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「情熱の国」は一触即発の危機...スペイン社会全体から猛反発を浴びた、ペドロ・サンチェス首相の大胆すぎる「賭け」

ニューズウィーク日本版 2023年11月22日 17時10分

<独立主義地域政党の恩赦要求をのんで続投を決めたサンチェス首相に、有権者も与党も司法も猛反発>

スペインのペドロ・サンチェス首相は、リスクを取るのをいとわない。だが、その新たな「賭け」はスペイン社会全体から猛反発を浴び、国家そのものを引き裂きかねない脅威になっている。

きっかけは、今年7月に行われた総選挙だった。中道右派の最大野党・国民党が、サンチェス率いる中道左派の与党・スペイン社会労働党に僅差で勝利したものの、左右いずれのブロックも過半数に届かず、スペイン政界は数カ月に及ぶ膠着状態に陥った。

混迷を打開すべく、サンチェスは北東部カタルーニャの分離独立を主張する地域政党に協力を求めた。見返りとして合意したのが、刑事訴追の対象であるカタルーニャ独立派への恩赦だ。

この政治的取引によって、社会労働党と急進左派連合の連立政権が続投するめどが立った。スペイン下院は11月16日、首相信任投票を実施し、サンチェス再任が可決された。

とはいえ、代償はあまりに大きい。恩赦法案を中心とする独立主義者への譲歩は右派を激怒させ、社会労働党内で波紋を呼び、司法関係者に一斉批判され、国内各地で抗議デモを引き起こしている。

11月12日には、国民党と極右政党・ボックス(声)が主催したデモに数万人が参加。首都マドリードの社会労働党本部前には連日、市民数百人が集まり、極右集団が警察ともみ合いになる事件も起きた。

スペインの議会制の下では、連立政権はいわば「常態」だ。今回、サンチェスを支持した政党の合計得票数は、この数十年間の過去の政権のいずれも上回る。懸念を招いているのは、サンチェスが駆使した手法だ。続投を果たすため、国家の分裂を存在理由とする政党と手を組むとは......。

「右派政権誕生を阻止しようとした者たちが、独立志向の右派に支配権を手渡そうとしている」。社会労働党所属の政治家、エミリアノ・ガルシアパヘはそう指摘する。

カタルーニャの火薬庫

そもそもの始まりは、長らく独立を求めてきたカタルーニャで、2017年に実施された住民投票だ。憲法違反と判断されながらも、カタルーニャ州政府は独立の是非を問う住民投票を敢行し、一方的に「独立宣言」を行った。

この住民投票に絡んで、19年にカタルーニャの独立派政治家7人と活動家2人が実刑判決を受け、地元で大規模な抗議運動が起きた。前年、首相に就任していたサンチェスは緊張緩和のため、残りの刑期を免除する措置を発表した。

一方、訴追を逃れようと国外脱出した者もいる。住民投票を主導した当時のカタルーニャ州首相、カルラス・プッチダモンもその1人だ。

そこに、今夏の総選挙の混乱が起きた。国民党が最多得票だったが、右派ブロックを組むボックスと合わせても獲得議席数は過半数未満。社会労働党と急進左派連合が多数派を構成できるかどうかは、カタルーニャ地域政党を取り込めるか次第だった。司法が違法な手段と判断していた包括的恩赦に、サンチェスが踏み切ったのはそういうわけだ。

引き換えに、独立派政党の「ともにカタルーニャ」とカタルーニャ共和主義左翼はそれぞれ、あくまで中央政府との合意と憲法に従う形で独立の目標を追求することに同意している。特に、スペインからの一方的分離を強硬に主張してきた「ともに」にとって、これは大きな譲歩だ。

両党が既存の路線に回帰したことで、これまでは独立を主張するナショナリストに阻まれていた「権限移譲」の合意が可能になるのでは、との期待が高まっている。「合意形成の道を探る動きだ」と、カタルーニャ州都バルセロナにあるポンペウ・ファブラ大学のマルク・サンジャウマ助教(政治理論)は評する。

サンチェスの恩赦法案については、数々の法的問題も存在する。司法機関・団体は、プッチダモンが党首の「ともに」とサンチェスの取引を異口同音に批判している。

なかでも問題なのが、法律を利用して政敵を攻撃するローフェア(法律戦)について、議会調査を行うとの提案だ。これは立法府による司法への介入にほかならないと、国内の判事や弁護士も、国際的な法律専門家も考えている。

恩赦法案は「公共の利益にかなう」とうたうが、恩赦で利益を得る当事者との政治的駆け引きの結果でしかなく、多くのスペイン国民は懐疑的だ。これまで、カタルーニャ独立運動関係者への恩赦は違憲として退けるのが(社会労働党指導者の間でも)主流だったため、多くの人があっけにとられている。

恩赦法案が成立した場合、憲法裁判所の審査に付されるのは間違いない。カンタブリア大学のヘスス・マリア・デ・ミゲル教授によれば「恩赦は司法的行為」で、今回の恩赦措置はスペインの司法制度と相いれない。「利益の当事者が、新政権の誕生に加わっている。そして新政権は、旧政権の法執行が不当だったと主張している」

これは国家による不正行為を示唆している。従って、恩赦法案はスペインの法治を損ないかねないと、デ・ミゲルは指摘する。「ある出来事について『国家が不当だったのだから忘れよう』と主張すれば、法のルールは自壊する」

大胆すぎる賭けの行方

入り組んだ法律の茂みは厄介で、はっきりするまでに時間がかかるだろう。だが、政治的な地雷原はサンチェスの目の前に迫っている。「ともに」が約束した政治的安定は、議会会期中に行われる社会労働党との交渉の一環として成立した合意が「履行」される場合、という条件付きだ。

彼らは「カタルーニャの政治的未来をめぐる対立の解消に貢献する一連の合意」の実現を目指しており、中央政府の同意を得て、独立の是非を問う住民投票を再度実施するとの主張を捨てないだろう。一方、社会労働党はさらなる権限移譲を提案するはずだ。

独立派としてカタルーニャ州政府に提言を行っているサンジャウマに言わせれば、新たな住民投票という目標は野心的すぎるとしても、分権の拡大はあり得る。特に、長らく手付かずのままだった徴税権分野がそうだ。

スペインのアイデンティティーの危機は少なくとも15世紀にさかのぼり、国家が抱える断層や亀裂はいまだに埋まっていない。サンチェスの新たな賭けは、新政権が時間稼ぎをし、分離の動きを遅らせる上で役立つかもしれない。だが、どんなときもネコのように無事着地するサンチェスでも、今度ばかりは「究極の大ばくち」になりそうだ。

From Foreign Policy Magazine



アルベルト・グアシュ・ラファエル(スペイン在住ジャーナリスト)

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