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「横暴な区長」を謝罪に追い込んだ「生活保護」シングルマザーたち...英国で実際に起きた事件を知っていますか?

ニューズウィーク日本版 2023年11月23日 17時12分

<生活保護受給者は「ずるして生きている」と叩く風潮が薄まり、助け合いの機運がイギリスで強まりつつある理由とは>

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で大きな話題を呼んだライター・コラムニストのブレイディみかこさん。新刊『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』(筑摩書房)で扱うのは、ロンドンで実際に起きた占拠事件です。ロンドンオリンピックの2年後の2014年、オリンピックパーク用地だったホームレス・シェルターを理不尽に追い出されたシングルマザーたちは、空き家になっていた公営住宅を占拠し、勝手に修理して住み始めました。彼女たちが求めていたのは、少しばかりのリスペクト。最終的には区長を謝罪に追い込んだシングルマザーたちの行動は、大衆自ら現状を変えることができるのだという希望を感じさせます。

東京オリンピックからちょうど2年後、政治に対するあきらめムードが蔓延する今の日本でこそ読みたい一冊です。インタビューの前編では、在英27年目となるブレイディさんならではの視点で、本作に込めた想いや、イギリスのいまについて語っていただきました。(※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です)

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久しぶりに目にした、小気味いい事件

──社会的に弱い立場に立たされた人へのリスペクト、自分自身を含めたあらゆる人へのリスペクトを喚起する本作を大変興味深く拝読しました。まずは『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』を書こうと思ったきっかけを教えていただけますか。

『リスペクト──R・E・S・P・E・C・T』
 著者:ブレイディみかこ
 出版社:筑摩書房
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きっかけはいろいろありますね。この本は本当にあった事件をベースにした創作なんですけれども、この本よりも前に同じ事件をYahoo!ニュース個人の記事で取り上げたことがあったんです。それが『ヨーロッパ・コーリング 地べたからのポリティカル・レポート』(岩波書店)に収録されて出版されて、プロモーショントークイベントでアナキズム研究がご専門の栗原康さんと対談する機会がありました。あの頃のイギリスで起きていたいろんな政治的な事件を扱った中で、栗原さんが一番面白いと言ったのはこの事件でした。「一番面白かったのはお母さんたちの話だ。すごくアナキズムを感じる」と。その言葉がとても印象的でした。

ライター・コラムニストのブレイディみかこ氏(flier提供)

私もこの事件にはとても勇気をもらいました。社会運動というと、大学の研究者や知識人が中心になることが多くて、地べたの人が立ち上がった運動ってなかなかないですよね。どこかの政党に支援されるのでもなく、当事者が自分たちで立ち上がって、自分たちで空き家になった公営住宅を占拠して、公営住宅の持ち主である区と争って、最終的には区長の謝罪文が全国紙に載ったんです。生活保護をもらいながら子どもを育てているシングルマザーは、イギリスでは偏見を持たれている、弱い立場の人たちです。そういう人たちがなにくそって立ち上がって、区長を謝罪させたなんて、痛快ですよね。久しぶりに小気味いい事件があったなと思って。こんなことがイギリスでは現実に起きたんだよということを日本の人たちにも伝えたいなと思いました。

──たしかに本物の事件の展開自体がドラマのようです。

そうですね。今回の小説では登場するキャラクターは私の創作ですが、このグループのやったことはほぼ実話です。2階建てのバスを借り切って歌いながら市長に会いにいったり、秘書が出てきて署名を受け取ってくれたり、区長にとても冷たくされたり、労働党のファミリーデーで演説していたら区長に激怒されて出て行けと言われたというのも、全部本当にあったことをそのまま書いています。こういうことが現実に起きたということがまずすごいし、シングルマザーたちを市民が支援したというのもすごいですよね。占拠時にたくさんの物資が支援で集まったというのも、水回りの修繕のワークショップが開かれたというのも実際にあったことです。日本だとちょっと考えられない話ですよね。

──シングルマザーたちにもモデルがいるように感じていたのですが、創作なのですね。

運動に関わっていた女性たち自身がどういう経緯でホームレスになったかを明かしたことはありません。ただ、この本での表紙になっているリーダー格の女性は保育士として働いていたとは言っていたのと、こんな運動なんて全然やったことはなかったし、気が弱くて自分の思ったことを言えない性格だったのが、運動を通して変わったという話もしていたので、参考にしている部分もあります。

でも、キャラクターの大部分は創作です。運動の中心になった Focus E15 という団体は今も活動を続けているのですが、メンバーがずいぶん入れ替わって、シングルマザーの団体ではなくなっているんです。事件当時のメンバーはもうバラバラになっていて、作中と同じように実際に北部に行かされた人もいます。その上、この連載を始めたのがコロナ禍だったので、運動のメンバーを探し当てて取材をするのは現実的ではありませんでした。そうした事情もあって、この事件を小説として書くことにしました。

ただ、こういう運動をした人たちは実在しているわけなので、現実からかけ離れた人物にするわけにもいきませんでした。そこで『子どもたちの階級闘争』という本に書いた託児所に勤めていたときに出会ったシングルマザーたちを参考にすることにしたんです。もともと貧困者支援の団体の中にある無料の託児所だったので、そこにはシングルマザーがすごく多かったんです。本当に貧しい人や依存症から回復中の人、10代で子どもを産んだ人など、それぞれ問題を抱えて苦労している話をよく聞いていました。ブライトンの貧困支援の団体で働いていた私がそこで受け取った感触と、ロンドンのシングルマザーの世界はきっとつながっている。だから、託児所で出会った人たちのことを考えながら作ったら、きっとそこまでかけ離れたものにはならないだろうと思いました。

『子どもたちの階級闘争』
 著者:ブレイディみかこ
 出版社:みすず書房
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──実際の事件を扱うことには気を遣うことも多かったのではないかと思いますが、気をつけた点はありますか。

一番意識したのは、日本人のキャラクターを出すということです。たとえば、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で出てくるうちの息子のことを、読者の方は日本人の子どもとして見ていらっしゃるようなんです。自分の子どものような気がすると言って読んでいる人もいたくらいで。あの本がもしイギリス人の家庭の話や、日本以外の国からの移民の話だったら、日本の読者はそんなに共感できなかったろうと思います。今回は運動小説で、日本の人々の常識からすれば過激とも取られかねないですから、なおさら日本人の目線が必要だと思いました。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 著者:ブレイディみかこ
 出版社:新潮社
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──たしかに、冒頭のシングルマザーのスピーチで貧困層の思いをぶつけられた直後、裕福そうな日本人記者・史奈子の視点に切り替わる流れが絶妙でした。史奈子が運動を冷ややかに見つめているからこそ、話に入りやすかったように思います。

日本で運動をすると、「変なことをやっている人」「面倒くさい人」というふうに偏見の目で見られがちですよね。公営住宅の空き家を占拠するというこの運動が、単なる不法行為を行っている、われわれとは考え方が違う国の人々の話と捉えられてしまったら、何も共感してもらえず、ヒントを得てもらうこともできないと思ったんです。だから、日本人の目線で道案内をしてくれるキャラクターを出すことにしました。

日本人は人権について教わっていない?

──本の中では、運動のつらい部分についても書かれていますよね。差別を受けたり、自己責任論にさらされたり。日本でも若い世代が似たような発言をしていて衝撃を受けたことがあります。「ホームレスになったのは自己責任だ」「どうして働かない人を税金で養わないといけないんだ」など。

日本でそういうことを言ってしまう人がいるのは、教育の影響も大きいかもしれないですね。この本でも史奈子が疑問に思っていますよね。貧しい人でも借りられてそこで生活できるような家賃を設定することは本当に政府の仕事なんだろうか、手頃な住宅を供給される権利なんて私たちにあるんだろうか、お金持ってる人が高い家賃を払っていい場所に住むのは当たり前のことで、お金のない人は出ていくべきなんじゃないかって。これは居住の権利を知らないということです。

私の世代は教わっていないんですけど、居住の権利というものが国際条約で認められています。日本でも憲法で「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が保障されていますよね。社会権規約委員会は、住居が適切な権利と言える条件として、「取得可能性」を挙げています。これは、家賃が手頃であることや、法外な値上げは許されないといったことが含まれています。こういうことって、うちの息子は中学校で習ったらしいんですよ。イギリスは、基本的人権とはどういうもので、私たちは国に何を保障させるべきなのかを学校で教えたうえで、「さあ、国がそれを保障していないと思うならかかってこい」みたいなところがある。

生活保護をもらっている人に対して、「自分が悪いんじゃないか」とか、「税金の世話になるべきじゃない」という人もいますけど、国は生存権を保障する義務があるからそうしているわけですよ。それが嫌なら国連を脱退しろって話になっちゃうわけで。

──たしかに、人権について理解していたら出てこない発言ですね。

『THIS IS JAPAN : 英国保育士が見た日本』(新潮社)という本を書いたときに、自立生活サポートセンター・もやいさんという貧困支援団体でボランティアをさせていただいたことがあるんです。ボランティアの最初の説明会があって、説明の後に質問を受け付けるという場面で、後ろの方に座っていた大学生くらいの女の子が立ち上がって「さっきから人権、人権って言われていますけど、人権って一体何ですか?」って言ったんですよ。彼女はきっと、人権について教わったことがなかった。だから、どういう人権があって生活保護につながるのか、貧困者にどういう人権があるのかがわかっていなかったんです。

イギリスで大学生が「 “human rights” って何ですか?」と言うことは想像しづらいですね。よく知らない、教わっていないということの影響は大きいのでしょうね。

──イギリスでは意識の違いを感じられますか?

イギリス人がみんな同じというわけではないので、いろんな考えの人がいるということが前提にはなりますが、生活保護バッシングやシングルマザーバッシングがひどい時代はありました。でも、私は最近不思議に思っているんですけど、去年から今年にかけてのイギリスの雰囲気がちょっと違うんですよ。

生活保護をもらっている人を「ずるして生きている」と言ってバッシングしだすときはたいてい、みんな生活が苦しくて、何かはけ口が欲しくて、下の者がさらに下の者を叩くという構図が多いと言いますよね。だから、弱者にやさしい時代は、経済的にみんな余裕がある時代だと思われてきました。でも最近のイギリスは、みんなめちゃくちゃ生活が苦しくなっているからこそ、助け合うというような機運が生まれている気がするんです。だから、生活保護バッシングは最近あまり聞かなくなっています。この気運はどこから来てるのかなと私も今考えているところです。

■この記事の続きを読む:「理解できない人」を侮辱しない...「泣き寝入り」しない人たちを批判するのではなく、リスペクトを

『リスペクト──R・E・S・P・E・C・T』
 著者:ブレイディみかこ
 出版社:筑摩書房
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ブレイディみかこ(ぶれいでぃ みかこ)

ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年、『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で第16回新潮ドキュメント賞受賞。2018年、同作で第二回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第73回毎日出版文化賞特別賞受賞、第二回Yahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞、第七回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)受賞。著書は他に、『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』『ジンセイハ、オンガクデアル──LIFE IS MUSIC』『オンガクハ、セイジデアル──MUSIC IS POLITICS』『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(ちくま文庫)他多数。

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flier編集部

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