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イスラエル軍もハマス軍事部門も「直面したことがない事態」...イスラエル精鋭部隊「サエレット・マトカル」はどう動くのか?

ニューズウィーク日本版 2023年11月2日 14時25分

<歴代首相も所属し、数々の作戦を成功させたイスラエル特殊部隊は、ハマスに拘束された人質を解放できるのか>

非常口のドアを蹴り破って航空機機内に侵入するや、隊員らは発砲しつつ通路を進んでパレスチナのハイジャック犯2人を殺害、残る2人を取り押さえた。

制圧に要した時間はわずか10分、人質の犠牲は1人。イスラエルの特殊部隊サエレット・マトカルによる奇襲の見事な成功例として、今も語り継がれる一件だ。

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1972年5月のこの人質奪還作戦に加わった隊員の1人が、誰あろう現イスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフである(兄弟2人もサエレットに属していた時期がある)。

あれから半世紀、イスラエル建国以来の未曽有の危機を迎えた今、彼はこの勇猛果敢な決死隊の出動にゴーサインを出す最終的な責任を負う立場にいる。

何とも皮肉な巡り合わせだ。しかも、今回は規模が違う。イスラム組織ハマスが10月7日の奇襲攻撃でガザ地区に連れ去った人質の数は200人を超えている。

ネタニヤフは「この部隊に何ができ、何ができないかを熟知している」と本誌に語ったのは、かつてサエレットの司令官を務め、現在の指導部にも一定の影響力を有しているドロン・アビタル。

「通算で15年も首相職にある彼は、この部隊に何度も出動命令を出してきたはず。ゲームは熟知している。間違いない」

「サエレット」はヘブライ語で偵察部隊の意。「マトカル」は参謀を意味する。57年にイギリス軍の特殊空挺部隊(SAS)を手本に設立され、敵陣に潜入して作戦を遂行する能力を持つ。

当初はイスラエル軍の空挺部隊に属していたが、現在は国家情報機関の直属となっており、軍隊とは別の組織だ。

「サエレット・マトカルの強みは情報インフラに組み込まれている点にある」と、アビタルは指摘する。司令官に次ぐ地位にいるのは情報将校であり、退役後に諜報機関のトップに起用された人も多い。

サエレットの精鋭部隊は銃撃戦や暗殺を含むさまざまな作戦を遂行してきたから、敵国では悪名が高い。最もよく知られているのは大胆不敵な人質救出作戦で、その1つが当時22歳のネタニヤフも参加した72年の「アイソトープ作戦」だ。

あのときはパレスチナの抵抗組織「黒い九月」が民間人のカップルを装ってサベナ航空572便をハイジャックし、テルアビブに向かわせた。そして空港に着くと、パレスチナ人受刑者315人を解放しろ、要求に応じなければ機体を爆破すると脅迫した(約100人の乗客がいた)。

機長(第2次大戦では英軍のパイロットだった)からの緊急通報を受けて、すかさずサエレットが出動することになった。

当時の司令官は、後に首相となるエフド・バラク。ネタニヤフを含む隊員は整備員に成り済まし、車輪の修理を口実に機体に近づき、突入した。

ネタニヤフは1972年、人質奪還作戦に特殊部隊の一員として参加して表彰された。左は当時のシャザール大統領 GPO/GETTY IMAGES

機内では乗客3人が負傷し、うち1人は後に死亡した。ネタニヤフ自身も負傷した。隊員の1人が拳銃で犯人を殴打したとき、暴発した弾丸が彼の手に当たったのだ。

その4年後、サエレットはまたも大胆な奇襲作戦で名を上げた。76年、アフリカ東部ウガンダの首都郊外にあるエンテベ空港で、パレスチナ解放人民戦線・外部司令部派(PFLP-EO)がエールフランス139便を乗っ取り、乗客100人以上を人質に取り、500万ドルと同志53人の釈放を要求した。

イスラエル政府はサエレットに出動を命じた。ネタニヤフの兄ヨナタンを含む隊員たちは貨物機で空港にひそかに着陸。当時のウガンダ大統領イディ・アミン(テロリストを擁護していた)の車列を模した黒いベンツで移動を始めた。だが大統領専用車はしばらく前に、新型の白いベンツに変更されていた。

元隊員ネタニヤフの対応力

空港に配置されていたウガンダの警備隊はその怪しい車列に気付き、人質の拘束されているターミナルに向かうサエレットの部隊と激しい銃撃戦になった。

結果的にサエレットはハイジャック犯全員を殺害したが、ウガンダ兵数十人も犠牲になった。人質の犠牲は4人だった。イスラエル側の犠牲も1人いたが、それがヨナタン・ネタニヤフだった。

いわゆる「サンダーボルト作戦」だが、今は故人に敬意を表して「ヨナタン作戦」と呼ばれている。

弟のネタニヤフは40年後の2016年に首相としてエンテベ空港を訪れ、「兄が死んだとき、私たちの世界は破壊された」と述べている。また、兄を失ったことがきっかけで、自分は政治家としての道を歩むことになったとも語っている。

首相として最初の任期(96~99年)の後を継いだのは、サエレットの司令官だったエフド・バラク。アイソトープ作戦や、ミュンヘン五輪でのイスラエル選手団虐殺事件の報復としてレバノンでパレスチナ解放機構(PLO)の高官を殺害した73年の「若者の春作戦」を指揮した人物だ。ヨナタン作戦やその他の秘密作戦の実行にも参画している。

そのバラクは、過去の栄光と今日のイスラエルがガザ地区で直面している前例のない人質危機を同列に扱ってはいけないと警告する。

「単純な繰り返しではない」。バラクは本誌にそう語った。

「どのような作戦であれ、厳密に状況をコントロールするには極めて正確な、そして膨大な情報が必要だ。テロ組織と対峙してきたこの長い年月で、私たちは多くの教訓を学んだ。敵がどこにいるかを知らなくても部隊を編成し、展開させるすべをね」

現在81歳のバラクと74歳のネタニヤフの政治的立場は異なるので、互いについての発言には色が付いている。だが現在のイスラエルが直面する危機に関しては、「経験豊富」なネタニヤフなら「対応できる」とバラクも高く評価する。

ネタニヤフが「無責任な行動」をしてきたのは事実だが、今はイスラエルが「建国以来おそらく最も厳しい打撃」を被っている時期だから、政治的な争いをしている場合ではないとも言った。

ハマスによる10月7日の奇襲攻撃は、最先端の防衛力と情報収集能力を誇るイスラエルの意表を突き、1400人以上の国民が殺害された。

イスラエル側の犠牲者の大半は民間人とされるが、兵士の犠牲も300人以上で、サエレットの隊員が少なくとも9人は含まれている。隊員を生還させる能力が高いことで知られるこの精鋭部隊で、ここまでの犠牲が出るのは珍しい。

直近の世論調査で自身の支持率が30%を割り込むなか、この歴史的な危機に直面したネタニヤフは野党に呼びかけ、挙国一致の戦時内閣を組むことにした。

その閣僚には、野党党首のベニー・ガンツ、元国防軍参謀総長のガディ・エイゼンコット、現国防相のヨアブ・ガラント、安全保障担当顧問のツァヒ・アネグビ、戦略相のロン・ダーマーと、軍隊経験豊富な5人が含まれる。ネタニヤフの軍事秘書官アビ・ギルも意思決定のサークルに加わっている。

「決定はこのグループ内で下されるだろう」と、11年から13年までネタニヤフの国家安全保障担当顧問を務めたヤーコフ・アミドローは言い、ネタニヤフは議論を強引に推し進めるのではなく、幅広い合意を求めるだろうと考える。

「10月7日の失敗を経た今日の状況では、支持は広ければ広いほどいいということを彼は理解している」

だが、このグループが人質危機を解決するための最善策はサエレット・マトカルの派遣だという決断を下しても、ネタニヤフが前線で指揮を執れるわけではない。

ガザ侵攻に備えるイスラエル軍 MOSTAFA ALKHAROUFーANADOLU AGENCY/GETTY IMAGES

救出を難航させる情報不足

人質奪還の任務は、情報の不足によってより複雑なものとなっている。総面積約365平方キロのガザ地区の人口は約220万人。イスラエル軍の空前の攻撃を受け、地元当局によれば死者は7000人を超えている。

イスラエル国防軍の情報部門にとって、今回の作戦がガザ地区から完全に撤退した05年以降で最大の試練になることは間違いない。

地上戦の指揮官は「現地の状況について手元の知識で最善を尽くすしかない」とアミドローは言う。今回の場合は「人質の居場所が分からないし、作戦計画でそれを計算に入れてもいない」。

イスラエル軍もハマスの軍事部門も「このような事態に直面したことはない」と、元国防軍情報部パレスチナ問題担当部長のマイケル・ミルシテインは本誌に語った。

「ハマスに関しては人質の全員、もしくは大半がトンネルの中にいると私はみている」と、彼は言う。「ハマスはガザ地区の地下に、非常に強固で複雑なトンネル網を築いている。ハマスの指導者とメンバーの大半は今もそこにいるはずだ」

イスラエルは以前にも、ガザで人質事件の危機に直面したことがある。06年にイスラエル国防軍の兵士ギルアド・シャリットは、越境偵察の途中でパレスチナの戦闘員に拉致された。

救出は行われず、彼は5年以上ガザで拘束された後、1000人以上のパレスチナ人受刑者と引き換えに解放された。

かつてサエレットを指揮したアビタルは、あのとき兵士の救出を試みなかったのは拘束状況の詳細について「われわれに何の手掛かりもなかった」ためで、ハマスやその他の勢力は「情報が外に漏れないように厳しく管理していた」と語る。

では今回、サエレットはどのような結果を出せば「勝利」といえるのだろう? 

アビタルの見立てでは、「人質の過半数」を救出できれば「上出来」だ。

アビタル自身も、サエレットの1人として絶望的な状況で何度も成功を収めてきた。1994年には、その数年前にイスラエル人パイロットが拉致された事件への報復として、レバノンのシーア派政党アマル運動の幹部ムスタファ・ディラニを自宅から拉致するという劇的な作戦の指揮を執っている。

夜間にヘリコプターでレバノンのベカー高原に侵入し、当地の武装勢力ヒズボラやシリア軍の警戒の目をかいくぐってディラニを拉致した。

親族との銃撃戦でサエレット隊員1人が軽傷を負ったが、敵との大きな軍事衝突に至ることはなく、作戦は大成功だったとされる。

アビタルによれば、自身の指揮下でこうした作戦が行われる際は首相だったイツハク・ラビンと「密な連絡」を常に保っていた。ちなみにラビン自身はその1年後、パレスチナ人との和平合意に反対するイスラエルの極右民族主義者に暗殺された。

もちろん現在のネタニヤフも、ガザ侵攻作戦のあらゆる側面を統括する責任者として中心的な役割を果たすことになる。アビタルの言葉を借りれば、「この種の作戦が失敗すれば代償は大きく、軍隊だけでなく政治の責任が問われる」からだ。

しかしアミドローが述べたように、作戦の詳細を詰めるのは現場の指揮官の役目だ。アビタルに言わせると、「指揮官は自分の計画が承認されるよう、首相や国防相にうまく売り込む必要がある」。

ちなみにベカー高原への急襲も、首相の要望で実行を1日ずらしたそうだ。

あの国の意思を最終的に決める人たちに近い筋なら誰もが知っているはずだが、ガザ地区への大規模な軍事侵攻はもはや避け難い。

05年にガザから撤退して以来、イスラエル軍はあのパレスチナ人の土地で少なくとも3度の地上戦を経験している。だが今回は首相自身が、軍事組織としてのハマスの「壊滅」を目指すと公言している。そうであれば、今までとは次元の異なる戦闘になるのは目に見えている。

ちなみに国軍の報道官リヒャルト・ヘクトは、サエレットが出動する可能性についてコメントを控え、人質の奪還は「諜報機関と政府指導部の最も機密性の高い部分が扱う事項であり、それ以上のことは私には言えない」と述べている。

人質全員の解放は困難

難攻不落のはずだった壁の向こうに潜むパレスチナの戦闘員も覚悟を決め、備えを固めている。ハマスの広報官バッサム・ナイームは本誌に「総力を挙げて人民を守る準備」をしていると語り、「簡単にはガザ地区に入らせない。こちらもあらゆる手段で抵抗する」とした。

それでも、かつてサエレットの司令官を務め、政府の要職を歴任してきた元首相のバラクは信じている。今も水面下のどこかで外国の政府(エジプトやドイツ、カタール、スイス、そしてアメリカなど)がハマスの政治部門と連絡を取り、多くの外国人を含む人質の解放に向けて努力しているはずだと。

実際、ハマスが10月20日にアメリカ人のジュディス・ラーナンと娘のナタリーを解放した背景にはカタール政府の働きかけがあったとされる。

ただし人質全員の解放は困難だとバラクは考える。「この問題で決定を下すのは、ハマスの政治部門ではなく軍事部門の指導者だろう。

だが彼らもガザ地区の北部から南部に退避している可能性が高い。身を守るためだ。もう北部には実戦部隊しか残っていないだろう」

過去にサエレットが実行した作戦に比べて、今回の状況は格段に複雑であり、最終的な決断はファクトとデータを握っている人間が下すしかないとバラクは言う。「つまり、彼らを信じるしかない」のだと。

そして「私の直感だがね」と前置きして、こう言った。

「この手の議論を深掘りするのは禁物だ。私らに、そんな資格はない」

地球上で最も精鋭のイスラエル特殊部隊「サエレット・マトカル」とは?

Sayeret Matkal |Earth's most elite special forces?/Agilite

    

トム・オコナー、デービッド・ブレナン(いずれも本誌記者)

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