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組み立て式で「エアレス」!? UEFA公式球も製造する日本企業が不思議なサッカーボールを作った理由

ニューズウィーク日本版 2023年11月10日 17時40分

<UEFAヨーロッパリーグ公式試合球も製造する広島のメーカー、モルテン。これまでの「ボール寄贈」の問題も解決し、新たな価値創造を実現したSDGsプロジェクトの裏側に迫る>

世界の競技人口が約2億6000万人とも言われるサッカー。広島県広島市に本拠を構えるモルテンは、UEFAヨーロッパリーグの公式試合球をはじめ、競技用サッカーボールで高いシェアを誇るスポーツ用品メーカーだ。

2021年、モルテンは「MY FOOTBALL KIT」という組み立て式サッカーボールの提供を開始した。今年5月には、それに続く組み立て式のゴールキットも発表している。

「サッカーボールが組み立て式!?」と不思議に思うかもしれないが、この新しいサッカーボールの開発背景には、SDGsが大きく関わっている。「MY FOOTBALL KIT」の起案から責任者としてプロジェクトを推進してきた内田潤氏に話を聞いた。

スポーツ事業本部 MT FOOTBALL KIT グループリーダーの内田氏。小学校から大学時代までサッカーに熱中し、入社後もサッカーボールの商品企画や開発に従事してきた

「きっかけは社内の戦略研修でした」。選抜された社員が月に一度、各回のテーマを学びながら、約2年を通じて事業提案を繰り返していくもの。研修への参加と時を同じくして、UEFAの公式球への採用が決定し、サッカーボール事業で海外シェアを今後どのように伸ばしていけるのかというミッションも、内田氏にはあった。

カンボジアの調査訪問で知った現実

研修やリサーチを進めていく中で、SDGsはもとより、環境問題や国内外のESG投資市場規模の広がりも視野に入ってきた。従来のボール製造やマーケティング活動の延長線だけでは終わらない、社会課題を解決できるモノ作りとは? モルテンに可能な価値創造とは?――そのような視点で事業を捉え直す契機になったという。

モルテンのスポーツ用品事業には「For the real game」というブランドステートメントがある。本物のスポーツを実現するために現場の声を徹底的に知り大切にする、製品や企業活動の信念や姿勢を示した約束だ。

現代サッカーは欧州のサッカー市場を頂点とし、イングランド、ドイツ、スペイン、イタリア、フランスの5大リーグに憧れを抱く世界中のファン、アジアやアフリカの多くの人たちに支えられている。その裾野を知る目的で行ったカンボジアへの調査訪問が「MY FOOTBALL KIT」の構想に近づく大きな機会となったそうだ。

2005年に国内リーグがプロ化されたカンボジアでも、サッカーは大人気だ。「現地の子どもたちにとって最適なボールなどのグッズを考える」を当初の調査テーマにしていた内田氏だが、子どもたちへのインタビューや現地での体験を経て、その問題意識は大きく転換することになった。

ボールの良し悪しよりも前に、大好きなサッカーで将来の夢自体を描けないほどの生活環境や社会状況に起因する子どもたちの自己肯定感や自己効力感の低さに気づかされ、その解決策も考えるようになったのだ。

一方、これまでにも日本から支援の一環として、ボールや道具を途上国に寄付することはよくあった。寄贈するためのボールを安く大量に製造できないかという相談を引き受けることも多々あった。ただ、裾野にあるのは、現地でボールがパンクしたときに修理をすることが難しかったり、輸送するための梱包が嵩張りコスト増につながったりと、ボールを贈るだけでは解決しない問題だ。

そこで内田氏は、ただボールを贈るだけではなく、贈った先にいる子どもたちが成長するきっかけを届けること、そして環境に配慮した素材で「エアレス」なボールを開発し、その持続可能なボールを提供することという2つのコンセプトにたどり着く。モルテン社内でもこれまでにない挑戦的なプロジェクトの枠組みとして始まったという。

nendoが参画、組み立て式を採用した利点

企画の初期段階からデザインパートナーとして参画したのは、東京オリンピックの聖火台やフランス高速鉄道TGVの内装、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の「日本館」総合監修等で世界的な評価を得ている佐藤オオキ氏率いるデザインオフィス「nendo」。nendoから提案された複数のプロダクトデザインから、竹鞠やセパタクロー(ネットを挟み、足や頭を使ってボールを相手コートに返し合うスポーツ)のボールの構造に着想を得た、組み立て式の案を採用した。

デザイン案の構造を実現するエンジニアリングはもちろん、モルテンらしい使用感にもこだわり、大きく5段階くらいの開発ステップを経ながら、試作のプロトタイプは100パターン近くにも上ったそうだ。

素材は再生ポリプロピレン約70%に、エラストマーを配合。社内エンジニアとも試行錯誤しながら、工具は使わず、3種類のパーツを開発した。再生紙の組み立て説明書は、イラストを主体にして「無言語化」されており、色弱の人にとっても見やすいようなデザイン。全ての子どもたちが考えて組み立てられる仕様になっている

nendoとの共同開発による組み立て式を実現したことでパーツのまま運ぶことが出来るため、結果的に輸送コストの削減にもつながった。また社員同士の対話からアイデアも膨らみ、燃やしたときに有害物質を発生させない不織布バッグを採用。イラストを主体にした説明書も再生紙にするなど、製品以外にも環境配慮を採用していった。

そして、学習塾「花まる学習会」代表の高濱正伸氏からアドバイスを得て、自らが考えながら組み立てることで、立体認識や空間認識力、論理的に考える力を自然と身につけることができる、教育的にも貢献できるサッカーボールというお墨付きももらえた。

モルテン全社のSDGs意識にも良い影響

「贈るだけではなくて、教育や成長を届ける」というこの新しいサッカーボールは現在、従来の一般販売の方式ではなく、企業による協賛支援のビジネスモデルをベースに着実に受注数を伸ばしている。

さらには、予想外の嬉しい効果もあった。モルテンはスポーツ用品だけではなく、自動車部品や医療・福祉機器も製造しているが、これまでスポーツ事業と協業することがなかった自動車業界からも、このコミュニケーションプロダクトの誕生によって、新しい取り組みが始まるケースが増えたという。

試作段階でカンボジアや南アフリカ、日本をはじめモニタリングを実施しながら改善していった。言語や国境を超え、ボールとして安心して楽しめて、誰もが組み立てられる。これまでにないコンセプトのモノづくりとなった

内田氏によれば、「MY FOOTBALL KIT」プロジェクトの成功を通じて、モルテン全社のSDGs意識に良い影響も与え始めているという。2022年11月の新社屋「[the Box]」への引っ越しを機に、全社的に完全ペーパーレスに移行し、サッカーボールを包装するシュリンク(透明フィルム)も廃止。国内のリーディングカンパニーが過剰包装をいち早くやめたことで、業界内のスタンダードも変わりつつあるという。

「MY FOOTBALL KIT」は現在、サッカー以外の球技への展開も少しずつ始まっている。競技の垣根にも、途上国向けという当初のターゲットにも、もはや縛られることはない。モルテンの新しい価値創造から、まだまだ目が離せなさそうだ。

第2弾として発表したゴールは、オリジナルな組み立て方もできる仕様で、子どもたちの創造力を活かしながら自由な発想で遊ぶことができる

■どんな構造? 動画で見る「組み立て式のサッカーボール」




井上 拓

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