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ブラジルのダンスシーンで大注目、日本文化が独自進化した「マツリダンス」とは? 一晩で1万2000人が一斉に踊った

ニューズウィーク日本版 2023年12月13日 11時10分

<ブラジルに渡った日系一世たちが持ち込んだ日本文化は、三、四世たちによって「新たな文化」に育っている...。『アステイオン』99号の特集「境界を往還する芸術家たち」より「トランスボーダー化するマツリ」を一部抜粋する> 

ロンドリーナ祭りにおける創作盆踊り

現在、ブラジルの日系文化プレゼンスでもっとも熱いと思われるエリアが、南部のパラナ州である(図1)。戦前から多くの日本人が入植した地域であり、戦後は政界、財界、法曹界、ビジネスなどさまざまな方面に進出し、めざましい活躍をしている。

同州北部の中心都市ロンドリーナ(人口約55万)は、戦前イギリスの土地会社によって開発され、ロンドンにちなんでその名がつけられた。日本人の入植も戦前の1930年から始まり、すでに三、四世の世代を中心に強力なインテグレーションを持った日系コミュニティが存在する。

さて、同地の日系文化で、ブラジルのダンスシーンでも注目されているのがマツリダンスである。マツリダンスは、毎年9月に行なわれるロンドリーナ祭り(Londrina Matsuri)で披露される創作盆踊りで、90年代に「新しい盆踊り(ボンオドリ・ノーヴォ)」としてこの地域で始まった。

盆踊りを基礎にした振付けにポップスやストリートダンスの動きを加え、日本のポップミュージック「松本ぼんぼん」「島唄」「ギザギザハートの子守唄」「ピーチ」「ランナー」、最近のものではテリヤキボーイズの「Tokyo Drift」など、ジャンルもテンポも異なる曲をアレンジしているのが特徴だ。

生演奏をバックに男女の歌い手が歌い、お神輿を据え付けた舞台の上では祭り太鼓と踊り部隊が盛り上げる。

ロンドリーナ祭りは2003年から始まった催しで、毎年9月に開催される。最初市内のニシノミヤ公園で行われていたが、観客の増加で現在は郊外のネイ・ブラガ公園で行われている。主催者は日系ミュージシャン、ミリアン・ミチコ城間の率いるグルーポ・サンセイだ。

広大な会場には、焼きそば、巻き寿司など日本食品や飲み物、民芸品を売る屋台、子どもの遊び場が並び、週末の団らんを楽しむ家族で賑わう。コロナ禍からの復活を期した2022年は3日間で2万5000人が会場を訪れたという。

ステージでは歌謡ショーや太鼓、琉球舞踊、よさこいソーラン、この地方の伝統舞踊などが次々に披露される。そして、この催しの目玉として毎晩踊られるのがマツリダンスである。

マツリダンス創作の経緯は次のようなものである。ブラジル日本移民80周年であった1988年、当時カラオケ教室を開いていたミチコさんは、日本の歌を日本のメロディーに合わせて歌うことに今一つ物足りなさを感じていた。

この年は、ブラジル各地で80周年の祝賀イベントが企画されていた。もちろん日系人の多いロンドリーナでもイベントが企画されていたが、当時は日本人会の役員のほとんどが一世。彼らの主導権のもとに企画が進められ、ミチコさんのような若い世代の意見はなかなか取り上げてもらえなかった。

「一世は、あんたたちの日本語はおかしいとか、もっと日本人としてのプライドを持ちなさいとか言うけれど、私たちはブラジル生まれのブラジル人なんだから......おじいちゃんやおばあちゃんのやり方があっていい。でも、私たちのやり方もあっていいはず。「日本文化」って一つじゃないはずだもの」と日本文化の多様性を強調する。

とにかく、ミチコさんたちは、祖父母や父母の世代とは別の方法で、80周年イベントを企画したかったという。そういう発想から、彼女が指導していたカラオケ教室の若者たちを中心に結成されたのがグルーポ・サンセイだった。

このグループは、1994年に「文化・福祉協会グルーポ・サンセイ」(Grupo Sansey-Cultural e Beneficente)として法人化。2003年には、はじめてロンドリーナ祭りを開催し、これを成功に導いた(図2:トップページ写真、図3)。

図3 ロンドリーナ祭り2023のフライヤー

一晩で1万2000人が一斉にマツリダンスを踊ったこの時の感動は忘れられないと、創立者の一人クラウジオ古川氏は回想する。

「日本人(ジャポネース)というアイデンティティはあるけれど、一世とは違う主張をしたかった」というミチコさん。また、「このマツリをやることで自分たち日系人が日本文化を継承し、祖父母たちが植えてくれた種がちゃんと育っているということを伝えたい。そして、私たちの日本文化を非日系のブラジル人たちにも紹介し、新しいブラジル文化を創造していきたい」と語る。

グルーポ・サンセイは新しい世代を意味する「三世」と肯定を意味する「賛成」をひっかけた言葉だという。

現在、マツリダンスは、北はアマゾナス州から南は隣国パラグアイとの国境カスカベルまで各地のマツリで踊られているという。日本人が移植した「日本文化」は、ブラジル社会にあって「日系文化」として認知されつつある。

それは、ミチコさんの言葉にもあったように、ブラジルの多文化的状況のなかでダイナミックに創造されていく「新しいブラジル文化」を構成する魅力的な要素としての位置付けでもある。そういった創造活動の現在進行形をマツリダンスに見ることができるだろう。

マナウスのジャングル祭りと盆踊り

図4 ジャングル祭りで盆踊りを楽しむ人びと(2023年8月、筆者撮影)

アマゾナス州の州都で、アマゾン河中流域に位置する都市マナウス(人口約220万)では、乾季の8、9月に「ジャングル祭り」(Jungle Matsuri)が開かれている(図4)。そもそも、盆踊り自体は、マナウス周辺の各地の日本人移住地で、60年代くらいから踊られていたという。しかし、それが地域のマツリとして定着したのは最近のことだ。

2019年、アマゾン日本人移住90周年を祝賀するに当たり、その目玉として企画されたのがジャングル祭りである。

主催団体の西部アマゾン日伯協会の錦戸健氏は、当時の一世からニ、三世への世代交代という課題を踏まえて、次世代の新たなアイデアに基づき、またブラジルの日本文化ファンの要望も受け入れて試みたのがこのジャングル祭りであると語る。

マナウスは、1967年にゾーナ・フランカと呼ばれる関税優遇地域に指定され、世界中から500社を超える企業が集まっている。

日本からもパナソニック、ソニー、ホンダ、ヤマハなどの他、韓国のLGエレクトロニクス、ヨーロッパ、アメリカ企業の工場の進出が目立っている。こうした企業が協賛・出店し、見本市としての性格も合わせ持っているのがこのマツリの特徴である。

ただ、2020年に第2回ジャングル祭りを開催するも、2021年はコロナ禍のため中止。2022年に復活した。

ジャングル祭りの担い手として注目されるのが、地元アマゾナス連邦大学に2010年に設置された日本語・日本文学専攻の存在である。

マナウスの盆踊りをリードするのは、同専攻のリンダ・ミドリ錦戸准教授で、彼女を中心に学生たちがマツリを強くサポートしている。

「日本祭りや日本文化祭というのはブラジルのあちこちにあり、今やありふれているのでね。アマゾンはジャングルがあるから、ジャングル祭りでいこうと」と、命名の由来を述べる。

2023年8月、第4回ジャングル祭りでは、進出企業の見本市とともに、手巻き寿司、オベントー、カツカレーなど郷土食のブースが並び、櫓(やぐら)が組まれ、毎晩8時ごろから盆踊りが行われた。

東京音頭、炭坑節とともに、マツリダンスもレパートリーに組み込まれ、新旧盆踊りを新旧の世代、日系・非日系の人びとがともに楽しむ姿が見られた。アマゾン流域最大の都市でも、盆踊りに代表される日本文化は、現地の人びとを巻き込みながら、そのプレゼンスをしっかりと主張し始めているのである。

根川幸男(Sachio Negawa)
1963年大阪府生まれ。サンパウロ大学哲学・文学・人間科学部大学院修了。博士(学術)。移植民史専攻。ブラジリア大学文学部准教授を経て、現職。著書に『ブラジル日系移民の教育史』(みすず書房)、『移民がつくった街サンパウロ東洋街──地球の反対側の日本近代』(東京大学出版会)、『移民船から世界をみる──航路体験をめぐる日本近代史』(法政大学出版局)など。

『アステイオン』99号
 特集:境界を往還する芸術家たち
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]

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