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保育園を覆う「新自由主義」と闘った船橋市の父母たち...「民営化に歯止めをかけたと思ったが...」

ニューズウィーク日本版 2023年11月8日 10時55分

<待機児童が長年問題になってきたが、2025年をピークに待機児童すらいなくなる超少子化社会へ。民営化のもとで公立保育園が激減し、私立保育園ばかりになった日本の教育環境。子育てから見えた「政治」について> 

保育に向き合う座右の書

これまで18年間、記者として、また編集者として「政治」を追いかけてきた。記者としては小泉政権から鳩山政権まで政権中枢を取材した。また、編集者としてはポピュリズムや権威主義など、政治学の最新動向をいちはやく紹介してきた。

そして、父母会活動で初めて小さい世界ながら当事者として政治に向き合った。

コロナ下、地元・船橋に関わりたいと思い、保育園の父母会会長になった。そのうち、気付くと、公立保育園父母会連絡会の副事務局長、さらに船橋市の子ども子育て会議の委員になっていた。参加して4年間、そこで見えてきたものがある――。

毎年、保育園内の問題や市の保育行政について保護者の声を集約して要望書を提出したり、市が保育料の値上げを検討すれば、反対運動も行った。ときに怪しげな政党の影がちらついたり、補助金絡みの生臭い地域政治もまざまざと見せつけられた。

これらの動きの基底にあるのは、なにか。この間、常に手元に置いてきた、猪熊弘子『「子育て」という政治:少子化なのになぜ待機児童が生まれるのか?』(角川新書、2014年)を手掛かりに考えてみたい。

民営化と規制緩和の波

保育園ではこの20年、あらゆる社会問題が噴出してきた。本書を読み進めていくと、「民営化」と「規制緩和」という言葉にぶつかる。端的にいうと、待機児童の解消と引き換えに子育ての現場が新自由主義に覆われたということだ。つまり、民営化の動きだ。

実はこうした角度から、子育てを捉える本はあまりない。新自由主義を批判する本は多いが、保育の現場に焦点を合わせたものはなかなかない。福祉系の学問分野は、行政と近いところで活動する機会が多いためか、ミクロな分析は充実している一方、読んでいてどうも歯切れが悪い。

しかし、政治経済の大きな流れのなかに保育現場を位置付けた本書は、国や地方の政策、地域社会の思惑に幻惑されない、たしかな視点を提供してくれる。

では具体的に何が起きたのか。やはり大きいのは小泉政権以降の動きだ。

本書によると、「民営化が進んだのは、2004年度から公立保育所の運営費が、国の三位一体改革によって一般財源化されたことが最大の理由である」。

これまで公立保育園の運営費は国庫によるひも付きだったが、一般財源化され自治体が自由に使えるようになった。さらにその後、公立保育園の「施設整備費」が交付金の対象外となるなど、2006年度以降、公立の運営費はすべて一般財源化されている。

本書では、公立保育園をつくりにくくする、こうした国の政策を「兵糧攻め」と呼ぶ。実際、2007年には私立の数が公立を上回り、毎年200以上の公立園が全国で減り続けている。

そして、民営化とともに取り入れられた規制緩和が様々な保育事故の温床になった。規制緩和というのは、要は「詰め込み保育」のことだ。

はたして食い止めたのか?

この間、船橋では何が起きていたか。船橋市内には公立保育園が27園ある。全国的な動きと呼応して、ここでも行政は民営化に動き出した。

ただ、父母会などの粘り強い反対運動で行政の動きをなんとか封じ込める形になっている。その取り組みは2003年から2011年にかけて8年間に及ぶ息の長いものだ。

8年間の活動をまとめたある文書はこう総括している。

「船橋市の民営化施策が撤回されたわけではありませんが、実質上の船橋市主導による公立保育園の民営化策に一旦の歯止めをかけることができました。これは父母会連絡会や時間外保育士労組、市職労が先頭に立ち、市民と共に『公立園を1園たりと減らさない』『民営化保育園名を出させない』取り組みを進めてきた大きな成果です」

父母会活動に関わった当初、この話を聞いて、今時こんなことがあるのかと驚いた。

船橋は高根台団地や習志野台団地、芝山団地をはじめ旧住宅公団による巨大団地が点在し、公立保育園も多くがその一角に建てられたので、戦後の革新の余韻がまだ2000年代を過ぎても残っていたのかもしれない。

しかし、喜んでばかりはいられない。公立保育園の維持に気を取られている傍らで、私立保育園が激増していたのだ。

2002年には市内でわずか19園だった私立保育園は、2022年の時点で101園にまで膨れ上がったのである(今仲希伊子「父母会戦記:保育園がなくなる日」白水社webふらんす)。つまり、実質的には民営化したということだ。

こうして保育をめぐる風景が一変することで、子育てを公共の事柄として大事にする態度が地域社会から消えてしまったと感じる。行政は待機児童対策でひたすら私立保育園を増やし、保護者は預けられればどうでもいいと思考停止する。

『「子育て」という政治』にはこんな一節がある。

「親が『預かってもらえるならどこでもいい』と言い切ると、預かる側は『預かればなんでもいい』という保育に堕ちていく。保育者と保護者は合わせ鏡なのだ。両者が常によい保育を求め合っていく中で、保育の質は向上していくものなのに、今は、それが下を向いている悪いスパイラルに陥っている状況だ」

深刻なのは保護者の無関心だ。「忙しい」「ムダ」「時代にそぐわない」などと言って、PTAや父母会叩きが一定の支持を集めている。

実際に解散したり、活動を縮小する父母会を数多く見てきた。しかし、こうしたシニカルな動きが加速すればするほど、地域の子育ての「質」は低下していく。

この『「子育て」という政治』は2014年の刊行だが、その後、国の政策課題は「待機児童」から「定員割れ」へと急旋回しつつある。

厚生労働省は「保育所の利用児童数のピークは2025年となる」としており、保育園がなくなる時代がまさに到来しつつあるのだ。この20年間の民営化のしわ寄せはこれから来ることになる。

船橋市では昨年度、初めての廃園が出た。そして、つい先日、株式会社が運営する私立保育園の事業譲渡が市の「子ども子育て会議」で淡々と処理された。

こちらが質問すると、保育士の雇用と児童は当面守られるという回答が担当課長からあった。学識者からも全国的によくあることとの発言が出た。しかし、譲渡で翻弄される一人ひとりに寄り添う配慮はそこにはなかった。

竹園公一朗(Koichiro Takesono)
1980年生。早稲田大学卒業。東京都立大学大学院修了。修士(政治学)。時事通信政治部を経て、白水社編集部。現在、編集部長代理。主な担当書に髙山裕二『トクヴィルの憂鬱』(サントリー学芸賞、渋沢・クローデル賞)、熊谷英人『フランス革命という鏡』(サントリー学芸賞)、岡奈津子『〈賄賂〉のある暮らし』(樫山純三賞)、柳愛林『トクヴィルと明治思想史』(吉野作造研究賞)、前田裕之『経済学の壁』(日経新聞年間ベスト経済書2位)他。

 『「子育て」という政治:少子化なのになぜ待機児童が生まれるのか?』
 猪熊弘子[著]
 角川新書[刊]

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