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【スクープ】中国のAI研究者に米政府が3000万ドルを渡していた...朱松純の正体、あの「千人計画」との関係

ニューズウィーク日本版 2023年11月10日 11時48分

米国政府からの助成金が中国に渡る?(写真の人物が朱) PHOTO ILLUSTRATION BY XTOCKーSHUTTERSTOCK; BACKGROUND: CKAーSHUTTERSTOCK; INSETS: SONG-CHUN ZHU OFFICIAL SITE (RIGHT), THE INSTITUTE FOR ARTIFICIAL INTELLIGENCE, PEKING UNIVERSITY

<米中間の技術競争が激化する最中、米国防総省の助成金が中国のために働く中国人研究者の手に渡り、最先端のAI技術が流出していた!?>

アメリカ政府から少なくとも3000万ドルの研究助成金を得ていたコンピューター学者が、今は中国で最先端のAI(人工知能)開発チームを率い、アメリカの先を行こうとしていることが、本誌の独自取材で明らかになった。

この科学者は朱松純(チュー・ソンチュン、55)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のAI研究所を率いていた人物で、国防総省からの助成金は彼が中国の武漢近郊で同様のAI研究所を立ち上げ、北京大学で軍事技術の開発を支援する役職に就き、中国共産党の「千人計画」(海外からの知識や技術の移転を先導するプログラム)のメンバーに選ばれてからも続いていた。

アメリカの研究環境はオープンで、だからこそ世界中の有能な人材を引き付けるのだが、本誌の調べで明らかになったのは、軍事転用も可能な先端技術が中国に渡っているだけでなく、アメリカ政府が(最大のライバル国である)中国の科学者を積極的に迎え入れ、彼らに研究資金を提供している現実だ。

今は地政学的な懸念から貿易、先端技術までのあらゆる局面で中国との緊張が高まっている時期だ。学術研究に対する公的助成(国民の税金だ)の在り方にも厳しい目が向けられるべきだ。

朱に対する研究助成金について問い合わせると、国防総省は本誌に、国際協調には利点もあると回答してきた。中国のみならず世界中からトップレベルの研究者がアメリカにやって来るのは公的助成金のおかげ、というわけだ。

連邦政府の一機関で、朱にも潤沢な研究資金を提供してきた全米科学財団(NSF)は、昨年から助成先の選定に新たな分析ツールを導入し、潜在的な利益相反のリスク判定に用いている。

「朱の外国での共同研究や所属先は特定でき、情報機関や司法当局にも共有された」。NSFのレベッカ・カイザーは本誌にそう語り、「NSFがこうした安全保障上のリスクに気付いたのは、彼への研究助成が終了する間際だった」と弁明した。

なお本誌の知る限り、朱は現時点でいかなる法令違反にも問われていない。また朱自身や彼の所属先からのコメントは得られていない。

米中から資金を二重取り

本誌の調べでは、朱に助成金を出していた政府機関には国防総省の防衛先端技術研究計画局(DARPA)や海軍、陸軍が含まれる。

朱は統計学とコンピューターの専門家としてUCLAに18年間在籍し、2020年に中国に帰国するまでの約10年間、アメリカ政府の資金提供を受けていた。また国防総省の助成金ウェブサイトによると、帰国後の21年にも2件の助成金が支給されている。

1件は「自律型ロボットや捜索・救助任務など、国防総省にとって重要」な「高次のロボット自律性」の研究で、総額69万9938ドル。

もう1件が「地上および空中のセンサーによる情報収集・監視システム」のための「認知ロボットのプラットフォーム」構築を目的とする研究で52万811ドルが支給されていた。いずれも米海軍研究局からのもので、筆頭研究者に朱の名前がある。

「中国は巨大なシステムを通じて、アメリカ政府の資金で行われた研究から技術やノウハウを引き出している」と警告するのは、非営利団体「センター・フォー・リサーチセキュリティー&インテグリティ」のジェフリー・ストッフ所長。

さらに深刻なのは資金の「二重取り」だと言う。アメリカの公的資金を得ていながら、同じ研究で中国政府の資金も受け取り、中国の利益のために働いているケースだ。

中国の指導部は、人民解放軍が技術や能力においてアメリカやその同盟国の軍隊を凌駕することを目指すと公言している。AIはその核心部分だ。

中国は習近平(シー・チンピン)国家主席の言う「100年に一度の大変革」を追求し、ロシアやイランなどアメリカと対立する国々との関係を強化しつつ、今世紀半ばまでに経済や地政学の分野だけでなく技術面でもアメリカをしのぐ存在になることを目指している。

技術情報移転への危機感

ドナルド・トランプ前米大統領の時代には米中関係が極度に悪化し、アメリカにいる中国人研究者に対する監視の目が厳しくなった。政権末期の20年には、中国軍と関係のある中国人大学院生の入国を禁じている。

現大統領のジョー・バイデンも、中国によるアメリカ製技術の取得を懸念し、AI技術など機密性の高い技術の移転に制限を課している。

この問題の重要性に鑑みて、バイデンは10月30日に大統領令を発し、「アメリカがこの領域で先頭に立って」安全性とセキュリティーの基準を高める意図を表明した。

これに先立ち、10月17日にはアメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの機密情報共有ネットワーク「ファイブ・アイズ」が異例の共同声明を出し、中国への大規模な技術流出に強い懸念を表明している。

20年に中国に戻った後、朱はさっそく「北京通用人工智能研究院(BIGAI)」を創設した。彼は国政助言機関「中国人民政治協商会議」の一員として、最先端のAI研究を「科学技術分野における今後10~20年にわたる国際競争の戦略的最高峰」と位置付ける提案書を出している。

その提案書で朱は、最先端AIの影響力を「情報技術分野における『原子爆弾』に匹敵する」ものと表現し、「わが国が真に普遍的な人工知能の実現をリードできれば国際的な技術競争の勝者となるだろう」と強調している。

彼は昨年12月に設立された「北京大学武漢人工智能研究院」の首席研究員でもある。

匿名を条件に取材に応じた米国防総省の当局者は、朱への助成金拠出の事実をおおむね認めたが、「助成金の対象には複数の研究者が含まれ、朱に渡った分はごく一部」だと語る。「助成金は研究機関に提供されるもので、対象になるのは一個人ではなく複数の研究者」とも付言した。

さらに、助成金を通じた国際協調には世界中から最高の人材を集めることができるなどの「利点」があり、現にアメリカで科学技術系の大学院を修了した中国人留学生の90%は卒業後も米国内に残っているという。

こうしたオープンな研究環境から斬新なアイデアが生まれ、それが自国の利益になっていると述べた。

NSFは過去に、朱が筆頭研究員または共同筆頭研究員とされている13件の研究プロジェクトに総額500万ドル以上の助成金を提供している。対象となったのはコンピュータービジョンや認知機能に関する研究で、AIを人間並みのレベルに引き上げるには必須の技術とされるものだ。

しかし朱の論文や共同研究者、海外での所属先などを調べたところ、利益相反の疑いが生じた。それでNSFとしては、彼の立ち位置に懸念を抱くようになったという。

技術流出は将来に影響

NSFのカイザーによれば、「千人計画のメンバーで正式な所属先や資金源、海外で取得した特許を公表していない研究者」を調べたところ、朱の名前が浮上した。ただし朱の情報を諜報機関や司法当局と共有した時期については明らかにしなかった。

UCLAによれば、朱を筆頭研究員とするプロジェクトに対する助成金の総額は過去15年で約2200万ドルに上る。

同校の広報担当者リカルド・バスケス名義の声明によれば、朱がUCLAを退職したのは中国に戻ってから2年後の22年10月。現在はいかなる団体からの助成金も彼に渡していないという。

だがUCLAのウェブサイトなどによれば、朱は現在も同校の名誉教授であり、AI研究所に在籍する博士課程の学生(その多くが中国人)を指導する立場にある。

学術的な研究を通じた技術流出の規模を金額に換算するのは難しい。それが軍事面や経済面に及ぼす影響は、かなり時間がたってからでないと分からないからだ。

センター・フォー・リサーチセキュリティー&インテグリティのストッフは、「朱のケースはこの問題の複雑さを示す典型的な例」だと指摘する。

「彼はアメリカにとって極めて重要なAI分野の専門家で、だからこそ国防総省などから多額の助成金を受け取ってきた」が、その巨額の投資に見合う利益があったかどうかは疑問だ。

なぜなら「朱はその後、中国で研究所や企業を設立し、そこに自分の育てた大学院生やポスドク研究員を集めている」からだ。

米シンクタンク「安全保障・新興技術センター」によると、アメリカで学んだ後、この数年で中国に帰国したAI専門家はほかにもいる。

例えばマイクロソフトの元執行副社長ハリー・シャム(中国名は沈向洋〔シェン・シアンヤン〕)や、カリフォルニア大学バークレー校など米国内の複数の一流大学で教鞭を執った蒲慕明(プー・ムーミン)。

そしてマサチューセッツ工科大学(MIT)で教鞭を執り、00年にコンピューター科学におけるノーベル賞といわれるチューリング賞を受賞した姚期智(ヤオ・チーチー)も中国に帰ってしまった。

中国とのつながりを公表していなかった研究者がアメリカの情報機関や司法当局に目を付けられたケースも、朱が初めてではない。本誌の調べでは、ある連邦政府機関が安全保障について懸念を抱き、22年に国内の6つの大学を調べたところ、どの大学にも3~5件の疑わしい事例があったとされる。

懸念や疑念のある研究プロジェクトに関しては、当局が助成金の返還を求める例も増えている。

スタンフォード大学は10月初め、教授会所属の12人に対する外国からの支援について公表しなかったことを司法省に指摘され、190万ドルの返還に合意した。

本誌の調査によると、この12人には著名なアメリカ人化学者リチャード・ゼアーが含まれていた。彼は筆頭研究者として陸軍、空軍、NSFから380万ドルを得ながら、中国の国家自然科学基金からも資金を受け取っていた。

ゼアーは上海にある復旦大学の「高度人材計画」のメンバーにも選ばれていた。

大物はほかにもいる。

やはりアメリカ人化学者であるチャールズ・リーバー(ハーバード大学教授、休職中)は、中国の「千人計画」との関係について政府当局にウソを述べ、武漢理工大学で有給の職に就きながら申告せず、法律で義務付けられた所得の申告を怠ったとして20年に逮捕され、今年4月に未決勾留期間に加えて罰金を科されている。

「国防七校」で指導教官

朱とアメリカの縁は深い。中国の大学でコンピューター科学を専攻し、卒業してからアメリカに留学した。1996年にハーバード大学で博士号を取得し、ブラウン大学、オハイオ州立大学、スタンフォード大学に職を得た。

2001年には海軍から若手研究者を対象とする賞(賞金額は今なら75万ドル)をもらい、NSFからも新進気鋭の研究者として34万ドルを授与されている。03年には、コンピュータービジョンの分野で優れた論文を表彰する「マー賞」を贈られた。

その一方、中国でも多くの役職に就いていた。04年には武漢近郊の故郷・鄂州(がくしゅう)で、前出の沈(今でもマイクロソフト社の「名誉研究員」だ)と一緒に「蓮花山計算機視覚与信息科学研究院」を設立した。

中国の国営メディアなどによると、夏休みの間は中国に滞在し、それ以外の時期も中国の研究者と連絡を取り合うのが通例だったらしい。

10年には鄂州出身者として初めて、中国共産党の主導する「千人計画」のメンバーに選ばれた。

「戦略的科学者、および重要技術において突破口を開き、ハイテク産業を発展させ、新興の研究分野を推進できる指導的な科学技術分野の人材」を海外から中国に帰還させるのが「千人計画」の目的とされる。

朱はまた、中国の軍事研究と防衛産業を支えるという使命を掲げる7つの大学、通称「国防七校」(「国防七子」とも)の1つである北京理工大学で、博士課程の指導教官と研究員も務めていた。

UCLAでの教え子の多くも、今はBIGAIで朱に合流している。その一人である劉航欣(リウ・ハンシン)は、BIGAIのウェブサイトに掲載された情報によると、ロボット工学研究部門のチームリーダーだ。

そこではUCLAと似た研究計画で、例えば人間の知的行動を支える「認知アーキテクチャ」を解明し、知覚や推論、運動の準備を通じてロボットに自律性を持たせるための研究が続けられている。

ちなみに、アメリカ政府の助成金を得て朱が(教え子や同僚と共に)進めた研究の成果は、今も複数の論文で発表され続けている。

22年のある論文は、画像や動画データの「外観と幾何学的情報を分離」し、「色や照度、アイデンティティー、カテゴリー」を識別することを目的としていた。

筆頭著者はハルビン工程大(やはり国防七校の1つだ)の邢向磊(シン・シアンレイ)。共著者には朱や、以前に朱が属していたUCLA統計学部の呉英年(ウー・インニエン)教授らが名を連ねる。

そして末尾の謝辞欄には、助成金の提供元としてDARPAとNSFに加え、中国の国家自然科学基金と黒龍江省自然科学基金の名があった。

呉英年教授が率いるUCLA視覚・認知・学習・自律性研究所の面々 CENTER FOR VISION, COGNITION, LEARNING, AND AUTONOMY, UNIVERSITY OF CALIFORNIA, LOS ANGELES

ディディ・キルステン・タトロウ(国際問題・調査報道担当)

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