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【MVP記念】100年の歴史に残る2023年の大谷翔平、その軌跡と舞台裏――地元紙の番記者による独占レポートを全文公開

ニューズウィーク日本版 2023年11月18日 18時10分

<WBCでは日本を優勝に導き、シーズンでは日本人初の本塁打王と2度目のMVPに輝いた。球史を変えたショータイムを密着取材>

■本誌2023年10月10日/17日号(10月3日発売)「2023年の大谷翔平」特集より

あの晩は眠れなかった。2017年の12月9日、大谷翔平とロサンゼルス・エンゼルスの契約合意が発表された日だ。当時、私はMLB取材歴20年だったが、こんな選手はどのチームでも見たことがなかった。だから私は夜通し思いを巡らした。この男から、いったいどんなストーリーが生まれるのかと。

ベーブ・ルースが投打で2桁の偉業(13勝、11本塁打)を成し遂げたのは100年前(1918年)。以来、そんな離れ業に挑む選手は皆無に等しかった。そこに大谷が現れた。私には、記者として最前列で歴史を見届けるチャンスがあった。

あれから6シーズン。今も私は大谷ゆえに眠れぬ夜を過ごしている。私が夢にも思わなかったことを、彼が次々と成し遂げているからだ。

MLBで長きにわたり二刀流で成功する選手が出なかったのは、球団がそんなことは不可能と信じていたせいでもある。

メジャーのレベルになると競争が激しく、投手であれ打者であれ、成功するには努力の100%をどちらかに集中するしかない。時間を分割して両方に挑み、両方でいい成績を残すことなど誰にもできない。私もそう信じていた。

18年の春のキャンプで、初めてエンゼルスの練習に参加する大谷を見たが、そのときもこの若者が二刀流で成功するという確信は得られなかった。そもそも使用球の感触が日本とは異なるので、彼は適応するのに苦労していた。

競争は日本より熾烈だし、対戦相手の癖も知らない。これで投手として、ましてや打者として成功できるのだろうか。私はまだ疑問符を付けていた。

だが疑念はすぐに吹き飛んだ。新人の年に大谷は打者として104試合に出て22本塁打、打率.285の記録を残し、新人王に選ばれた。肘を痛めたせいで投手としての登板は10試合にとどまったが、防御率3.31は一流投手の証しだった。

彼が比類なき才能の持ち主だということは分かった。一方で肘の故障は、今日に至るまで続く別の問題を浮き彫りにした。ベーブ・ルースの時代には、まだ誰も肉体のメンテナンスなど考えていなかった。その後も、ここまで自分の肉体を酷使する選手はおらず、筋肉や靭帯の限界がどこにあるのか、誰も知らなかった。

エンゼルスにも、大谷の肉体管理の青写真はなかった。だから最初の3シーズンは、彼に一定の休養日を与えた。しかし大谷自身は、余計な休みは不要と考えていた。だから不満で、かえって調子を崩すこともあった。それに、たとえ休養日があっても故障は防げなかった(編集部注:19年シーズンは打者に専念)。

「大谷ルール」が導入され、投打の日を分けるという管理が廃止された RONALD MARTINEZ/GETTY IMAGES

それ故に21年のシーズン直前、何よりも重大な変更がなされた。体が耐えられるかどうかは、本人の判断に委ねることになったのだ。球団側が休養日を決め、投げる日と打つ日を分けるといった管理は廃止された。

大谷が自分の体と相談し、できると思ったら試合に出る。投げる。そういう話になった。

結果、次の3年は球史に残る偉大なシーズンとなった。21年の成績は故障で消化不良の18年と同じ程度だったが、大きなけがもなくシーズンを完走。MLB3位の46本塁打。23試合に先発して防御率は3.18。満場一致でリーグMVPに選ばれた。

22 年にも同じ快挙をやってのけた。打者としての成績は少し落ちて34本塁打だったが、投手としては防御率2.33で向上した。リーグMVPの投票では2位、リーグ年間最優秀投手に贈られるサイ・ヤング賞の投票でも4位につけた。

23年にはシーズン開始前のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で獅子奮迅の大活躍。打率.435、防御率1.86で日本を全勝優勝に導き、MVPに選ばれた。シーズン中も順調に勝利を重ね、防御率は3.14。本塁打は44本。2度目のMVPも見えてきた(※編集部注:大谷は11月16日、MLB史上初となる「満票2度目」のMVPを受賞した)。

3年連続でMVPの候補になる選手はめったにいない。実に素晴らしい才能だが、見逃してならないのは彼の適応力の高さだ。二刀流で頂点に立ってなお、彼は勝つためならば自分のやり方に固執せず、変化を加えることを恐れない。

大谷の決め球といえば「スイーパー」だが、制球が定まらないと見ると、すぐに別の球種を使い始める。相手投手がなかなかストライクを投げてこなければ我慢して四球を選び、好球必打でホームランを量産した。

そうして今シーズンも文句なしの成績を残したが、過去2シーズンと違って、途中で肉体に限界が来た。8月に入ると再び右肘の損傷が見つかり、ファンや関係者の間で彼の起用法に関する議論が再燃した。

シーズン前半の大谷は完璧だった。7月にはダブルヘッダーの第1試合でデトロイト・タイガース相手に自身初の完封試合を達成。その後の第2試合では2本のホームランを放った。

「今日は野球史に残る最も偉大時代な一日だった」と言ったのは、大谷に2本塁打を食らったタイガースの投手マット・マニング。「まったく信じられないよ」

右肘の損傷が判明した2023年8月23日のレッズ戦、大谷は2回途中で降板した RONALD MARTINEZ/GETTY IMAGES

しかし負担は大きかったのだろう。タイガース戦後には初めて疲労を口にし、その後の数週間は体の節々で起きるけいれんに悩まされた。チームは休養を提案したが、大谷は試合に出続けた。

8月には一度、登板予定を回避したいと申し出た。それでも同月23日のシンシナティ・レッズ戦には予定どおり登板した。しかし2回途中で降板。その日のうちに検査すると右肘の内側側副靭帯の損傷が判明し、再び手術を余儀なくされた。

彼は投げるべきではなかったのか、エンゼルスは彼を止めるべきだったのか。大谷はしばらく報道陣を避けていたが、代理人のネズ・バレロが過熱する議論にクギを刺した。

「彼の体は限界に来ていた、そのことに周囲の人間が気付くべきだったという議論があるが、そういう問題じゃない」。バレロはそう断言した。

周囲の関係者の目には負傷で落ち込んでいるように見えた大谷だが、すぐに指名打者としての役割にエネルギーを集中させた。来シーズンは投げられないと知ったわずか数時間後、大谷は打者としてチームのラインアップに名を連ねていた。

「彼の精神力の強さと野球に対する情熱の証しだ」と、今夏に1カ月だけチームメイトだったベテラン投手ルーカス・ジオリト(現クリーブランド・ガーディアンズ)は言う。

「ショーヘイは献身的で、何よりもチームの勝利に貢献するためにプレーする。彼がけがをして何日か休んでも、誰も驚いたり怒ったりはしなかっただろう。でも彼は『OK、じゃ、これからは打つほうで』と言ったんだ。本当に特別な男だよ」

その数週間後、大谷に再び試練が訪れた。バッティング練習中に右脇腹を痛めたのだ。復帰を目指すも痛みは引かず、11試合連続の欠場。9月16日、シーズン終了まであと2週間というタイミングで残り試合を全て欠場することが決まった。

「ショーヘイはプレーすることが大好きだ」と、エンゼルスのペリー・ミナシアンGM(ゼネラルマネジャー)は語る。「メジャーの選手でいるのは当たり前のことではなく、毎日の努力、献身、真摯な姿勢が必要だと彼は自覚している。毎試合出場して、チームやファンのためにプレーしたいと思っている」

多くのファンが大谷の今季終了というニュースに失望しただろう。ファンは彼に対し、私が26年間の野球取材で見たことがないほどの愛情を注いでいる。

大谷のシーズンが終わっても、ファンはベンチに座っているだけの彼の写真を撮りたくて、試合中もダグアウトの後ろに詰めかけた。試合に出られなくても、大谷は笑顔でチームメイトと語らっていた。その姿に彼の野球愛がにじむ。

大谷は完璧さだけを追求する野球ロボットではない。彼は心から野球を愛している。だからこそ偉大な選手なのだ。そのスター性と野球愛に敬意を表して、MLBは大谷のために新たなルールを作った。

ア・リーグは1973年に指名打者制度を導入していた。投手が打席に立つことをやめ、代わりに打撃専門の選手を出場させられるようにした。どうせ打てるはずのない投手を打席に立たせるのはファンに対して失礼という判断があったからだ。

しかし大谷は投手でありながら、最高の打者でもある。だからエンゼルスは、大谷が投げる試合では打席にも立たせたかった。実際、21年のシーズンには大谷の登板試合の大半で指名打者を立てなかった。だがこのやり方には問題があった。投手として降板した後は、もう打席に立てなかったからだ。

そこでMLBは22年に、後に「大谷ルール」として知られることになる新たな制度を採用した。先発投手と指名打者の役割を分割し、同一選手が投手として降板した後も、指名打者として試合に残れるようにした。ほかの誰のためでもない、大谷の見せ場を増やすためのルールだ。

新ルールには、ほかのチームにも二刀流選手の育成を奨励する目的もあった。ルース以降、大谷の登場までに投打両方の能力を見せた選手は何人かいたが、大谷に近いレベルに達した選手は1人もいなかった。

エンゼルスの同僚パトリック・サンドバル投手は「大谷のレベルで二刀流をやる選手が出てくるかと言われれば、それは分からない」と言い、さらにこう続けた。「二刀流をやる選手は出てくると思うが、第2の大谷を期待するのは無理だな」

エンゼルスのミナシアンによれば、先発投手が途中降板した後は打席に立てないというルールがなくなったからこそ、大谷の起用法に関する制約を取っ払うという決断も生きた。実際、その後の大谷は期待以上のパフォーマンスを見せてきた。そしてミナシアンは、大谷という手本がいる限り二刀流に挑戦する選手は増えると考えている。

「それが人間の常だ」とミナシアンは言い、こう続けた。「誰かがすごいことをやるのを見れば、ほかの大勢の人もそれをやってみたくなる。実際にできるのは100万人に1人かもしれないが、挑戦して、成功する人は出てくるだろう」

投手として、あるいは打者としてMLBで通用する才能に恵まれるだけでも十分に稀有なことだが、二刀流はさらに難しく、両方のスキルを同時に磨く必要がある。

投手としてメジャー級に達しても、打者としてはマイナーのレベルだったら、その人は打席に立ち続けるチャンスはない。メジャーでは投手オンリーで起用されることになるからだ。

加えて、選手は自分の体の声も聞かねばならない。きつい仕事だ。けがもそうだし、疲労の蓄積もある。

同僚のサンドバルが言う。「メジャーで先発投手だったら、登板の翌日や翌々日は体を動かすのもしんどい。ところがショーヘイは平気で2番とか3番を打つ。その肉体的な負担がどんなに重いか、説明できる人はいないだろう。とにかく想像もつかないから」

こういう声を聞くと、やはり大谷はただ者ではないと思う。彼は、この100年で誰も成し遂げられなかったことを2年続けて成し遂げただけではない。他チームの現役大リーガーからもたくさんの称賛を浴びている。

2つだけ、最後に紹介しよう。

「彼は誰とも比べられない。野球史上で最も有能な選手だと思う」
――サンフランシスコ・ジャイアンツの投手ローガン・ウェブ

「野球の歴史を通じて最高の選手の1人だ」
――2度のMVPに輝くフィラデルフィア・フィリーズの外野手ブライス・ハーパー

(筆者はエンゼルスの地元紙で大谷の番記者を担当。MLB取材歴26年。米野球殿堂入りを決める投票資格も持つ。近著にベストセラーとなった『SHO -TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男』〔22 年、徳間書店〕がある)Arranged through Tuttle-Mori Agency, Inc.

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ジェフ・フレッチャー(オレンジ・カウンティー・レジスター紙記者)

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