AIが万能ではないとわかっています。だから、あくまで人が主体でAIはそれに従属するツールだと思える。ところが、次の世代の人たちは生まれたときから、親や先生よりも物知りでパフォーマンスの高いAIとつき合っていくわけです。すると、AIに考えてもらうほうがラクに正解にたどり着けるからと、AIに主導権をわたしてしまうのではないか――。生物の機能は使わないとどんどん退化するので、ヒトが思考しなくなるのは問題です。

AIの登場は、人間の理解を超えた「エイリアン」の来襲といえるかもしれません。もしもAIの存続を優先するようなプログラムがなされたら、私たちはAIのメンテナンスをするためだけの存在になる可能性があります。それを防ぐためにも、私たちは自身で考えることをやめずに、人間の存在や幸せとは何か、どんなことに時間を使うかをこれまで以上に考えなくてはいけないでしょう。死なないAIが登場することで、命が有限である私たち人間の存在とは何なのか、AIの登場前には思い至らなかった問いと向き合うようになったといえます。

分子生物学の研究へ進むきっかけをくれた一冊

──小林先生の人生観や研究に大きな影響を与えた本はありますか。

分子生物学の研究者をめざすようになった一番のきっかけになったのは、高校時代に読んだ『人間の終焉』という本です。著者は、戦後のDNA研究をリードしてきた渡辺格さん。生命現象の仕組みを分子レベルで解明する分子生物学の草分け的存在です。

1980年頃、ヒトが遺伝子にコードされているタンパク質によってつくられていることがわかり、DNAを全部読み解くと人間の設計図がわかるといわれていました。そうすれば人間とは何か、私たちのアイデンティティを生み出すものは何なのかも解明できるかもしれないと、非常に衝撃を受けました。ヒト同士の遺伝情報は0.1%くらいしか違わないのに、それだけで見た目も性格もこんなに違うわけでしょう? その0.1%がわかるのはすごく面白そうだし、早く研究しないといけないのでは、と切迫感に駆られたほどでした。

2003年にヒトゲノムプロジェクトで遺伝情報の解読が完了し、結局のところ設計図はわからなかった。ですが、『人間の終焉』は、分子生物学の研究へ進むきっかけをくれた大事な一冊です。

──最後に、小林先生の今後のビジョンをお聞かせください。

生物学の研究によって、人間の幸福につながるような新しい発見をすることです。DNAの傷を減らすことで健康寿命を延ばせるようにする研究に力を注ぎこみたいですね。シニアは社会のなかで重要な存在なので、元気でしっかり活躍できるようになればいいなと思います。人類全体の生産性や文化の継承、国際親善などを進めて、みなさんがやりがいを持って生きられるような平和な社会をつくっていかないといけません。研究者としては、健康の維持という面で、そのお手伝いができればいいなと思っています。

『生物はなぜ死ぬのか』
 著者:小林武彦
 出版社:講談社
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小林武彦(こばやし たけひこ)

1963年生まれ。神奈川県出身。九州大学大学院修了(理学博士)、基礎生物学研究所、米国ロシュ分子生物学研究所、米国国立衛生研究所、国立遺伝学研究所を経て、東京大学定量生命科学研究所教授(生命動態研究センター ゲノム再生研究分野)。日本遺伝学会会長、生物科学学会連合の代表を歴任。日本学術会議会員。生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む。地元の伊豆、箱根、富士山をこよなく愛する。著書に『寿命はなぜ決まっているのか』(岩波ジュニア新書)、『DNAの98%は謎』(講談社ブルーバックス)、『生物はなぜ死ぬのか』(講談社現代新書)など。

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flier編集部

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