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ホラー映画『エクソシスト』のリアルなリスク、悪魔祓いの虚構を描く危険性

ニューズウィーク日本版 2023年12月4日 11時56分

<名作『エクソシスト』から50年、2023年12月1日に映画『エクソシスト 信じる者』が公開された。最新作の続編ではさまざまな宗教による悪魔との共闘が描かれるが...>

映画『エクソシスト 信じる者』は、わざわざ劇場まで足を運んだファンの期待を(たぶん)裏切らない。

オカルト好きの少女2人が悪魔的な力の扉をうっかり開いてしまい、すぐ何者かに取り憑(つ)かれてしまう。何日か姿を消した後に発見された2人は異常な行動を示し、どうにも手が付けられない。

親はうろたえ、理解に苦しんだ挙げ句、きっと超自然的で邪悪なものに乗っ取られたのだと結論する。信じ難いが仕方がない。

親はスピリチュアルなエクソシスト(悪魔祓〔ばら〕いのプロ)にすがる。

その先は、例によって血が飛び散ったり首がねじれたりと、凄惨な場面がたっぷりとちりばめられる。いずれも、ちょうど50年前の1973年に公開された初代『エクソシスト』でおなじみの要素だ。

「信仰」という中心的なテーマも変わっていない。原作のウィリアム・ブラッティによる小説『エクソシスト』の主人公は、信仰の危機に陥った神父だった。

だが『信じる者』には21世紀的な雰囲気もある。悪魔と戦うエクソシスト・チームにはさまざまな信仰の持ち主がいて、みんなが共通の目的のために力を合わせる。メッセージは明らかだ。

信仰に生きる者はいがみ合いをやめて団結せよ、である。

ハイチの土着信仰やアフリカ系アメリカ人の伝統医療も、邪教・悪習ではなく真摯なものとして描かれている。実に好ましいことだ。キリスト教のさまざまな宗派に属する人物を共闘させたのもいい。

今でも黒人や先住民の信仰を悪魔的なものと見なしがちな世界にあって、本作は住民が違いを越えて団結することの大切さを強く訴えている。

取り憑いた悪魔をエクソシストは追い出せるか ©UNIVERSAL STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.

しかし、こうして物事を均質化するアプローチには問題もある。

この映画は、悪魔祓いの儀式はどんな文化にも存在し、やり方はどこでも似たようなものと想定しているようだが、それは違う。そこまで単純化するのは問題だし、危険をはらんでもいる。

もちろん、「悪魔祓い」という語を「人・場所・物体などをネガティブな霊的影響から解放する行為」と定義するなら、それは世界各地に伝わるさまざまな宗教的儀式の概括的な記述に便利な用語といえるかもしれない。

だが現実を見てほしい。

この広義の「悪魔祓い」は実に多様で異質な観念を一くくりにしている。実際には、その背景にある信仰も悪霊退治に用いる手段も大きく異なる。

実際に誰かに悪魔祓いの儀式を施す場合には、その対象となる人物の自主性と、その人物を保護する必要性とのバランスを慎重に考慮しなければならない。

およそ民主的で人権を尊重する法的枠組みにおいては、信仰の自由と文化の多様性を尊重しなければならない。

しかし一方で、自分で自分を十分に擁護できない人々には救いの手を差し伸べなければならない。

つまり子供や、大人でも精神疾患や何らかの障害を抱える人が対象の場合、どの段階で悪魔祓いの儀式を施すかの決断は非常に難しい。

世の中には、憑依(ひょうい)現象を誰にでも起こり得る不運な出来事と見なす文化がある一方、それを故意に悪事に手を染めた結果と見なし、あるいはその人物の気質(あるいは魂)に生来の欠陥があると決め付ける文化もある。

後者の場合は、憑依された人を危険視し、敵視し、時には攻撃したりもする。

そうした状況下では、おとなしく悪魔祓いの儀式を受け入れない限り、その人物が地域社会に復帰することは難しい。

邪悪な存在は人間の体を乗っ取り、その自由意思を封じていると考える信仰もある。その場合は、悪魔祓いの儀式に対するいかなる抵抗も本人ではなく霊の意思と理解される。

だから抵抗しても無駄だ。

逆に、憑依された人にも何らかの自由意思が残っていると考えられる場合、悪魔祓いへの参加を拒めば、自らの意思で悪を選択した証拠と見なされかねない。

無用の死を招く可能性も

悪霊除去の方法も多彩で、静かな祈りもあれば激しい暴行もある。

危険な、虐待に等しい手段が用いられることもあり、有害物の摂取を強要されるかもしれない。ちなみに悪魔祓いと称する儀式での死亡原因には塩分の過剰摂取や溺死、致死量レベルの物質の投与などが含まれる。

これらを考慮すると、悪魔祓いが多くの文化に共通する本質的に正しくて普遍的な行為だというメッセージを伝えることには問題がある。

もちろん、観客には事実と創作を区別する能力があるだろうし、誰もエクソシスト映画をドキュメンタリーと勘違いはしないだろう。

しかしポップカルチャーの持つ影響力の大きさは無視できない。

警察や行政が少数派集団の信仰や慣習を十分に理解しているとは限らず、そのせいで問題を起こすこともある。危険な状況と誤認して無用な介入をすることもあるだろう。

逆に、警察やソーシャルワーカーが危険行為を文化的多様性の範囲内と解釈して容認すれば、無力な子供や社会的弱者を助けられない。

こうした過ちが、悪魔祓いの儀式に関連した不幸な、そして防ぎ得たはずの死を招いてきた。

21世紀版『エクソシスト』が悪魔祓いを、文化と宗教の違いを超えた無害な現象として描くのは間違いだし、好ましくない。たとえホラー映画の文脈であっても。



Helen Hall, Senior Lecturer, Nottingham Law School, Nottingham Trent University, priest in the Church of England

This article is republished from The Conversation under a Creative Commons license. Read the original article.

THE EXORCIST: BELIEVER
『エクソシスト 信じる者』
監督/デビッド・ゴードン・グリーン
主演/レスリー・オドム・Jr.、アン・ダウド
日本公開は12月1日

ヘレン・ホール(ノッティンガム・トレント大学法科大学院准教授、英国国教会司祭)

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