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日本の学校教育では、明治時代から「ハモり」を教えるようになった...「和声学」を紐解く

ニューズウィーク日本版 2023年12月20日 11時0分

<西洋音楽は国策として日本の音楽教育にとりいれられてきた...。『アステイオン』99号の論考「近代日本における西洋音楽教育の歴史的展開――「音階」「和声」概念の受容過程」を一部紹介する> 

音楽の「調和」を理解する

「ハモる」という言葉が「ハーモニー」から生まれた音楽用語であることはわかる。では、「ハーモニー」の日本語訳は?

それは「和声」と呼ばれている。和音、つまり同時に鳴り響く音響現象の連結が和声だ。また、その和声を巡る諸理論は西洋で体系化され、「和声学」として確立されている。

【譜例1】の和音は学校の記憶を呼び覚ますトリガーとなっており、この記事の読者の中には、「音痴」とからかわれた辛い思い出があるなど、歌うことが苦手で音楽の授業が嫌いだったかたもいるかもしれない。

しかし、その「正しい音程」で歌えない人が「音痴」と呼ばれたのであれば、そもそも「正しい音程」とは何だったのか?

近代日本の学校教育においては、西洋音楽理論がとりいれられ、それは概ね西洋音楽の音階に基づいている。

明治22(1889)年発行の『音樂之枝折 續編』(大村芳樹著、普及舎)に掲載された【譜例1】「立禮ノ譜」は、日本の学校に通ったことのある人であれば、お馴染みの和音であろう。この和音を「礼」の動きと合わせる習慣は、明治10年代から定着していき、明治20年代には楽譜も発行されている。

【譜例1:立禮ノ譜】音源はこちら

これらの和音は、明治時代から現代に至るまで初等中等教育で使用され続けており、学校教育を通して身体化されていった西洋音楽の一例である。

日本の学校教育で最初に用いられた音楽教科書は『小學唱歌集』であった。その初編は明治14(1881)年に文部省から出版された。

今日まで歌い継がれてきた《蝶々》などが掲載されている『小學唱歌集』。全3編から成り、初編は音階練習から始まっている。初編・第2編は単音唱歌のみだが、第3編では複音や3重音の唱歌を修得してハーモニーを奏でる、いわゆる「ハモる」ことが目指された。

明治17(1884)年に出版された第3編の最後には、3つの声部で構成された《招魂祭》が掲載されている(【譜例2】)

【譜例2:《招魂祭》】音源はこちら

「和声学」とは?

「ハモる」とは、協和すること、融け合った和声になること。その和声の組織的・体系的研究、ハーモニーの理論が和声学である。

和声学は、現代の日本でも音楽専門教育に欠かせないものとなっている。明治前期にはアメリカやドイツの和声学書及びその訳書が参照されていたが、やがて日本の音楽教育に即した和声学書も出版されるようになる。

日本人による最初の和声学の著書は、明治41(1908)年に出版された『初等和聲學』だ。その標題紙には「嶋崎赤太郎閲 福井直秋編 初等和聲學 合資會社共益商社樂器店蔵版」と印字されている。

『初等和聲學』は何度も版を重ねているため、発行所名や責任表示が変わっている。したがって修訂増補版の標題紙では「島崎赤太郎閲 福井直秋著 初等和聲學全 東京 合資會社共益商社書店」となっている。

その『初等和聲學』修訂増補版では、「實際的に旋律の調和の一班を示す」ため、『小學唱歌集』初編所収の《大和撫子》冒頭8小節に付された和声が例示されている【譜例3】。

和声学の実習では課題の旋律を用いて、ソプラノ、アルト、テノール、バスという人声の音域を想定した4声部に仕上げることが多い。【譜例4】は【譜例3】を4声部にしたものだ。

【譜例3:《大和撫子》原曲】音源はこちら

【譜例4:《大和撫子》第1例】音源はこちら

先の『初等和聲學』修訂増補版には和声づけの例として6パターンが挙げられており、さらにそれらの応用について説明するための譜例が4パターン掲載されている。

その中の基本的な和声の3パターンについて少し説明する。前記の【譜例4】は1つ目のパターンである。最も平易な和声づけの例で、そのほとんどが【譜例1】と同様の和声進行、つまり主和音と属和音の連続となっている。

主和音は、音階の基礎となる音、音階の第1音の上にできる和音である。属和音は、主音に次いで重要な音、音階の第5音の上に構成される和音を指す。

【譜例4】よりも使用和音の種類を増やし、和音構成音の間をつなぐ経過音を交えるなど、少し変化させたのが【譜例5】だ。音楽はやや多彩になり、表情が豊かになったように感じられる。

【譜例5:《大和撫子》第2例】音源はこちら
  
以上はいずれもG dur・ト長調だが、次の【譜例6】は最後の2小節が転調し、近親調のD dur・ニ長調となっている。

【譜例6:《大和撫子》第3例】音源はこちら

以上の譜例には、いずれも和声学上の「間違い」はない。しかし、体系化された和声理論においては、「間違い」とされる和音の使い方や配置がある。

例えば4声のうち、ある2声が完全5度・8度の音程で並行することは避けなければならない「禁則」とされている。

各声部の動き、各和音の響き、調性の変化、そして禁則にも配慮しながら和声を検討するためには、理論への習熟だけでなく美的感覚が必要となる。音楽の「調和」という深遠なる世界には、和声学を通して分け入ることができるのだ。

近現代日本音楽史を考える

明治10年代から学校教育で西洋音楽理論がとりいれられていたことはすでに述べたが、その背景には、明治期の国策がある。当時新たな概念として提示された「音楽」は、国家・国民形成に深く関与している。

小中学校時代の音楽の授業が苦手だった、という声をよくきく。そのルーツとなる近代日本の音楽文化史は、批判的に考察されてこそ今日的意義を持ち得るのではないだろうか。

仲辻真帆(Maho Nakatsuji)
1988年、奈良県出身。県立奈良高校を経て2018年、東京藝術大学大学院修了。博士(音楽学)。東京藝術大学、静岡大学ほか非常勤講師。東京藝術大学未来創造継承センター大学史史料室学術研究員。東洋音楽学会、日本音楽学会、日本音楽教育学会ほか会員。「近代日本における西洋音楽理論受容の歴史的研究:東京音楽学校の作曲教育を軸として」にて、サントリー文化財団2021年度「若手研究者のためのチャレンジ研究助成」に採択。

※本記事の元論考「近代日本における西洋音楽教育の歴史的展開――「音階」「和声」概念の受容過程」は 『アステイオン』99号に所収されています。

『アステイオン』99号
 特集:境界を往還する芸術家たち
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]

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【譜例1】「立禮ノ譜」

【譜例2:《招魂祭》】

【譜例3:《大和撫子》原曲】

【譜例4:《大和撫子》第1例】

【譜例5:《大和撫子》第2例】

【譜例6:《大和撫子》第3例】



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