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音楽を奏でる天使たちの棲む、標高850メートルの山間に立つフランスの聖堂を訪ねて

ニューズウィーク日本版 2023年11月29日 10時45分

<《奏楽天使》壁画に関する美術史学研究から楽器復元プロジェクトへ> 

フランス東南部、標高850メートルを超えるフォレズの山間に立つサン=ボネ=ル=シャトーの参事会聖堂(図1)。1400年に坂の斜面を利用した低層部礼拝堂が造られ、壁面には聖母とキリストの生涯に関連する十二の場面が描かれた(図2、トップページ写真)。

図1 サン=ボネ=ル=シャトー参事会聖堂 (フランス、ロワール) 筆者撮影

サン=ボネ=ル=シャトーの礼拝堂壁画には、二人の市民が礼拝堂設立に向けて尽力した経緯がラテン語の銘文で記されている。

その二人の市民の寄進に続いて、フォレズの支配者アンヌ・ドーフィヌが経済的支援を行ったことで、1417年頃に完成を見た。

天井部には、聖母信仰を持つアンヌ・ドーフィヌの夫ブルボン公ルイ二世を記念するため、ブルボン家の紋章と象徴図案、「聖母被昇天」のミサに捧げられた音楽と8つの楽器を手にする天使たちの姿が表されている (図4)。

《奏楽天使》に人物を結び付けるサン=ボネ=ル=シャトーの装飾プログラムに影響を与えたのが、ル・マン大聖堂聖母礼拝堂天井壁画 (1370~1378) である (図5)。

左:図4 サン=ボネ=ル=シャトー参事会聖堂低層部礼拝堂《奏楽天使》天井壁画、1416~1417、右:図5 ル・マン、サン=ジュリアン大聖堂聖母礼拝堂《奏楽天使》天井壁画、1370~1378 ともに筆者撮影

壁画の注文主である57代目大司教ゴンチエ・ド・ベニュの墓石彫刻がかつて収められていた礼拝堂の天井部には、54個の注文主の紋章に加え、47人の天使たちが当時実際に使用されていた24の楽器、聖母の祝祭日に歌われた聖歌を表すフィラクテールと写本を携えながら天を舞う。

同時代に実際に使用された楽器を奏で、楽譜を手にし、時に口を開けて歌う姿を見せる 《奏楽天使》は、華やかな色使いと流麗な描線に加え、想起させるメロディーや音色から観る者を惹きつける。

絵画や彫刻を前にした個人の祈りの実践が重視された中世後期、表された世界に、観る者を強く誘い込む働きが注目され、《奏楽天使》は瞑想に有効なモチーフとして至る所に表現されるようになった。

壁画に関しては天井部一面を覆う装飾形態が14世紀から15世紀のヨーロッパで広がりを見せるとともに、他の図像との組み合わせからいくつものヴァリエーションを生み出してゆくことになる。

ル・マンからサン=ボネ=ル=シャトーへと引き継がれ、のちに広がりを見せたこの壁画装飾の発生と展開を明らかにしようと、本礼拝堂の壁画を博士論文の研究テーマに定めた筆者は、渡仏した2011年の秋より、画家の足取りを追うようにフランス、スイス、ベルギー、イタリアとヨーロッパ各地での旅を繰り返し、聖堂に描かれた壁画の写真撮影を行ってきた。

積み重ねた現地調査と文献研究をもとにサン=ボネ=ル=シャトー壁画に見る図像と様式の分析を行い、画家の出自と修業の道のりを照らし出したものが、今年1月に刊行した自著 Les peintures murales de Saint-Bonnet-le-Château. Le programme dévotionnel et dynastique (fin du XIVe-début du XVe s.) 「サン=ボネ=ル=シャトー参事会聖堂壁画研究-信仰と政治のプログラム」となる (図3)。

《奏楽天使》

また、音楽学、考古学、修復の専門家の協力を得ながら、工学や古楽器制作を専門とする研究者とともにル・マンとサン=ボネ=ル=シャトーの天使が手にする楽器復元のプロジェクトに取り組んでおり、今日までにサン=ボネ=ル=シャトー壁画に表された楽器のうちハープ (図6) とクラヴィコードの制作を完了した (図7)。

図6 サン=ボネ=ル=シャトー壁画に描かれたハープを制作中のオリヴィエ・フェロウとイブ・ダルシザス (フェロウ撮影)

図7 サン=ボネ=ル=シャトー壁画に描かれたクラヴィコードと制作者のステファン・トレウ (トレウ撮影)

失われた音を求めて──学術から創造へ

楽器の復元には多くの問題が立ちはだかる。17世紀以前の楽器は殆ど現存しておらず、描かれた楽器の復元を試みる際、技術書などの文献や同時代の絵画図像が拠るべき資料となる。

しかし、表されてはいない楽器の部位にどのような形が与えられていたのか、いかなる種の木材、動物の骨、革を使用したのかという情報をイメージから読み取ることは容易ではない。

また画家が幾何学的遠近法を獲得していない時代の作品では、対象の扱いに歪みが生じているだけではなく、美的な考慮から画家が意図して弦や管の数、そのサイズなどを調整している場合が少なくはない。

何より中世に描かれた楽器図像は、象徴としての側面をもつため、神学的概念の表れとして弦や鍵盤、空気孔の数が定められ、モデルとなった楽器からは改変が行われた可能性もある。

複数の仮説が挙げられるとともに、学術的判断から優劣をつけ、可能性の高い一つを選び取ることは不可能に近い。

描かれた対象物の縮小率を考慮しつつ、できる限り表現されたものに近い形態を選びながらも、楽器を構成する各条件を選び取り最終的な設計図を定めるためには、ともに復元を試みる他の楽器との組み合わせなどを考慮しながら、完成後、どのような音を奏でる楽器として完成させるべきかという演奏を想定した考えが必要となる。

新たな音楽活動についてのコンセプトが前提となるため、楽器の制作は学術的試みの結論を提示するものではなく、芸術創造に向けた制作過程へと開かれてある。

サン=ボネ=ル=シャトーのクラヴィコードについては、パースペクティヴによるずれや、縮小率を考慮しながらサイズを定め完成した楽器が、ブリッジと調律ピン板 (wrest plank) の間にある弦の共鳴により同形のクラヴィコードに比べ、より明るく響きのある音を作り出すものであることが分かった。

これに合わせ、オルガン、ラバーブ、リュートの制作を進め2025年の3月までの完成を目指したい。

2025年の秋には、ル・マンとサン=ボネ=ル=シャトー壁画から復元した楽器、ル・マン壁画から影響を受け制作された9つの《奏楽天使》壁画作品に関する美術史、音楽学、修復保存史の研究成果をまとめ、ストラスブール国立大学図書館展示室にて展覧会を開催する。

同時期に行う関連イヴェントとして、サン=ボネ=ル=シャトー壁画から復元した楽器を使用し、描かれた音楽を奏でるコンサートも予定されている。 

奇跡のように生み出され、私たちのもとに残された文化財は、こうして新たな芸術を生み出してゆく力となる。すべてが繋がり巡り、また新たな命を生み出してゆく循環を信じながら、文化継承の新たな試みが形になることを夢見ている。

勝谷祐子(Yuko Katsutani)
ストラスブール大学芸術文明歴史学研究所客員研究員、日本学術振興会特別研究員CPD-国際競争力強化研究員(國學院大學)。博士(美術史)。専門は中世ヨーロッパのキリスト教美術史。壁画を中心に研究を行い、アルプスの南北において1400年前後に見られた様式交流史、絵画技法、近代以降の保存修復史に関心を寄せる。ストラスブール大学博士論文をもとにした自著 Les peintures murales de Saint-Bonnet-le-Château. Le programme dévotionnel et dynastique (fin du XIVe-début du XVe s.), Brepols Publishers, 2023 を刊行。

※本書は2021年度、2022年度 サントリー文化財団研究助成「学問の未来を拓く」の成果書籍です。

  Les peintures murales de Saint-Bonnet-le-Château. Le programme dévotionnel et dynastique (fin du XIVe-début du XVe s.)「サン=ボネ=ル=シャトー参事会聖堂壁画研究-信仰と政治のプログラム」

  Yuko Katsutani[著]
  Brepols Publishers[刊]

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