Infoseek 楽天

中国との国境紛争でブータンが譲歩? インドは黙っていられない

ニューズウィーク日本版 2023年11月2日 18時0分

<中国とブータンが長年続けてきた領有権争いが力づくで決着しつつある。軍事的、経済的にブータンとつながりの深いインドは警戒の目を向けている>

【写真特集】「幸福の国」ブータンの2つの顔

ヒマラヤの小国ブータンが、隣国・中国との関係正常化に向けて動きつつあり、反対隣のインドが懸念を募らせている。中国は近年、ブータンとの領有権交渉で優位に立ち、ブータンを交渉のテーブルに引き寄せている。

中国とブータンは約400キロの国境を接しているが、正式な外交関係は結んでいない。この状況が変われば、周辺地域の安全保障に重大な影響が及ぶ可能性がある。

10月23日から24日にかけて、タンディ・ドルジ外相率いるブータンの代表団は、中国外交部の孫衛東副部長と第25回国境画定協議を行った。

その後、中国とブータンは共同声明を発表。「中国政府とブータン政府との間の国境画定および境界設定に関する合同技術グループの機能に関する協力協定に署名した」と述べた。

無味乾燥な文言だが、それがとてつもなく大きな意味を持つ可能性がある。ブータンの外相は今回、中国の韓正・国家副主席とも会談を行った。かつて中国共産党の政治局常務委員も務めた韓正とブータン外相との会談は、異例のことだ。

これは中国とブータンの外交関係正常化に向けた協議が加速していることを示しており、大きな意味を持つ。そしてこの展開は、中国との関係が悪化しつつあるインドを大いに不安にさせることだろう。

「平和的」に領有権問題を解決

ブータンと中国は2021年10月、何十年も前から続く領有権問題の解決に向けた「3段階の工程」に関する覚書に署名した。ドルジは先日ブータンのメディアに対し、2022年だけでもブータンと中国の間で4回の専門家会議が開かれたと語った。その前の34年間で開かれた専門家会議は、合わせて7回のみだった。

もし中国とブータンが国境をめぐる争いを交渉で解決し、正式に外交関係を結べば、中国政府はこれを「中国が平和的な交渉を通じて紛争を解決できる」ことを示す成果として世界にアピールするだろう。中国に批判的な者たちは、台湾や南シナ海の問題について、習近平国家主席率いる中国の指導部が外交面でますます攻撃的なアプローチを行っていると主張している。

ブータン(首都ティンプー)は立憲君主制を採用しており、ヒマラヤに残る最後の王国だ。インドは1949年に結んだ条約(その後2007年に改定)の下、ブータンとは「特殊な関係」にあり、ブータンの安全保障を担保する立場にあった。

中国社会科学院アジア太平洋・グローバル戦略研究院のアジア専門家である孫西輝は、ブータンに対するインドの影響力は「覇権的」だと説明する。

孫は中国政府系の英字紙チャイナ・デイリーへの寄稿の中で、「インドはブータンの安全保障面と経済面のライフラインを握ることで、ブータン国内外の問題に介入している。このことはインド政府の対ブータン政策における地域覇権主義を浮き彫りにしている」と指摘した。

中国はブータンに対して、直接的な外交関係の樹立を促しているが、それを実現するためには、国連安保理の常任理事国と正式な外交関係を持たないというブータンの政策を変える必要がある。ブータンはアメリカとも正式な外交関係を築いておらず、インドが両国の仲介役を果たしている。

今後ブータンが外交関係を拡大するにあたっては、安全保障面の後ろ盾であるインドに容認してもらう必要がある。インドは現在、中国と戦略的に対立しており、インド政府が中国とブータンの直接的な外交関係樹立に同意する可能性は低いだろう。

しかしブータンのロテ・ツェリン首相はインドの新聞「ヒンズー」とのインタビューの中で、「理論的には、ブータンが中国との二国間関係を持つことに何ら問題はない。問題はいつ、どのように関係を築くかだ」と発言した。

入植地建設で中国が強い立場に

ブータンはまた、中国との外交関係樹立に向けた動きを公然と示唆している。ブータン外務省のウェブサイトには、「ブータンは『一つの中国』政策を支持し、共通の利益がある諸問題について中国と関わりを持っている」という声明が掲載されている。

中国がブータンに直接的な外交関係の樹立を働きかけるのは、今回が初めてではない。両国が領有権を争う国境地域に複数の入植地も建設している。南シナ海での「グレーゾーン戦略」を彷彿とさせる動きだ。

この建設活動が現地の実情を実質的に一変させ、中国が強い立場からブータンとの交渉を行うのを可能にした。2017年には、ブータンが領有権を主張するドクラム地方で、中国軍とインド軍がにらみ合いを続けた。中国はドクラムに恒久的な軍事用設備を構築し、ブータンに提案している「領土交換」の対象地域にドクラムを入れるよう要求している。

ある匿名の情報筋が本誌に語ったところによれば、ブータンと中国の合同技術チームは今後、まずは地上での領土交換の対象となる地域(境界)の画定に取り組む予定だ。この人物は、「ブータンは国境問題が解決するまで、中国との直接的な外交関係を樹立することはできない」と述べた。

ブータンはインドと共に中国との協議を進めていくと断言しているが、この協議は前途多難だと示唆する声が多く上がっている。

ロンドン大学東洋アフリカ学院の研究員であるロバート・バーネットはX(旧ツイッター)への投稿で、「ブータンの首相は7月に国境問題について発表した声明の中で、中国が要求している――既に占領しているところもある――西側の国境地帯の一部または多くの地域を中国に渡す意向を示した。だが首相は、ドクラムについてはインドの同意がない限り中国側には渡さないと述べた」と指摘した。

こうしたなかインドではこの1週間、各種メディアに掲載された論説記事から、ブータンが中国に接近しつつあることへの警戒感が浮き彫りになっている。

インドの主要紙「テレグラフ」は11月1日の社説の中で、「インドにとって、中国とブータンの間で起きていることは潜在的な不安の原因だ。それはインドが、中国とブータンの間の国境が画定されていないことで利益を得るからではない」と述べた。

ブータン政府は「次の総選挙」を意識か

前述の情報筋が本誌に語ったところによれば、ブータンが中国との協議の進展を示唆する背景には、総選挙(国民議会選挙)を前に有権者の圧力が高まっていることがある。「2017年にインドと中国の間で起きたにらみ合いを受けて、ブータン国民が領有権などの問題をこれまで以上に意識するようになったことから、ブータン政府は紛争解決を目標に掲げている」とこの人物は述べた。

元駐ブータン・インド大使のゴータム・バンバワレは、ブータン政府はインドの懸念を考慮するだろうと考えている。彼は米ブルッキングス研究所の「グローバル・インディア」と題されたポッドキャストの中で、次のように述べた。「ブータンはインドの懸念、とりわけ中国とブータンの国境画定問題がインドやインド・中国の国境問題に及ぼす影響を考慮するだろう」



アーディル・ブラール

この記事の関連ニュース