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習近平が国防相と外相を粛清した本当の理由......次のターゲットは?

ニューズウィーク日本版 2023年10月25日 9時28分

<秦剛外相に続いて、李尚福国防相の解任が正式に発表された。異例の3期目に入った習近平が任命したばかりの閣僚を次々クビにするのには深い狙いがある>

3期目に入った習近平(シー・チンピン)国家主席が、国家と党に対する権力を固めてから半年。今、中国指導部では異例の事態が相次いでいる。

その1。習はこの夏、外相を解任し、任命直後の国防相を「失踪」させ、人民解放軍の一部門として2015年に自ら創設したロケット軍の政治委員と最高司令官を交代させた。噂は飛び交うが、事実は何一つ明らかにされていない。多くの人が、指導層の弱体化と習の人事判断力のお粗末さを示すものだと考えている。

その2。習は、発足からまだ1年の政治局常務委員会内の複数のポストもひそかに変更した。習に次ぐ権力者であり、名目上は第2の地位にある首相(内閣に当たる国務院の総理)の李強(リー・チアン)を差し置いて、「中国共産党の忠犬」であり、冷酷さで有名な蔡奇(ツァイ・チー)・党中央弁公庁主任を重用している。李の権力、威信、特権があまりに低下しているため、もはや習の寵愛を外れたとして失脚の噂も飛び交うありさまだ。観測筋も、習の狙いがどこにあるのかつかみかねている。

これらの出来事を理解するためのヒントになるのは、習の最も親しい友人や腹心が、習と重なる3つの「正しい経歴」のいずれかに当てはまるという事実だ。習の家族ゆかりの地である陝西省の出身者、または福建省で一緒に働いた人々、あるいは浙江省・上海時代を共にした人々だ。

その1の騒動に巻き込まれた人々はいずれも、上記の経歴とは無縁。彼らは皆、習が権力を握る前から自力でかなり高い地位に就いていた。従って、彼らは「習派の貴族」ではなく、その去就が習の権力掌握に影響を与えることもない。

中国政治には透明性がないため、なぜ任免/罷免されたのかは分からず、習に優れた人事の判断力があるかどうかも疑わしい。今回の派手な人事騒動は、習の狙いを反映していると考えるべきだろう。台湾侵攻に備え、対外戦を仕切る2つのトップ機関(軍と外交当局)を絶対的に信頼の置ける存在にしておこうとの狙いだ。

同様に、メンバー全員が「正しい経歴」を持つ政治局常務委員会で起きている微妙な変化は、戦争に向けて内部の権力を強化するため、習が二方面戦略を意識的に構築していることを示しているのかもしれない。台頭する蔡は、今や習のための「スパイ皇帝」にして「粛清最高責任者」だ。

最も効果的なのは、習がトップの李を辱めること

毛沢東には粛清工作を担う康生(カン・ション)がいたし、スターリンには弾圧を指揮するニコライ・エジョフがいた。手ごわい敵を遠ざけた独裁者は、新たな挑戦者の出現に備え、親密な仲間をも冷静に見極め粛清できる冷酷な人物を必要とする。蔡の台頭は「習派」の面々に明確なメッセージを伝えている。

習は、残る抵抗勢力が国務院にあることを理解している。国務院のテクノクラート(専門知識を持つ技術官僚)は、習のような「党派」よりも高い社会的評価を受けている。邪魔者を退けるには、国務院そのものを苦しませる必要があり、中国の伝統では、公に恥をかかせなければ政治的討伐は完了しない。最も効果的なのは、習がトップの李を辱めることだ。

李は就任前からそれを理解していたに違いない。彼が就任会見で「国務院の何よりの秩序は政治である」と述べたことからも見て取れる(「喜んでひざまずきます」という意味だ)。李は協力的に自ら身を引くことで見返りを受けるだろう。

皇帝に仕えるという特権のため、そして側室のハーレムを汚さないために、去勢された宦官が中国に存在していたのは、それほど昔のことではない。最後の宦官は1996年に死去したと言われているが、実はまだ存在しているのかもしれない。

練乙錚
YIZHENG LIAN
香港生まれ。米ミネソタ大学経済学博士。香港科学技術大学などで教え、1998年香港特別行政区政府の政策顧問に就任するが、民主化運動の支持を理由に解雇。経済紙「信報」編集長を経て2010年から日本に住む。


練乙錚(リアン・イーゼン、経済学者)

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