Infoseek 楽天

不動産バブル崩壊で中国経済は「日本化」するか

ニューズウィーク日本版 2023年10月26日 15時17分

<(1)日本の不動産業の発展と比較して>

私は今年(2023年)8月下旬、コロナ禍明け後2回目の訪中をして深圳と広州を訪れたが、前回(3月)の訪中時に比べて中国経済の現状と前途に対する悲観的な声を多く聞いた。不動産バブルの崩壊はもはや誰の目にも明らかなようである。

    

中国の不動産業の動向を測るバロメーターとして、一般には国家統計局が毎月発表する新築住宅の価格指数を見ることが多い。2023年8月の全国35都市(省都などの大都市)を見ると、1年前に比べ指数の上昇した都市が北京市や上海市など18都市、下落した都市は広州市や深圳市など17都市。これだけ見ると、はたしてバブル崩壊といえるのか首をかしげてしまう。ただ、現地で聞くと、「新築住宅価格は地方政府がコントロールしていて下げさせないが、値段はついても買い手がつかないこと(有価無市)が多い」という。

右肩下がりで減少している中国の新築住宅の販売

たしかに、1~8月の期間について全国の新築不動産の販売額を見ると、2022年は2021年より28パーセント減少し、2023年は2022年より9パーセント減少と、まさに右肩下がりで縮小している(図1参照)。同じ期間について不動産の販売量で見ると、2022年は2021年より23パーセント減、2023年は2022年より15パーセント減と、これまた急に減っている。こんなに急に減ったのでは経営が苦しくなる不動産会社が相次ぐのも無理もない。

こうして不動産バブルが急速に潰れていく中で、中国経済の前途に対して悲観的な見方が広がっている。いわく、中国経済の現状は、1990年代初めのバブル崩壊後の日本経済と同じであり、今後は日本のように長い低成長の時代に入るだろうとの見方である。

ちなみに、日本の経済成長率は、1975~1990年は年率4.5パーセントの中成長だったが、1991~2000年には年率1.3パーセントへ大幅に減速し、その後も2001~2010年は年率0.6パーセント、2011~2022年も0.55パーセントと低迷が続いている。中国経済もこれから日本のように「失われた30年」の時代に突入するとの見方が広がっている。

こうした見方に対して当然異論も多い。中国は2022年時点の1人あたりGDPがまだ1万2720ドルで、世界銀行の定める「中所得国」の段階からもう少しで卒業、というレベルにすぎない。一方、1992年の日本の1人あたりGDPは(その間の物価の変化を調整すると)2022年の中国の2.5倍であり、1992年の時点ですでに成熟した高所得国であった。1人あたりGDPでいうと、今日の中国はまだ日本の1960年代後半ぐらいのレベルである。だとすれば、中国の高度成長期はもう終わったのだとしても年4~5パーセントぐらいの中成長は当面可能なのではないだろうか。

私も中国はまだ10年以上は中成長が可能な段階にあると考える。ただ、中国が引き続き中成長の軌道をたどるのか、それとも低成長に陥るかは政策の選択による部分が大きいとも考える。政策の選択を誤れば、中国経済は長い低成長に入ってしまうかもしれない。そして、中国政府が適切な政策を選択できない可能性は決して小さくないと思う。

そのカギとなるのはやはり不動産である。中国の不動産業が今、深い罠(わな)にはまってしまって、なかなか出口が見出しがたい状況にあるのは事実である。しかし、不動産の発展がここで終わっていいはずがない。そのことは戦後日本の経験からいえることである。以下では戦後日本の不動産業の展開を振り返る。

    

日本の不動産業の成長を支えた「都市化」と「住宅高度化」

戦後の日本の不動産業は、量的に大きく拡大した1940年代末から1973年までの時期、量的には伸び悩んだが地価の上昇が続いた1974年から1991年までの時期、そして地価が下落する1992年以降と、大きく3段階に分けられる(橘川・粕谷編、2007)。不動産バブルが崩壊している2023年の中国は日本の1993年頃にあたると思われるかもしれない。だが、はたしてそうであろうか。

戦後日本の不動産業の成長を支えた社会経済的要因とは、農村から都市への人口移動、そして都市の中での、より広く、条件のよい住宅への住み替えであった。ここでは前者を「都市化」、後者を「住宅高度化」と呼ぶことにする。

戦後の日本の都市化がどのように進んだかを図2に示した。1946年から1970年までは「非農家人口」によって都市人口の定義としている。農家とは、10アール以上の農業を営んでいるか、または農産物の販売金額が15万円以上ある世帯のことを指す。家族の中で老夫婦だけが農業を営み、同居している息子・娘や孫たちはサラリーマンとして勤めていても、もし農業収入が年間15万円を上回るようであれば、その家族全員が農家人口に含まれる。農家が住んでいるところは農村であろうから、農家以外の人口がすなわち都市人口だろう、という推測に基づき、図2では非農家人口がすなわち都市人口だとしている。都市人口(非農家人口)の割合は1946年に55パーセントだったのが1970年には74パーセントへ急速に上昇した。

ただし、1970年代以降は農村に居住しながらも、家族の中で誰も農業に従事しないケースが増えていったので、「非農家人口」によって都市人口を測ることが適切ではなくなった。代わりに農林水産政策研究所の松久勉氏が作成した表から「都市的地域」の人口を抜き出し、それをもって都市人口比率とみなすことにした。図2では1970年以降は都市的地域の人口をもって都市人口比率とみなしている。

松久氏は1950年時点の市町村を基に、各年における各地域の状況に応じて都市的地域、平地農業地域、中間農業地域、山間農業地域に分類し、それぞれの人口を示した(松久、2015)。1970年には都市的地域の人口と非農家人口の比率(それぞれ72パーセント、74パーセント)があまり違わなかったが、その後両者のギャップが開いていった。それは、農村に住む非農家人口が増えたことを反映している。

図2から日本の人口の都市化は1970年代前半までかなり急ピッチに進み、1975年には都市的地域の人口比率が75パーセントに達したが、その後は増加ペースがかなり緩やかとなり、2020年時点でもようやく82パーセントになったことがわかる。日本の不動産業が1974年以降量的に伸び悩んだのはまさに都市化のペースが鈍ったからだといえよう。

一方、1970年代以降、日本国民の住宅事情は格段に改善した。図3では5年に1回ずつ行われる「住宅・土地統計調査」により専用住宅1戸あたりの延べ面積を示しているが、1973年の70平方メートルから2003年には92平方メートルへ増えている。ただし、この間に住宅の数は2倍近くに増えたので、日本の人口に対する住宅の広さはもっと大きく伸びた。住宅の総戸数に1住宅あたりの延べ面積を乗じることで日本の住宅の総面積を計算し、日本の総人口で割ったものを「1人あたり住宅面積」として示したが、1973年の20平方メートルから2003年には39平方メートルと、30年間で2倍近くに増えている。欧米と日本との間の貿易摩擦が激しかった1980年頃、「日本人はウサギ小屋のような狭い部屋に住んでいる」と揶揄されたものだが、その汚名は返上できそうである。

    

ただ、図3からは、1993年以降、住宅面積拡大の勢いが鈍ってきていることもわかる。1950年代から70年代前半までの都市化、そして1970年代前半から90年代までの住宅高度化という2つの波に乗って日本の不動産業は成長を続けてきたが、2つの波が終わった1990年代後半以降、不動産業は低成長に甘んじざるをえなくなった。

ちなみに、以上のような戦後日本の都市化と住宅高度化は、まさに私の両親と私の世代の歩みそのものである。私の両親は1937年に都市に生まれたが、太平洋戦争中に農村に疎開した。そして父は大学に入学するまで、母は結婚するまで農村に暮らした。1963年に結婚した両親は都市郊外の住宅の離れ(1K)を借りるところから始まって1985年までに5回引っ越し、その都度より広く、より条件のよい住宅に移った。つまり、私の両親は1950年代後半から60年代前半に都市化し、60年代から80年代にかけて5度も住宅高度化を行って、日本の不動産業を大いに盛り上げてきた。

一方、私はというと、最初から都市に生まれ、1990年に結婚してアパートを借りたが、1996年に今の家に移り住んで現在に至る。住宅高度化は1回だけなので、日本の不動産業の発展にはあまり貢献していない。なるほど不動産業が伸びなくなるわけである。

中国の不動産業の発展は現時点で終わるはずがない

さて、長々と日本の話をしたのは、中国の不動産業の現在地がどこであるかを判断する手がかりを得るためである。今の中国の位置は、日本の中成長期の始まりだった1974年なのか、それとも「失われた30年」の始まりだった1993年なのか。

まず、中国の都市化はどの程度まで来ているのかを見るために、図4では都市人口比率(「城鎮人口比率」)を示した。ここで示したように中国の都市人口比率は1990年代半ばまで3割以下と、とても低かったが、その後一直線に伸びている。2021年以降はおそらくコロナ禍の影響もあってやや伸びが鈍化したが、2022年時点で65パーセントと、日本の1960年代前半の水準でしかないので、まだ都市化が進む余地は大きい。

ただし、今後も中国の都市化が一直線に伸びていくかというと、そこには懸念すべき要素もある。まず、中国では都市の制度が日本とは異なり、日本のように住民票を移しさえすれば都市の市民としての権利を享受できるわけではない。都市民としての権利をフルに享受するにはその都市の戸籍を得る必要がある。それがないと、子供を就学させることができなかったり、都市の住宅を購入できなかったり、車を買ってもナンバープレートを発行してもらえなかったりという制約を受けることが多い。そして都市の戸籍は、とくに北京市や上海市では取得することがかなり困難だ。都市の政府はこうした戸籍などの制度的障害を利用して人口の流入をある程度はコントロールできる。そのため、日本とは違って、制度的な障壁によって都市化が止まってしまう可能性がある。

    

ただ、中国の中央政府はかなり強い口調で戸籍による差別を撤廃して都市化を推進するよう訴えているし、現に都市人口比率が一貫して上昇していることを考えると、今後も都市化が進展するだろうし、最終的には都市人口比率が日本並みの8割前後にまで到達するであろう。中国の都市化はまだ道半ばであり、その水準は日本の1974年にさえ到達していない。この側面からいえば、中国の不動産業の発展が現時点で終わるはずがないのである。

では中国の住宅高度化はどのような段階にあるのか。この点に関しては、中国には日本の「住宅・土地統計調査」に該当する調査がないため、図3にあたるような図を作ることができない。ただ、仮にそういう調査があったとしても、中国の場合には、日本のように平均値によって現状を判断することは難しいと考える。

なぜなら、中国の都市部は住宅を所有できる階層と所有できない階層へ二極分化しているからだ。いま中国で不動産バブルが崩壊しているのは、住宅を所有できる階層には満足のいく住宅があらかた行きわたったからだと私は推測している。だがその一方で、中国の都市には住宅を買えない膨大な人口がいる。そうした人々は現状では狭くて危険な賃貸住宅に住んでいる。彼らにはもっと条件のよい住宅に移りたいという強烈な願望があるはずだ。その面では、都市住民の多くが一応満足できる住宅に住むようになった1990年代の日本と中国の現状とはまったく異なる。

このように、中国の都市化は日本の1974年の状況に到達していないし、仮に今後地方政府の抵抗によって都市化の進展が止まってしまったとしても、住宅の高度化は日本の1993年の状況に到達していない。そう考えると、中国の不動産業の発展がここで終わっていいはずがないのである。

中国学.comより転載

参考文献

橘川武郎・粕谷誠編『日本不動産業史:産業形成からポストバブル期まで』名古屋大学出版会、2007年

松久勉「農業地域類型別市町村人口の将来推計-旧市町村を中心に-」『農村の再生・活性化に向けた新たな取組の現状と課題-平成24~26年度「農村集落の維持・再生に関する研究」報告書-』農林水産政策研究所、2015年

松久勉「旧市町村データに基づく農村人口の将来推計」『農山村地域の人口動態と農業集落の変容-小地域別データを用いた統計分析から-』農林水産政策研究所、2021年


この記事の関連ニュース