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カタカナは、なぜ存在感を増しているのか?...日本語の「書き言葉」が「たくましい」理由とは

ニューズウィーク日本版 2023年11月6日 15時40分

<漢字とひらがな、カタカナ、そして現在ではアルファベットも混ぜて使う点において、日本語は間違いなく世界でもまれな言語。なかでもカタカナが「躍進」している理由について>

柴崎友香の小説『春の庭』に、日本語がほとんどわからないアメリカ人夫婦が主人公に「コンニチハ」と挨拶する場面がある。

このように外国人の片言の日本語にカタカナがよく使われるのは、異国感を出せるからであろう。しかし、もっと言うと視覚的な効果が大きいように思う。

    

カタカナは見た目に滑らかでないため、たどたどしさが演出できるからだ。この「コンニチハ」を外国語に翻訳するにはかなりの工夫が必要だろうと翻訳者としては思う。

そんなカタカナの使い方として最近気になっているのは、「シン」だ。庵野秀明監督の映画『シン・ゴジラ』の「シン」は大きなインパクトがあった。

わたしは初代『ゴジラ』をリアルタイムで見ている世代である。そのせいか、「『新・ゴジラ』でいいのに。このごろはなんでもカタカナにしたがるのだなあ...」と当初は思っていた。

だが実際に『シン・ゴジラ』を見て、どうやら必ずしも「シン=新」というわけではないらしいということに気づいたのだった。

庵野監督は「シン」の意味について「新」、「真」、「神」など様々な意味を感じてもらいたいと語ったという。しかし、わたしをふくめて観客は「深」「信」「心」「侵」など、「シン」に多様な解釈を楽しんだ。

では、これはひらがなの「しん」でもよかったのだろうか。いや。やはりカタカナでなければならない。

それは先ほど述べた「コンニチハ」と同様にカタカナのもつ「異国感」もあるが、視覚的な違いも大きいからだ。ひらがなは滑らかに溶け込むが、カタカナは尖っていて目立つ。

その後『シン・ウルトラマン』などの同監督の映画だけでなく、『シン・中国人』『日本のシン富裕層』など、書籍にも見られるようになっていった。もはや「シン」は、新しい接頭語と言ってもいいのではないか。

ただ、興味深いことに、逆の例もある。カタカナで書くことが一般的な外来語をあえて「ぷりん」や「こおひい」など、ひらがなで記す方法である。こうすると和風やレトロな雰囲気を視覚的に演出することができる。

バーや飲食店の名などで「和いん」や「和伊ん」「和伊n」と書かれた表記も目にする。本来であれば、「ワイン」とカタカナで書くべきところに、なんと漢字やひらがな、アルファベットを組み合わせているのだ。

ここから何をくみ取るべきか。「和いん」は国産ワインのことかもしれないし、和食に合うワインという意味かもしれない。「和伊ん」「和伊n」は国産ワインとイタリアワインを指すのだろう。

この自由な感覚。文法的にどうかなどと言うより「日本語ってスゴイ!」と素直に感心してしまう。

漢字、ひらがな、カタカナ、そしてアルファベットも混ぜて使う日本語は、仮舗装された道路のようにつぎはぎだらけだ。

だが、つぎ目などものともせず、外国語を貪欲に取り込みながら、つぎからつぎへと新たな表現を生み続けてきたところに大いなるたくましさを感じる。

ただし残念なのは、ここで述べてきた興味深い表現は、あくまでも書きことばであり、話しことばではその効果を発揮できないということだ。

[筆者]
平野卿子
翻訳家。お茶の水女子大学卒業後、ドイツ・テュービンゲン大学留学。訳書に『敏感すぎるあなたへ――緊張、不安、パニックは自分で断ち切れる』、『落ち込みやすいあなたへ――「うつ」も「燃え尽き症候群」も自分で断ち切れる』(ともにCCCメディアハウス)、『ネオナチの少女』(筑摩書房)、『キャプテン・ブルーベアの13と1/2の人生』(河出書房新社、2006年レッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞受賞)など多数。著書に『肌断食――スキンケア、やめました』、『女ことばってなんなのかしら? 「性別の美学」の日本語』(いずれも河出書房新社)がある。

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