Infoseek 楽天

中東危機:シリアの沈黙、隠された動機と戦略

ニューズウィーク日本版 2023年10月20日 18時25分

<中東の緊迫した政治情勢の中で、シリアの役割と立場はしばしば見過ごされがちだ。パレスチナのハマースによる「アクサーの大洪水」作戦とイスラエル軍の反応、隣国との関係が焦点を浴びる一方で、シリアはどのような立場を取っているのか......。シリアの動静と、パレスチナ・イスラエル情勢における影響を探る>

パレスチナのハマースによる「アクサーの大洪水」作戦が10月7日に開始され、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃が激しさを増すなか、隣国レバノンのヒズブッラーとの参戦やイランの干渉の可能性が取りざたされるようになっている。だが、イスラエルと国境を接し、同国と今も戦争状態にあるシリアの動静が、緊迫するパレスチナ・イスラエル情勢のなかで言及されることはほとんどない。シリアは考慮に値しない存在になってしまったのだろうか?

シリアの失われた失地としてのパレスチナ

「アクサーの大洪水」作戦に伴う中東情勢の悪化にシリアがどのような意味をもっているのかを考えるために、まずはシリアとパレスチナの関係を見ることから始めてみたい。

シリアとパレスチナの関係、あるいはシリアにとってのパレスチナを考えるうえで、「シリア」という言葉には少なくとも二つの意味があることに留意する必要がある。第1は、今日のシリア、すなわちシリア・アラブ共和国を意味し、第2は、近代以前にシリアと呼ばれていた領域、すなわち「歴史的シリア」、あるいは「大シリア」という意味である。第2の意味におけるシリアには、今日のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナ・イスラエル、トルコ南部などが含まれる。

多くのシリア人(シリア・アラブ共和国の国民)の心情、ないしはメンタルマップは、「歴史的シリアの拡がり少なからず影を落としており、そこにおいて、パレスチナは「失われたシリアの失地(の一つ)」と捉えられている。こうした感情は、歴史的シリアに含まれているそれ以外の国々だけでなく、アラビア語を母語とするそれ以外のアラブ諸国においても、「分断されたアラブの祖国の失地(の一つ)」といった共有されている。

今回のイスラエル軍によるガザ地区への攻撃に対して、アラブ諸国のいたるところで、その国の政治的立場や、パレスチナやイスラエルとの関係の違いを越えて、抗議デモが発生しているのは、「アラブの大義」、「パレスチナの大義」などと呼ばれるこうした信念と無関係ではない。

戦争状態にあるシリアとイスラエル

これに対して、シリアとイスラエルの関係は終始対立によって彩られてきた。両国は、イスラエルが建国宣言した1947年以来、現在もなお戦争状態にある。

1967年に勃発した第三次中東戦争によって、シリアはゴラン高原を占領された。この戦争では、エジプトがシナイ半島およびガザ地区、ヨルダンが東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区、レバノンがシャブアー農場をイスラエル領に占領された。だが、これらの被占領地のなかで、ゴラン高原だけが1981年にイスラエルに併合された。国際社会はこの併合に長らく異議を唱えているが、米国は2019年、ゴラン高原に対するイスラエルの主権を承認している。

1991年のマドリード中東国際会議の開催をもって開始された中東和平交渉においては、「土地と平和の交換」の原則のもと、パレスチナ解放機構(PLO)とヨルダンがイスラエルとの和平に応じた。また、これに先立って、1979年にエジプトもイスラエルと和平条約を交わした。だが、シリア(そして当時、シリアの実質的な属国だったレバノン)は、すべての占領地からのイスラエルの即時完全撤退を求めて、イスラエルとの和平に応じることはなかった。こうした姿勢ゆえに、シリアは「アラブ人の敵意と拒否の姿勢をもっとも強固かつ深刻なかたちで体現する存在」と目された。

シリアとパレスチナ難民

イスラエル建国に伴う第一次中東戦争、イスラエルがガザ地区とヨルダン川西岸地区を手中に収めた第三次中東戦争によって、多くのパレスチナ人が家を追われ、周辺諸国に難民として逃れることを余儀なくされた。シリアは、ヨルダン、レバノンとともに、こうしたパレスチナ人の受入国となった。

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)によると、現在シリアには同機関が管理するパレスチナ難民キャンプが9つあり、そこに57万人以上が登録している。シリアにはこのほかにも、首都ダマスカス南部のヤルムーク地区(ヤルムーク・キャンプ)など、UNRWAの管理下になりパレスチナ人の集住地区(キャンプ)が6ヵ所あり、シリアに「アラブの春」が波及した2011年時点で、65万人あまりのパレスチナ人が暮らしているとされた。

しかし、「アラブの春」に伴って発生したシリア内戦によって、多くのパレスチナ人が戦火に巻き込まれ、その数は減少したとされている。UNRWAの推計によると、2011年以降、パレスチナ人12万人が隣国のレバノンやヨルダンなどに逃れた。また、シリアにとどまったパレスチナ人もそのほとんどが、少なくとも1度は国内での避難を余儀なくされたとされている。

なお、周知の通り、シリアは現在、シリア政府、「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放機構)が主導する反体制派、トルコが「分離主義テロリスト」とみなすクルド民族主義組織の民主統一党(PYD)の支配地によって分断されるとともに、トルコが北部、米主導の有志連合が南東部を占領、各地にロシア軍、「イランの民兵」(後述)、トルコ軍、友進連合が駐留する状況下にある。

2023年10月現在のシリアの勢力図

こうしたなか、シリア政府の支配下にない地域、具体的にはヌスラ戦線の支配地とトルコの占領地には、1,635世帯のパレスチナ人が居住しているとされる。彼らは、ヤルムーク・キャンプ、アレッポ市郊外のハンダラート・キャンプなどから逃れてきた国内避難民(IDPs)で、ヌスラ戦線支配下のイドリブ県(カッリー町近郊のIDPsキャンプ、アティマ村、アクラバート村、ダイル・バッルート村、イドリブ市、サルマダー市)、トルコ占領下のアレッポ県のアアザーズ市、アフリーン市、ジャンディールス町などに居住している。

抵抗枢軸の盟友だったシリアとハマース

今回のイスラエルによるガザ地区への激しい攻撃のきっかけを作ったハマースとシリアの関係に目を向けると、両者は長らく抵抗枢軸として対イスラエル抵抗闘争において共闘を続けてきた。抵抗枢軸とは、ハマースなどの在シリア・パレスチナ諸派、レバノンのヒズブッラー、シリア、そしてイランからなる陣営の自称である。そのなかにあって、ハマースは、最高意思決定機関である政治局はダマスカス県南部のヤルムーク・キャンプに構え、シリアの支援のもとにイスラエルに対する武装闘争を続けてきた。

対イスラエル抵抗闘争、とりわけ武力を伴う戦争や紛争において、シリアはこれまでたびたび戦略の変更を余儀なくされてきた。イスラエルが建国を宣言した1947年から、キャンプ・デービッド合意をもってエジプトとイスラエルが和平交渉をスタートする1978年までの時期において、エジプトとシリアによる二正面作戦が基本戦略だった。エジプトがイスラエルとの紛争から離脱すると、シリアはソビエト連邦の支援のもと、単独でイスラエルに対峙することを前提とした戦略的均衡と呼ばれる戦略へとシフトした。

1989年の東西冷戦終結と1991年のソビエト連邦の崩壊で、戦略的均衡の継続が不可能となったシリアが採用した戦略が、抵抗枢軸としてイスラエルに対峙することだった。これは、軍事的に優位に立つイスラエルと直接戦火を交えることを避けつつ、ヒズブッラー、ハマースといった非国家主体に武装闘争をアウトソーシングする一方で、イランとともにこれらの組織に物的支援、外交面でのサポートを行うことを特徴としていた。これにより、シリアは、ヒズブッラーやハマースの代弁者として存在感を増すとともに、抵抗枢軸は2006年にヒズブッラーとイスラエルとの間で勃発したレバノン紛争においてイスラエルに対して善戦し、同国にとっての物理的(軍事的)な脅威となった。

「アラブの春」という転機

イスラエルに対する劣勢を克服するかに見えたシリアとハマース、そして抵抗枢軸だったが、転機が訪れた。2010年代前半にアラブ世界を席巻した「アラブの春」である。

2011年3月に「アラブの春」がシリアに波及し、各地で散発的な抗議デモが発生すると、政府はこれを過剰に弾圧、これが反体制派の武装化と暴力の応酬を誘発し、シリア内戦と呼ばれることになる混乱をもたらした。この混乱は、とりわけ欧米諸国や日本においては、自由と尊厳を求め、独裁体制の打倒をめざす民衆の革命運動として捉えられ、抗議デモや反体制派を弾圧するシリア政府は内外で激しい非難を浴びた。

ヨルダン川西岸地区やガザ地区で暮らすパレスチナ人も例外ではなく、多くがシリア政府に批判的な姿勢をとった。こうしたなか、ハマースはパレスチナの世論に配慮するかたちで、長年共闘関係にあったシリア政府と絶縁し、政治局をシリアから撤収した。

ハマースの方針転換は、そのほかの在シリア・パレスチナ諸派――パレスチナ人民解放戦線総司令部は(PFLP-GC)、ファタハ・インティファーダ、パレスチナ人民闘争戦線(PPSF)、サーイカ、パレスチナ解放軍(PLOの軍事部門)、イスラーム聖戦機構――がシリア政府を支援し、反体制派との武装闘争に身を投じて行ったのとは対象的だった。また、シリア国内のパレスチナ人のなかには、ハンダラート・キャンプのパレスチナ人が中心となってクドス旅団を名乗る民兵組織を結成・参加する者も多く現れたが、ハマースの決断はこうした動きとは真逆だった。

ハマースの幹部の1人だったサラーフ・アブー・サラーフは2012年半ば、民兵組織アクナーフ・バイト・マクディス大隊を結成、シリア軍に半旗を翻し、ヌスラ戦線が主導する反体制派と共闘し、ヤルムーク・キャンプを支配下に置いたのである。

しかし、こうした姿勢は長くは続かなかった。2015年半ば、イスラーム国が首都ダマスカス南部一帯などで勢力を伸長すると、アクナーフ・バイト・マクディス大隊はシリア軍と共闘するようになった。その結果、2018年4月にはヌスラ戦線を主体とする反体制派、イスラーム国を首都ダマスカス南部から完全に放逐、同地はシリア政府の支配下に復帰した。

ハマースとの和解の兆し

2020年3月のイドリブ県でのシリア軍、ロシア軍とトルコ軍、ヌスラ戦線が主導する反体制派との大規模交戦をもって、シリアでの主要な戦闘が集結し、シリア政府の存続が既定路線となるなか、ハマースとシリア政府の間でも徐々に和解の兆しが見えるようになった。

ロイター通信が2022年6月21日によると、ハマースは高級レベルでの会合を水面下で重ねた結果、シリア政府との関係を修復することを決定したのである。また、同年10月23日には、ハーズィム・カースィム報道官が声明で、シリア政府との関係を発展させていくと表明した。この動きは、抵抗枢軸を構成するヒズブッラーのハサン・ナスルッラー書記長2022年7月25日、「ハマースとシリア政府の関係正常化に私は個人的に関心がある」と歓迎された。

和解に向けた動きが始動するなか、ハマースはシリア政府に対して善意を示すようになった。2022年9月15日、ハマースはイスラエルによるシリアへの度重なる爆撃・ミサイル攻撃、とりわけダマスカス国際空港などの民生施設への攻撃を非難する声明を出した。2023年2月6日にトルコ・シリア大地震が発生すると、ハマースのイスマーイール・ハニーヤ政治局長はバッシャール・アサド大統領に電報を送り、犠牲者に弔意を示した。

2023年5月19日、サウジアラビアのジェッダで開催された第32回アラブ連盟首脳会議にアサド大統領が出席、2011年以来12年にわたって続いていたシリアの加盟資格停止処分が解除された。これに先立って5月7日にエジプトの首都カイロで開催されたアラブ連盟緊急外務大臣会合において、シリアの連盟復帰が決議された際、ハマースのカースィム報道官は歓迎すると示した。2023年8月14日にはムーサー・アブー・マルズーク国際関係局長がダマスカスに事務所を再開し、常駐代表を派遣する予定と述べた。

しかし、シリア政府は、ハマースのアプローチに応えようとはしなかった。アサド大統領は2023年8月9日のスカイ・ニュース・アラビア語放送とのインタビューで次のように述べ、関係修復の意思はないと断じたのだ。

ハマース指導部のなかには、シリアが(「アラブの春」波及当初)彼らに支援を求めてきたと言う者もいる。しかし、彼らがどのように我々を支援し、シリアという国家を防衛するというのだ。彼らは軍隊を持たず、シリアに数十人しかいないのに。こうした言葉は正しくないのだ。我々がたびたび発表してきた姿勢は不誠実だとされた。だが、それは我々がハマースを支援していたからではなく、彼らが当時、自分たちをレジスタンスだと主張していたからだ...。どうすれば、レジスタンスを自認する者が...、米国やトルコによる占領、イスラエルの侵略を支援できるというのか。

ハマースのこうした姿勢は裏切りと偽善が入り混じったものだ。一方、今日の(ハマースとの)関係は一般原則の範囲内での関係だ。我々は自ら権利を取り戻すため、イスラエルに敵対するすべてのパレスチナの当事者を支持する、これが一般原則だ。

(ハマースとの関係を回復させる可能性は)今のところない。彼らはシリア国内に事務所を持っていない。そうしたことを話すのは時期尚早だ。我々には優先順位があり、シリア国内での戦いが今のところ我々にとっての優先事項だ。

シリア政府の消極的な姿勢は、ハマースがシリア北部を占領するトルコ、そしてトルコと親密な関係にあるカタールから良好な関係を築き、支援を教授していることが背景だった。あるいは、占領に対する闘争における優先順位は、トルコ、有志連合によるシリア北部と南東部への占領への対応にあり、それに対してハマースの積極的に支持の姿勢を示すことを求めているとも解釈できよう。

いずれにせよ、シリア政府とハマースの和解、あるいは抵抗枢軸の再生がいまだ途上にあるなかで、ハマースは「アクサーの大洪水」作戦に踏み切ったと言えるのである。

戦略的パートナーだったイスラエルと反体制派

首都ダマスカス南部での抗争において、ハマースの系譜を汲むアクナーフ・ビント・マクディス大隊が、ヌスラ戦線を主体とする反体制派と共闘したことはすでに述べた通りだが、その反体制派は、占領下ゴラン高原に近いクナイトラ県、ダルアー県、ダマスカス郊外県南西部においては、2018年半ばに同地がシリア政府の支配下に復帰するまでは、ハマースと敵対するイスラエルの支援を受けていた。

シリア南部で負傷した反体制派の戦闘員の一部は、イスラエル領内へと搬送され、そこで治療を受けることができた。また、イスラエル領内からの武器、兵站支援なども行われていたとされる。2018年7月、反体制派がシリア南部で追い詰められ、シリア軍の包囲を受けた際、ホワイト・ヘルメットのメンバーとその家族約400人を救出する作戦を実行したのもイスラエルだった。シリア南部でのその後ほどなくして、戦闘継続を望む反体制派のメンバーが、シリア政府によって用意された大型バスでイドリブ県へ移送されることで決着したが、移送されたメンバーのなかにヌスラ戦線のメンバーは含まれていなかったとされる。

飛び火する「アクサーの大洪水」作戦の戦火

10月7日にハマースが「アクサーの大洪水」作戦を開始すると、その戦火は、レバノン南部(イスラエル北部)、そしてシリアにも飛び火した。

シリアでは、以下四つの軍事的衝突が発生している。

第1は、占領下ゴラン高原と政府支配地での散発的な砲撃戦である。砲撃戦はヒズブッラーとともにシリア国内で活動しているとされる諸派とイスラエル軍の間で10月10日と14日に行われた。

第2は、ダマスカス国際空港とアレッポ国際空港に対するミサイルでの爆撃である。爆撃は10月12日に両国際空港、14日にアレッポ空港に対して行われ、これによって両空港は19日まで利用不能となった。イスラエル側の主張によると、爆撃は占領下ゴラン高原に対する砲撃への報復だと言うが、「イランの民兵」への物資輸送の阻止が目的と見られる。

第3は、イラクとの国境に近いダイル・ザウル県ブーカマール市一帯への所属不明の無人航空機(ドローン)による「イランの民兵」の陣地や車輌を狙った爆撃である。爆撃は10月10日未明と17日に行われた。

第4は、首都ダマスカス上空へのイスラエル軍のドローンの飛来とシリア軍による迎撃である。ドローンの飛来は10月16日に確認された。

イスラエルがシリアに対して爆撃をはじめとする侵犯行為を行うのは、今年に入って31回目、ないしは37回目となる。侵犯行為の回数を特定できないのは、攻撃主体を特定できない侵犯行為が6件あるためである。「アクサー大洪水」が開始されて以降、イスラエルがシリアに対して行った侵犯行為は、10月19日の段階で4回、ないしは7回である。

イスラエル軍による攻撃は概ね「イランの民兵」を狙ったものだと言えるが、ここで言う「イランの民兵」とは、紛争下のシリアで、シリア軍やロシア軍と共闘する民兵の蔑称で、イラン・イスラーム革命防衛隊、その精鋭部隊であるゴドス軍団、同部隊が支援するレバノンのヒズブッラー、イラクの人民動員隊、アフガン人民兵組織のファーティミーユーン旅団、パキスタン人民兵組織のザイナビーユーン旅団などを指す。「シーア派民兵」と呼ばれることもあるが、これも蔑称でシリア政府側は「同盟部隊」と呼んできた。

「イランの民兵」は、シリア内戦において、シリア軍、ロシア軍と共闘し、反体制派やイスラーム国との戦いに参加することで、勢力を拡大した。だが、これを構成する組織に目を向けると、ゴドス軍団であれ、ヒズブッラーであれ、いずれも対イスラエル武装闘争の急先鋒であり、抵抗枢軸の主力をなしてもいる。抵抗枢軸は、シリア内戦を通じて「イランの民兵」の名で強大化することで、イスラエルにとってこれまで以上に好ましくない存在となっていたのである。

シリア政府はどう関与できるのか?

「アクサーの大洪水」作戦開始に伴うガザ地区での戦火がシリアに飛び火するなか、シリアが緊迫するパレスチナ・イスラエル情勢からどのような影響を受けるのか、あるいはシリアがどのように関与するのかは大いに気になるところである。

だが、この問いに答えるには、シリアを分断する当事者、とりわけシリア政府と反体制派の思惑や課題を見る必要がある。

シリア政府が現下のハマースとイスラエルの武力衝突に関与するうえでのカギとなるのは、ハマースとの和解の有無だろう。シリア政府とハマースとの和解に踏み切ることは、抵抗枢軸が「アラブの春」以前の状態を取り戻すだけでなく、「イランの民兵」にハマースが加わることを意味するからだ。イスラエルにとって、シリア内戦を勝ち抜いてきた強大化した抵抗枢軸との対峙を余儀なくされることは、決して好ましいシナリオではない。

だが、シリア政府にも課題はある。「アクサーの大洪水」作戦が始まった翌日の10月8日、アサド大統領はアラブ首長国連邦(UAE)のムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領と電話会談を行った。会談内容は明らかではないが、米国のネットメディアのアクシオス(AXIOS)によると、ムハンマド大統領はアサド大統領に対して「アクサーの大洪水」作戦に干渉しないようという米国からのメッセージを伝えたとされている。これについては、シリアが「アクサーの大洪水」作戦に干渉した場合、米国はシリアに対して「宣戦布告」するとの情報も流れている。

対イスラエル武装闘争のアウトソーシングを本文とする抵抗枢軸のなかにあって、シリアが国家としてイスラエルに軍事的に対決を挑む可能性は低い。だが、ヒズブッラー、あるいは「イランの民兵」の挑発によってイスラエル北部での緊張が高めった場合に、その制裁の矛先は、大国イランではなく、弱小国のシリアに向けられる可能性が高い。東地中海に配備された米軍の空母打撃群の存在は、その意味でシリア政府にとって大きな圧力となっている。

反体制派の弱み

一方、反体制派は、2月5日のヒムス軍事大学へのドローンによるテロ攻撃を皮切りに、シリア軍への反転攻勢を強めようとしていた矢先に、「アクサーの大洪水」作戦というサプライズに直面した。

ヌスラ戦線が保有すると見られるドローンはほぼ連日、シリア政府支配地上空に飛来、10月12日、14日、15日、18日にはアレッポ市に飛来、14日にはフルカーン地区の将校クラブが、18日にはスィルヤーン地区の住宅が攻撃を受けた。これに対して、シリア軍とロシア軍は爆撃や砲撃によって、ヌスラ戦線の支配下にあるイドリブ県やアレッポ県西部に激しい攻撃を加えている。

だが、反体制派は、自らの反転攻勢とシリア軍、ロシア軍による報復をパレスチナ・イスラエル情勢にどのように結び付けるか、あるいはどのように結び付けられないようにするのかに腐心しているようである。なぜなら、彼らは、シリア軍、ロシア軍の報復の犠牲者だというイメージをイスラエル軍の攻撃の犠牲者であるガザ地区の人々に重ね合わせようとしてはいるが、シリア領内にドローンで反転攻勢を続けるその姿勢は、長らく戦略的パートナーだったイスラエルによるシリア領内への爆撃とオーバーラップしており、反体制派とイスラエルは一蓮托生だとの非難を許してしまうからだ。

10月17日にガザ地区のアフリー・アラブ病院で、イスラエル軍の爆撃によると見られる爆発によって500人あまりが死亡する大惨事が発生したのを受け、反体制派の支配地各所でイスラエルの攻撃に抗議し、パレスチナ人との連帯を訴えるデモが発生した。だが、政府支配地や他のアラブ諸国で、連日大規模な抗議デモが行われているのとは対象的に、反体制派支配地においては、連帯行動は極めて限定的だった。

イスラエルとシリアは敵対関係にあり、反体制派はシリア政府と敵対関係にある。昨今のシリア情勢において、「敵の敵は味方」というは、あまりに単純な図式なのだが、反体制派はこの図式から抜けきれないでいるように見える。

米国の本気度

緊迫するパレスチナ・イスラエル情勢にシリアが深く関与するのか否かを述べることはいまだ時期尚早ではある。だが、シリア政府であれ、反体制派であれ、またハマースであれ、イスラエルであれ、抵抗枢軸であれ、米国の本気度を見極めようとしている点では変わらないだろう。

とりわけ、シリア政府、ハマース、そして抵抗枢軸にとって、米国の本気度はそれぞれの盛衰に直結している。米国の本気度が低く、弱腰を見せた場合、それは抵抗枢軸の再生・拡大、そして劣勢の解消の起点となるであろうし、米国が強気の姿勢が揺るがないものだと判断した場合は、人道をめぐる米国の二重基準を非難し、非難を浴びていた自らの暴力をエスカレートさせる口実となるからである。

米国にとって、シリアが言及されないこと、あるいはシリアが介入しないことは、自らの二重基準をこれまで以上に白日のもとに晒さすことを回避し得るという点で実は好ましい。

占領を続けるイスラエルへの支持を表明する姿勢は、ウクライナ南部を占領・併合したロシアへの非難や制裁と矛盾していることはすでに多くの場で指摘されている。同じことは、シリアで民間人、病院などを標的としてきたシリア軍やロシア軍の「無差別攻撃」を非難する姿勢と、ガザ地区に対するイスラエルの過度な爆撃・砲撃に対して示される共感や同情とも矛盾している。テロリストが主導するシリアの反体制派を陰に陽に支援してきた政策と、選挙で勝利し、政権を担った経験もあるハマースをテロリストと断じ続ける姿勢とも矛盾している。

シリアに言及することは、米国を唯一の超大国としてきた一極世界が掲げる正義によって厳しく断罪されなければならなかったはずの矛盾が横行していたという事実を改めて気づかせてくれる。


青山弘之(東京外国語大学教授)

この記事の関連ニュース