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マウスとの比較で分かった、イモリの腱が「完全に再生」する理由 ヒトの医療に応用されたら何が可能に?

ニューズウィーク日本版 2023年11月20日 14時15分

<腱や類似した構造を持つ靭帯の損傷は、アスリートにとって選手生命に関わる重大な問題。大谷翔平選手もこれまでにPRP療法と幹細胞注射、トミー・ジョン手術を受けている。イモリの再生能力に関する研究で日本は世界をリードしているが、近い将来ヒトの医療にも応用されるかもしれない>

筋肉と骨をつなぐ腱は、バネのような働きをして筋肉をサポートします。たとえば、ふくらはぎの筋肉をかかとの骨につなぐアキレス腱が断裂すると歩行が難しくなり、アスリートでは引退につながる重傷となる場合があります。

ヒトを含む哺乳類では、腱の損傷は治癒に時間がかかるとともに、治ったとしても多くのケースで腱の強度が完全には戻らないことが知られています。治療法の改善のために現在も多くの研究がなされていますが、メジャーな実験動物であるマウスやウサギを使っても、これまでに完治させる方法は見つかっていません。

そこで、発想の転換をしたのが、名古屋大、広島大、北海道千歳リハビリテーション大、酪農学園大から成る研究チームです。彼らは、足だけでなく目や心臓も再生することができる両生類のイモリに注目しました。

イモリは腱の損傷を完全に修復することができます。イモリとマウスの腱の治癒過程を比較すれば、イモリの身体再生の謎を解明するだけでなく、ヒトの腱損傷の治療にも応用できる知見が得られるかもしれません。

研究チームが発見したイモリ特有の治癒メカニズムは、整形外科分野の専門誌「Journal of Orthopaedic Research」に6日付で掲載されました。

イモリの再生能力には、どのような秘密が隠されているのでしょうか。実は世界をリードしている日本のイモリ研究とともに概観しましょう。

マウスに匹敵する世界最大級のイモリで実験

身体の一部を再生できる動物というと、「トカゲの尻尾切り」で知られる爬虫類のトカゲを思い出す人は多いでしょう。トカゲの尻尾には、敵に出会ったときに切って逃げるために、もともと切れ目のようなものが入っています。

一方、身体の大部分を再生できる脊椎動物の代表がイモリです。トカゲとは異なり、あらかじめ切れることを想定している部位はなく、損傷した部分から新しい組織が現れて再生します。その驚異的な再生能力は、心臓を半分欠損させても約1カ月で元通りになるほどです。

今回、研究チームは、世界最大級のイモリであるイベリアトゲイモリを使って、損傷した腱の治癒の様子を観察しました。マウスに匹敵する大きさを持つことから、マウスの場合と直接比較ができることもこの実験の利点です。

イモリとマウスに共通する腱である「後ろ足の中指の屈筋腱(中趾屈筋腱)」を実験対象とし、切断する手術を行いました。イモリでは部分切断を10匹、完全切断を10匹に実施し、マウスでは完全切断を10匹に対して行いました。

次に、それぞれの状態の動物から6週間または12週間経過後に5匹ずつ、再生された腱を回収し、強度や組織状態を観察しました。対照実験としてイモリ、マウスともに同じ部位の健常腱も5匹分ずつ検査しました。

その結果、イモリとマウスの健常腱同士を比べると、強度や弾性度はほぼ同じでした。

切断手術後の腱を調べると、イモリでは術後6週で切断された腱が再生組織(腱に類似した新しい組織)によってつながり、術後12週には完全切断した腱でも健常腱と同等の強度や弾性度を示しました。つまり、腱の損傷から約3カ月でイモリの腱は完全に再生されたと言えます。

一方、マウスでは術後、治癒組織(腱とは異なる組織)が切断された腱全体を包むように形成され、術後12週経ってもその強度は健常腱と比べて低いままでした。

さらに、それぞれの動物の健常腱と再生組織および治癒組織の差異を調べるために、透過型電子顕微鏡で観察しました。

イモリの健常腱は、直径約45ナノメートルのコラーゲン原線維によって構成されており、再生した腱も同様の構造を持っていました。一方、マウスの健常腱は、直径約30ナノメートルと150ナノメートルの2種類のコラーゲン原線維で構成されていますが、治癒組織は直径約45ナノメートルのコラーゲン原線維のみで構成されていました。

つまり、イモリは健常腱と同じサイズの材料(コラーゲン原線維)を使って再生腱を形成するのに対して、マウスは異なるサイズの材料で治癒組織を作っており、これがマウスでは健常腱の再生に至らない理由であると分かりました。イモリの再生成功の秘訣は、もともと材料が1サイズだけというシンプルな構造であることも関係していそうです。

従来の実験との違い

イモリは、類(たぐい)まれな再生能力から、これまでも数多くの研究が行われてきました。もっとも、大半は心臓、目、脳、四肢などを欠損させた、大規模な再生実験でした。対して今回の研究は、ヒトでもケガが頻発し不完全な治癒に悩まされる腱という小規模な組織の再生に光を当ることで、ヒトの医療に応用するヒントを得ようとしているところに意義があります。

現在、ヒトの腱や類似した構造を持つ靭帯の損傷に対しては、縫合や再建手術、多血小板血漿(PRP)療法などの処置が採られます。最新の治療法としては、自分の脂肪由来幹細胞を用いて、患部に局所注射して再生を促すものもあります。

けれど、いずれの方法でもアスリートであれば競技復帰までには少なくとも数カ月を要し、腱が元の強度を取り戻せなかったり、損傷が再発したりするリスクは無視できません。

17日に2度目の大リーグMVPを受賞した大谷翔平選手は、2018年6月に右肘内側側副靱帯の損傷でPRP療法と幹細胞注射を受けました。1カ月後に打者として、3カ月後に投手として復帰したものの、同年9月に右肘靭帯に新たな損傷が見つかり、側副靱帯再建術(トミー・ジョン手術)を受けました。

大谷選手は本年8月にも右肘の内側側副靱帯を損傷し、9月に再度トミー・ジョン手術を受けています。18年、本年ともに執刀を担当したニール・エルトラッシュ医師は、球団発表の声明文の中で「24年の開幕日には何の制限もなく打てるようになり、25年には投打両方をできるようになるでしょう」と語っています。トミー・ジョン手術を受けた投手が故障前と同レベルの投球ができるようになるまでには、平均で18カ月かかるというデータもあります。大谷選手の早期回復が待ち望まれます。

「見た目問題」解決の一助にも?

イモリの再生能力の秘密をゲノムから解明しようとする研究では、日本発で重要な成果が生まれています。

筑波大の千葉親文教授らの研究チームは18年、アカハライモリの遺伝子解析から、成体イモリの肢が再生される時に発現が増加する有尾両生類(イモリ・サンショウウオ類)に特有な遺伝子を見つけました。「Newtic1」と名付けられたこの遺伝子は、一部の赤血球中にNewtic1タンパク質を発現していました。

成人イモリの肢を切断して再生過程を観察すると、切断面の赤血球はNewtic1を新たに発現し、集合体を作りながら再生芽の先端部分に集積していました。赤血球は再生に必要な様々な分泌因子も発現し、傷口に運び込んでいました。その結果、傷口周囲の細胞の時計の針を修復するために必要最低限なレベルまで巻き戻すスイッチとしても働いている可能性が示唆されました。

また、イモリの全ての遺伝子配列の解読を試みる広島大両生類研究センターの林利憲教授らは、ヒトの7倍ものゲノムサイズがあるイベリアトゲイモリで多く見られる「レトロトランスポゾン」と呼ばれる一見無意味な繰り返し領域が、再生に重要な役割を担っているのではないかと仮説を立てています。

今回の名古屋大らの研究チームは、イモリの組織再生現象をマウスと直接比較する研究モデルは世界初で、腱だけでなく他の組織を対象とする組織再生研究に新しい展開をもたらすものだと語っています。

たとえば、哺乳類は皮膚の傷が治る時にかさぶた(線維化)ができます。傷を負う前の細胞とは異なる細胞群が傷をふさぐので、瘢痕(傷跡)が残るのです。対して、イモリの場合は、もともと皮膚を構成していた細胞によって傷口が修復されるので、跡が残りません。ヤケドの治療などにイモリの皮膚再生技術が応用できれば、人とは違う特徴的な外見を持つために困難に直面する「見た目問題」の解決の一助になるかもしれません。

イモリは進化の過程でなぜ驚異的な再生能力を持ったのかは謎が多く、完全解明には時間がかかるかもしれません。けれど、イモリの再生の仕組みを応用した新しい再生医療が実装される日は、遠くない将来に迎えられるかもしれませんね。



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