<哲学は人を救う...。フランスで哲学の博士号を取得した「挫折博士」が考え抜いた末に見た世界は、なぜ美しくきらめいていたのか? 恋愛と哲学について>
フランスで哲学の博士号を取得し、その将来は順風満帆――とはいかなかった。
躁うつ病を発症し、ドライバー、福祉施設職員、工場勤務と職を転々。研究者の職に就けなかった挫折と、心身が思うように動かない絶望のなかで、「哲学すること」だけはあきらめなかった。
在野の哲学徒・関野哲也氏が、自らのどん底体験から「哲学すること」の豊かさ、善く生きることの大切さを追求してまとめた、『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』(CCCメディアハウス)の「第7章 善く生き、善く死んでいくということ」より一部抜粋する。
◇ ◇ ◇
恋をする人は「内なる善」を知っている
突然ですが、誰しも人を好きになった経験があると思います。人を好きになったとき、あの素敵な人に相応しくなれるように、もっとちゃんとしよう、もっとよくなろう、もっと善く生きようと自ずと自律的になりはしませんか。
人は人に恋をすると、成長しようとするようですね。恋に落ちたときに、胸の内から聴こえる声、「もっとよくなろう」という声、その声こそが池田晶子の言う内なる善、つまり良心の声だと私は考えています。
ちなみに、人が人を好きになった理由をたずねられて、うまく答えられるでしょうか。その人を好きになった理由はいくらでも挙げられるのですが、反面、これといった決め手については上手く言葉で言い表せない、そんな経験はありませんか。
何となく好き、感じがいいから、笑顔が素敵、フィーリングが合う、など。しかし、決してひと言では片づけられないのが、人を好きになった理由ではないでしょうか。おそらく、人が人を好きになる理由は語り尽くせないもののようです。
よくよく考えると、なぜかわからないけど、その人を好きになり、そのくせ、なぜかわからないにもかかわらず、人は人を好きになると、自ら進んで成長しようとするらしいのです。私たち人間の不思議と言えば不思議な部分ですし、素敵と言えば素敵な部分ですね。
「学び」とは「善のイデア」を思い出すこと
さて、池田晶子の言う内なる善、つまり良心は、あたかも私たちが生まれながらにして善を知っているかのようです。
プラトンは、それを「善のイデア」と呼んだのではないでしょうか。プラトンはその著書『国家』(岩波文庫)において、対話篇の登場人物の一人、師のソクラテスに、次のように「善のイデア」を語らせています。
実在および実在のうち最も光り輝くものを観ることに堪こらえうるようになるまで、(引用者註:魂を)導いて行かなければならないのだ。そして、その最も光り輝くものというのは、われわれの主張では、〈善〉にほかならぬ。(『前掲書』下巻)
これは、善のイデアを「最も光り輝くもの」、つまり太陽にたとえているので、「太陽の比喩」と呼ばれています。
「実在」とは、実際に存在するものという意味です。実際に存在するあらゆるものの中で、最も光り輝くものは、太陽にたとえられた善に他ならない、とソクラテスは言っているのです。「善のイデア」は、光り輝く太陽のように、あらゆるものを遍(あまね)く照らし出します。
さらに、プラトンが『パイドン』(岩波文庫)の中でソクラテスに語らせている「想起説(そうきせつ)」によると、人間の魂は生まれる前に、天上においてこの「善のイデア」をすでに見て、知っていたのだとされます。
ところが、魂は生まれたときにこの「善のイデア」を忘れてしまいます。そこで再度、魂は「善のイデア」を想い起こそうとする。この想い起こすことを、人は「学ぶ」と呼んでいるのだ、と(『前掲書』参照)。
このように、生まれながらにして知っていたはずの善を忘れ、ただただ法律に反するからその行為をしないというレベルで、人間は生きてしまいがちかもしれません。
人間は、「善のイデア」を知る良心という内的基準の高いレベルから、法律という外的基準にだけに意識がいきがちな低いレベルに甘んじてしまうのではないでしょうか。
関野哲也(せきの・てつや)・哲学博士(Docteur en Philosophie)/文筆家/翻訳家
1977年、静岡県生まれ。フランス・メッス大学哲学科学士・修士過程修了後、リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は宗教哲学、言語哲学。特にウィトゲンシュタイン、シモーヌ・ヴェイユ研究。留学後、フランス語の翻訳者・通訳者として働くが、双極性障害を発症。その後、ドライバー、障がい者グループホーム職員、工場勤務などを経験。現在は「生きることがそのまま哲学すること」という考えを追求しながら、興味が趣くままに読み、訳し、研究し、書いている。著書に『池田晶子 語りえぬものを語る、その先へ』(Amazon Kindle)がある。
『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』
関野哲也[著]
CCCメディアハウス[刊]
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ニューズウィーク日本版ウェブ編集部
フランスで哲学の博士号を取得し、その将来は順風満帆――とはいかなかった。
躁うつ病を発症し、ドライバー、福祉施設職員、工場勤務と職を転々。研究者の職に就けなかった挫折と、心身が思うように動かない絶望のなかで、「哲学すること」だけはあきらめなかった。
在野の哲学徒・関野哲也氏が、自らのどん底体験から「哲学すること」の豊かさ、善く生きることの大切さを追求してまとめた、『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』(CCCメディアハウス)の「第7章 善く生き、善く死んでいくということ」より一部抜粋する。
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恋をする人は「内なる善」を知っている
突然ですが、誰しも人を好きになった経験があると思います。人を好きになったとき、あの素敵な人に相応しくなれるように、もっとちゃんとしよう、もっとよくなろう、もっと善く生きようと自ずと自律的になりはしませんか。
人は人に恋をすると、成長しようとするようですね。恋に落ちたときに、胸の内から聴こえる声、「もっとよくなろう」という声、その声こそが池田晶子の言う内なる善、つまり良心の声だと私は考えています。
ちなみに、人が人を好きになった理由をたずねられて、うまく答えられるでしょうか。その人を好きになった理由はいくらでも挙げられるのですが、反面、これといった決め手については上手く言葉で言い表せない、そんな経験はありませんか。
何となく好き、感じがいいから、笑顔が素敵、フィーリングが合う、など。しかし、決してひと言では片づけられないのが、人を好きになった理由ではないでしょうか。おそらく、人が人を好きになる理由は語り尽くせないもののようです。
よくよく考えると、なぜかわからないけど、その人を好きになり、そのくせ、なぜかわからないにもかかわらず、人は人を好きになると、自ら進んで成長しようとするらしいのです。私たち人間の不思議と言えば不思議な部分ですし、素敵と言えば素敵な部分ですね。
「学び」とは「善のイデア」を思い出すこと
さて、池田晶子の言う内なる善、つまり良心は、あたかも私たちが生まれながらにして善を知っているかのようです。
プラトンは、それを「善のイデア」と呼んだのではないでしょうか。プラトンはその著書『国家』(岩波文庫)において、対話篇の登場人物の一人、師のソクラテスに、次のように「善のイデア」を語らせています。
実在および実在のうち最も光り輝くものを観ることに堪こらえうるようになるまで、(引用者註:魂を)導いて行かなければならないのだ。そして、その最も光り輝くものというのは、われわれの主張では、〈善〉にほかならぬ。(『前掲書』下巻)
これは、善のイデアを「最も光り輝くもの」、つまり太陽にたとえているので、「太陽の比喩」と呼ばれています。
「実在」とは、実際に存在するものという意味です。実際に存在するあらゆるものの中で、最も光り輝くものは、太陽にたとえられた善に他ならない、とソクラテスは言っているのです。「善のイデア」は、光り輝く太陽のように、あらゆるものを遍(あまね)く照らし出します。
さらに、プラトンが『パイドン』(岩波文庫)の中でソクラテスに語らせている「想起説(そうきせつ)」によると、人間の魂は生まれる前に、天上においてこの「善のイデア」をすでに見て、知っていたのだとされます。
ところが、魂は生まれたときにこの「善のイデア」を忘れてしまいます。そこで再度、魂は「善のイデア」を想い起こそうとする。この想い起こすことを、人は「学ぶ」と呼んでいるのだ、と(『前掲書』参照)。
このように、生まれながらにして知っていたはずの善を忘れ、ただただ法律に反するからその行為をしないというレベルで、人間は生きてしまいがちかもしれません。
人間は、「善のイデア」を知る良心という内的基準の高いレベルから、法律という外的基準にだけに意識がいきがちな低いレベルに甘んじてしまうのではないでしょうか。
関野哲也(せきの・てつや)・哲学博士(Docteur en Philosophie)/文筆家/翻訳家
1977年、静岡県生まれ。フランス・メッス大学哲学科学士・修士過程修了後、リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は宗教哲学、言語哲学。特にウィトゲンシュタイン、シモーヌ・ヴェイユ研究。留学後、フランス語の翻訳者・通訳者として働くが、双極性障害を発症。その後、ドライバー、障がい者グループホーム職員、工場勤務などを経験。現在は「生きることがそのまま哲学すること」という考えを追求しながら、興味が趣くままに読み、訳し、研究し、書いている。著書に『池田晶子 語りえぬものを語る、その先へ』(Amazon Kindle)がある。
『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』
関野哲也[著]
CCCメディアハウス[刊]
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ニューズウィーク日本版ウェブ編集部