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危うさを含んだ「正義」の行使...「自警団系ユーチューバー」を自警団成立の歴史から考える

ニューズウィーク日本版 2023年11月14日 11時20分

<「世直し系」「私人逮捕系」と呼ばれるユーチューバーの行動が話題となっているが、民間人の行使する「正義」にはときに危うさが含まれてきた。国内外の自警団成立の歴史を紐解くことで、この問題について考える>

インターネット上には、さまざまな動画が流れている。中には、他人の行為を犯罪と決めつけ、取り押さえたり、謝罪させたりする様子を撮影した動画もある。こうした動画を流す人たちは、自警団系ユーチューバーとか、世直し系ユーチューバーなどと呼ばれている。

この種の配信に対しては、「よくやった」と支持する人がいる一方、「やり過ぎ」と批判する人もいる。法的にも、刑事訴訟法が現行犯を民間人でも逮捕できるとして合法と見る人がいる一方、肖像権の侵害や暴行罪になる可能性が高いと言う人もいる。

 

危うさを含んだ正義の行使をめぐっては昔から賛否両論があり、市民活動やボランティア活動として行えるのかが議論されてきた。以下では、その歴史を紐解き、自警団系ユーチューバーの問題を考える素材を提供したい。なお、自警団系ユーチューバーは正義の名目で金儲けをしているにすぎないという批判もあるが、ここではその議論はしない。無償の自警団系ユーチューバーも想定できるので、論点がずれるからだ。

日本警察の性格と自警団の歴史

言うまでもなく、犯罪を取り締まるのは警察である。かつて日本がそのモデルとしたのは、イギリスの「市民の警察」ではなく、フランスの「政府の警察」だった。そのため、一般大衆を監視し、その意識を国家秩序へ再編成するのが警察の目的だった。日本警察の生みの親である川路利良も、日本の一般大衆は開化されていない子どもだから、警察が育ててやらなければならないと考えていたという。

このように、日本の警察は、高圧的な性格を帯びて出発した。しかし、東京市の交番の8割が襲撃された日比谷焼打事件など、一般大衆の反警察感情が露出し、警察はそれまでの高圧的態度の修正を余儀なくされる。そのため警察は、一般大衆と警察の距離を縮めようと、市民による自衛組織の結成を推進した。その結果、全国各地で青年団、在郷軍人会、消防組を核とする自警団が誕生する。

ところが、自警団は、1923年の関東大震災の際、歪んだ形で注目される。震災による混乱と不安の影響で、自警団の数は東京府だけでも1,593に上った。自警団に参加した人たちは、刀、竹槍、銃、鍬などで武装し、通行人の検問などを行った。自警団の中には、朝鮮人来襲の流言によって暴走し、朝鮮人を虐殺する蛮行に及んだものもあった。そのため、警察は自警団に武装解除を命じ、殺人容疑などの理由で自警団員を検挙した。

もっとも、警察は自警団を高く評価し、それを活用しようとしていたため、裁判では被告人のほとんどが無罪あるいは執行猶予になった。このように、日本の自警団の成立には、震災によるパニックという自然発生的な要素が影響したものの、それ以前に全国各地で進められていた自衛組織づくりという国の政策が大きな役割を演じた。この点が、英米の自警団の成立過程と異なるところだ。

震災時に一部の自警団に見られた逸脱について、警察は統制が弱かったために生じたと考えた。そのため、自警団に対する監督が強化され、自警団は警察の下部組織としての性格を強めていった。1940年には、全国的に町内会の整備が図られ、町内会も市町村行政の下部機構と化した。こうして、一般大衆は権力構造の末端に編成され、市民の警察化が戦時体制の深化とともに完成していく。しかしそれも、敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)によって否定されることになる。

 

このように、かつて日本では、自警団系ボランティアの暴走があった。もっとも、その程度がより著しいのは、国家としては後発のアメリカだ。

処罰が徐々にエスカレート

そもそも、自警団員(vigilante)という単語は、寝ずの番(vigil)、用心深い(vigilant)、警戒(vigilance)と同じ語源のラテン語から派生した語だ。したがって、自警団員による活動は非合法的・超法規的であるとか、自警団員による活動に処罰が含まれると考える必然性はない。しかし実際には、自警団の歴史は手に負えない運動の事例に満ちている。

特に、刑事司法制度の整備が辺境で遅れた18~19世紀には、法を擁護するため法を犯すことは必要だとして、超法規的な活動が自警の主流になった。実業家、知的職業人、富裕農場経営者から選ばれたリーダーの下、自警団は、疎外された人々によって開拓地が乗っ取られることを恐れて、馬どろぼう、強盗、偽金造り、放火魔、殺人者、奴隷、土地略奪者などと戦った。

自警団による処罰についても、当初は、むち打ちと追放が一般的だったが、やがて絞首刑が通例になっていった。そのため、リンチの意味も、1850年代に、むち打ちから殺害へと変わった。1767年から1910年の間に、700人以上が自警団によって処刑されたという。

20世紀になると、カトリック教徒、ユダヤ人、黒人、急進論者、あるいは労働運動のリーダーを標的とする自警団が勢力を伸ばした。さらに、1960年代になると、「ブラック・パンサー」と名乗る黒人の武装自警団が注目されるなど、自警団の数も急増した。

アメリカとイギリスの自警団に共通するのは、地域の名士が安価で迅速な安全確保のメカニズムを創出するため設立した点と、社会変動期に出現した点である。ただし、社会変動が空間的形態を取ったアメリカでは、辺境の開発による刑事司法の機能不全が背景にあったが、社会変動が構造的形態を取ったイギリスでは、産業化と都市化による刑事司法の機能低下が背景にあった。

さらに、アメリカの自警団が、しばしば法が許す範囲から逸脱したのに対し、イギリスの自警団は、法に対する執着を保持し続けた。もちろん、イギリスでも、自警団の暴走がなかったわけではないが、アメリカに比べれば、低いレベルだった。イギリスの自警団が警察と協調的なのは、イギリスが近代警察発祥の地であるという歴史が影響している。

 

アメリカもイギリスを追随

そもそも、安全確保活動(policing)という単語は、政治形態(polity)、政治学(politics)、政策(policy)と同じ語源、すなわち、ギリシャ語の市民政体(polis)から派生した語である。したがって、安全確保活動は、国家の法的機能というよりも、むしろ市民社会の政治的機能に関連するものだ。

そのため、安全確保活動を国家機関が独占的に演じる役割と考える必然性はない。実際、警察(police)という単語も、18世紀になって、秩序維持という特定の機能を指すものとして使用され始め、まもなく特定の職員を明示するものとして限定的に用いられるようになった。したがって、それ以前、つまり、警察という語が現在のように用いられる前には、民営の安全確保活動が重要な役割を演じていたわけだ。

それはともかく、アメリカも国家として成熟するとともに、イギリスのように、自警団が警察と協働するようになった。というのは、地域社会は、自警団より警察力の増強を望んでいたからだ。地域にとって自警団は、法が許す範囲から逸脱したり、不適格な者の参加を認めたりする組織に映っていたのである。

協調的な自警団として代表的な組織は、1979年にニューヨークで創設された「ガーディアン・エンジェルス」だ。日本でも、1996年に日本ガーディアン・エンジェルスが設立されている。

ガーディアン・エンジェルス創設者のカーティス・スリワ(右)とニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ 筆者撮影(1998‎年)

前述したように、日本の自警団は、町内会といった伝統的な住民組織を基盤にし、特定の地域社会において活動している。対照的に、ガーディアン・エンジェルスは、近代的な市民活動団体として、特定の地域社会を越えて活動している。

ガーディアン・エンジェルスの活動は、国連平和維持活動(PKO)に似ている。というのは、伝統的なPKOは、受入国の同意の下に、武力行使ではなく、国連のプレゼンス(存在)の展開によって平和を維持するが、ガーディアン・エンジェルスも、受入地域の同意の下に、武力行使ではなく、団体のプレゼンスの展開によって犯罪を防止するからだ。

そのため、ガーディアン・エンジェルスのメンバーは、高圧的な態度を取らない。トラブルになりそうな行為を見つけても、「どうしました?」という援助のスタンスで近づく。プレゼンスを示すことで、トラブルへのエスカレーションを防ぐやり方だ。

 

以上、自警団の歴史を見てきた。そこから分かることは、自警団の組織が成熟している、あるいは自警団への統制がしっかりしている場合には、過激主義や暴力主義といった問題が発生しにくいということだ。これは、防犯協会のような地縁型住民組織でも、ガーディアン・エンジェルスのような志縁型市民組織でも、どちらにも当てはまる。

しかし、自警団系ユーチューバーは、基本的に組織には所属していない。したがって、組織が正義を決めるのではなく、個人が正義を決めている。その結果、正義は多様な形を取ることになる。しかし、正義の多様化は秩序にとってマイナスだ。もっとも、秩序が正義なのか、それとも正義が秩序に優先するかは、議論が分かれるところである。自警団系ユーチューバーをめぐる議論は、私たちに究極の選択を突き付けているのかもしれない。



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