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ジャニーズ問題と天皇制

ニューズウィーク日本版 2023年11月1日 9時35分

<ジャニーズ関連のニュースに飽きが出てきたこの頃、テレビ各局は右へ倣えで「検証番組」の放送を始めた。報道局員や記者たちは「芸能スキャンダルと捉えていた」と口を揃えるが、それは一体なぜだったのか。その根底には、天皇制と日本社会の変容があるのではないか>

ジャニーズ問題は、もはや旬の過ぎた話題になりつつある(被害者への賠償は1人もできていないにも関わらず)。この記事もさほどPVを稼ぐことはないかもしれないが、もう少し本質的なところからこの問題を掘り下げてみたい。

BBCのドキュメンタリー放送から約7カ月が経ち、世の中の関心が薄れてきたタイミングを見計らってか、テレビ各局は「検証番組」なるものを立て続けに放送している。

内容はどれも似たり寄ったりで、横並びが得意な日本のメディアらしい仕上がりになっている。かつて世の中の「空気」に従い事務所におもねっていた人々が、今度はまた別の「空気」に従って自己保身に動いている様子が映し出され、行動原理は今も昔も何も変わっていないのだと雄弁に物語っていた。将来、形を変えてまた似たようなことが起きるかもしれないが、そのたびに「重く受け止め真摯に反省」といった言葉が繰り返されるのだろう。

検証番組で報道局員たちは「芸能スキャンダルという認識だったため、報道価値は低いと考えていた」という趣旨の証言をしている。新聞社の記者たちも、検証記事において同様の見解を示している。これは言い換えれば、多くの日本人は当時、ジャニー喜多川の所行を「大した問題だと思わなかった」ということである。

俺は違うぞという人もいるかもしれないが、もしも2004年時点で裁判結果や匿名証言を大々的に報じていたら「こんなものを新聞に載せるな!」と非難が殺到していたであろう。

メディアの自己検証はそこで止まっているのだが、もう一歩「なぜだろう?」と考えてみたい。なぜ当時の記者たち(そして私を含む多くの日本人)は、「これは単なる芸能スキャンダルだ」と問題を矮小化してしまったのか。

ここから先は私の手前勝手な自論になるのだが、しばしお付き合い頂きたい。

芸能のルーツ

芸能というものは、中世の日本の身分制度のなかで「賎民」と位置付けられた集団のなかから生まれたことは、よく知られている。河原者と呼ばれた彼らは生産手段を持たず、博打や売春といった裏稼業のほか、歌や踊りなどの芸能に従事する者もいた(その意味で、ヤクザと芸能は同根と言う人もいる)。

被差別民であった彼らは、マジョリティーの暮らす一般社会から切り離された異形の人々と見做された。近代以降、身分制度は解体されたが、良くも悪くも「芸能界は特別な世界」「自分たちとは違う人たち」という認識は昭和〜平成頃まで根強く残り続けた。

枕営業(というとソフトに聞こえるが、要するに性行為の強要)については「芸能界はそういうもの」の一言で長年見過ごされ、社会的に黙認するコンセンサスが成立していたとも言える。枕営業だけでなく、暴力団とのつながりや薬物使用についても、同様だった。

そのコンセンサスが平成〜令和にかけて崩れていったのはなぜなのか。「芸能人だからといって特別扱いすべきではない」「芸能界の悪弊を改めねばならない」という意識はどこから芽生えてきたのだろうか。

答えは、「天皇」にある。

国民と同じ位相にいる天皇

かつて現人神と奉られた昭和天皇から平成へと御世が移り、平成時代の天皇(現上皇陛下)は国民にとって尊くも親しみを覚える存在となった。国民統合の象徴であると同時に一人の人間でもあるという天皇の姿は、絶対的な貴人という概念を薄れさせ、相対的に賎民という区分も無効化した。貴賤の価値観が揺らいだ結果、芸能界への偏見(つまり特別扱い)をも解消させていったのではないだろうか。

上皇陛下は2003年(平成15年)までに47都道府県を回り、新しい時代の天皇の姿を国民に示された。その2年後の2005年、それまでの芸能界の常識を一変させるアイドル集団「AKB48」が誕生する。

「会いに行けるアイドル」がコンセプトの彼女たちは、芸能人と一般人の間にあった垣根を取り払った象徴的な事例とされる。その頃を起点として、芸能人はもはや"雲の上の存在"として崇める対象ではなくなっていった。暴対法を背景に暴力団の人数がピークから減少に転じるのも、同じく2005年である。

以後、暴力団の存在が社会から消えていく流れに沿うように、芸能界に対する特別視も薄れていった。当時現役のAV女優だった蒼井そらが地上波のテレビドラマに出演するなど、性産業やいわゆる夜職の成功者たちがメディアに多く登場するようになったのも、この頃からと記憶している。賭博関連では、カジノ誘致の動きが出てきたのも同時期である。

つまり、新時代の天皇像が確立された平成中期以降、歴史的に賎民とされた人々への偏見や特別扱いは徐々に薄れていった。

文春裁判が確定した2004年という年は、まだギリギリ「芸能界は特殊な世界」という治外法権が機能していた時代だった。加えて、同性愛や性被害への偏見も今以上に根強かった。LGBTの文脈で言えば、性同一性障害特例法が施行されたのも2004年である。それまで性的少数者は「見えない存在」だった。だからこそ、ジャニー喜多川の行為も「見えないもの」として扱われた。

それから約20年が経過し、貴賤の薄れた平準化された社会のなかで、日本人はジャニー喜多川の所業を「再発見」しまざまざと見るようになった。旧ジャニーズ事務所を取り巻く日本社会の「空気」に水を差すことをできたのは外国メディアだったが、それも必然だったのだろう。集団の「空気」を内部から変えることは難しく、仮に変えようとしても聞く耳を持たれないからだ。

今から20年後、私たちはどんな問題を「再発見」することになるのだろう。それを今知ることはできないが、その時々の「空気」に支配されていることは間違いなさそうである。

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