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世界に波及するガザ情勢、問われる国家と人間の品格

ニューズウィーク日本版 2023年12月6日 10時55分

<凄惨なガザの状況をめぐって揺れる世界では、至る所で国家と市民の品格がぶつかり合っている>

イスラエル軍のガザへの虐殺同様の攻撃と、揺れ動く世界の反応を見て、私は数年前にベストセラーとなった『国家の品格』(新潮新書)を思い出した。

著者の藤原正彦氏によれば、日本の国家としての品格は「情緒」と「形」によって成り立っているという。

 

日本に限らず、情緒と形は国家の品格を考える際に重要な構成要素となる。ここでいう情緒とは「懐かしさ」とか「もののあわれ」など、その国の人々の精神や感情などを指すものとなる。また形とは、精神や価値観を形にするもの、例えば「日本の武士道精神からくる行動基準」はその一つとなる。

イスラエルがガザ攻撃で見せている「自国を守るためならパレスチナ人を全員殺していい」とでもいうような論理と、一部でそれが黙認されてしまう今の世界は、まさしく「国家の品格」ならぬ「人間社会の品格」が揺れている状況のように思えてならない。
 
藤原氏によれば、人間にとって最も重要なことの多くは論理的に説明できないという。イスラエルのガザ地区への攻撃では、論理的にいうなら、「2万人以上の丸腰の市民や8000人の子供、女性を殺してはならない理由」も「民間人や子供でさえ殺していい理由」もいくつでも挙げることができる。

今、国家も人間も品格が問われている。

ハマスを「テロリスト」と呼ばないBBC

ハマスの奇襲作戦「アル・アクサの洪水」はイスラエルに未曾有のパニックをもたらした。イスラエルのガザ地区への報復爆撃もエスカレートし、地上侵攻も始まった。

欧米の多くの政府がハマスを「テロリスト」と非難する中、イギリスの公共放送BBCはこの表現を使わず、政府や市民から批判や抗議の声が上がっている。(BBCでは代わりに「戦闘員」という言葉が使用されている)

その理由について、BBCは長年の姿勢として次のように説明している。

「テロリズムは、重大な政治的色合いを伴う難しく感情的なテーマで、価値判断を伴う言葉の使用には注意が必要だ。出所を明示せず、テロリストという用語を使うべきではない」

「『テロリスト』という言葉は、理解の助けよりも妨げになる可能性がある。われわれは何が起きたのか説明することで、視聴者に全貌を伝えるべきだ。他者の言葉をわれわれ自身の言葉として採用すべきではない。われわれの責任は客観性を保ち、誰が誰に対して何をしているのかを視聴者が自ら判断できるように報道することだ」

日本のメディアや記者はBBCのこの判断をどのように見ているのだろうか。偶然ではあるが、これは数週間前に当方が訴えた考えに近いものだ。

「観点」と「視点」という言葉はどちらも物事を見る立場を意味しているが、本来の意味は少し違う。その違いを分かりやすく言うと、観点は「考え方」であり、視点は「見方」である。

中東アラブ地域、ひいてはパレスチナ情勢を報じる日本のメディアが使用するさまざまな言葉には、「視点的要素」よりも「観点的要素」の方がはるかに大きい。この問題の扱いに関する日本のメディア人には、品格を問う意識があるのだろうか。

 

ハマスによるイスラエル攻撃をめぐり、欧米政府が中心となってイスラエルへの強い支持と同情を表明した一方、その後のガザ地区への無慈悲な報復は欧米諸国を含む世界中の人々の怒りを呼んでいる。結果として、今や圧倒的にパレスチナ支持の勢いのほうが強く、連帯を叫ぶ声は大きくなるばかりだ。その原動力となるのは、人間としての品格だと言えよう。

いま私たちが目の当たりにしているのは、国家と市民の品格がぶつかり合う光景だ。日本でも政府による公式対応と国民の受け止め方との間にギャップが広がりつつある。

信憑性に欠けるイスラエルの主張

パレスチナ情勢への視点や関わり方で品格が問われる場面は他にも多くある。その一つが、ガザ地区北部にあるアルシファ病院へのイスラエルの空爆とその理由である。

アルシファ病院内にハマスの軍事拠点が存在することについて、イスラエル側の説明が矛盾している。イスラエル軍はアルシファ病院への突入後、院内を説明するヨナタン・コンリクス報道官の動画を削除し、新たに編集された動画を公開した。これを受けて、病院内にハマスの拠点が存在するというイスラエル側の主張の信憑性について疑問が生じている。

イスラエル軍にとって、アルシファ病院に突入することはすなわち、カッサム旅団(ハマスの軍事部門)の指揮統制センターに到達することを意味するようだった。イスラエル軍の報道官は病院内部の地図を見せながら、ハマスの軍事拠点の存在を証明していると懸命に説明していた。

ところが、イスラエルは1980年代にアルシファ病院を改修したとき、そこに地下室を建設していたことが判明した。そのため、そもそもイスラエルは最初からアルシファ病院で重大なことを発見する必要はなかった。イスラエルの技術者によって作成された設計図さえあれば、地下のトンネルを軍事施設の重大な発見かのように見せかけるのに十分だったのである。

軍報道官は先月15日、BBCと米FOXニュースの記者に同行を許可して病院内部を案内した。BBCのルーシー・ウィリアムソン記者はリポートで、「イスラエル軍は取材班の移動する場所と時間を制限していて、病院の医療スタッフや患者に話を聞くことができなかった」としている。

イスラエルは世界の大手ニュースメディアに病院取材を許可したが、結果的には倫理と品格の低さを世界に向けて露呈させることとなった。これも国家の品格と人間の品格がぶつかり合うのを目の当たりにした瞬間だった。

イスラエルとパレスチナ情勢との向き合い方について、アメリカの若者のスタンスにも変化が見られる。10月に行われたハーバード大学と世論調査会社「ハリス・ポール」の共同調査では、18〜24歳の回答者のほぼ半数(48%)が「この紛争ではイスラエルではなくハマス側に味方する」と答えた。また、同調査の別の項目で48%がバイデンのイスラエル政策に反対している結果となった。

ガザ地区で医療支援活動に携わり、イスラエルとハマスの軍事衝突が始まったため帰国した日本赤十字社の看護師、川瀬佐知子さんは17日に都内で記者会見を開いた。その中で「一人一人がこの歴史的な悲劇の傍観者であってはならない」と訴えた。これも一人の人間としての 品格が行動となって表れた場面だ。

 

「命の重さはみんな同じはずなのに、この世界はフェアにはできていない。自分たちに人権なんてない。私たちは本当にみじめだ。きっとこの言葉さえも世の中には伝わらない」と、パレスチナ住民の一人は言う。品格のある者であれば、突き刺さるほど感じ入る言葉だ。

イソップの寓話に「戦争と傲慢」という話がある。

神々が結婚式を挙げ、それぞれ伴侶が決まったのだが、ポレモス(揉め事、戦争)は最後に遅れて到着した。一人だけ残っていたヒュブリス(傲慢、おごり)をめとることになる。

もっとも、ポレモスはヒュブリスを熱愛していて、ヒュブリス(傲慢、おごり)の行くところにはどこにでもついて行くのであった。「されば、傲慢が民衆に笑みを振りまきながら、諸国民諸都市を訪れることのないように。その後から、たちまち戦争がやって来るのだから」(『イソップ寄話集』岩波文庫・中務哲郎訳)

言葉の端々におごりが溢れながら傲慢な行動が止まらないイスラエルと欧米諸国。なんだか、ポレモスと重なって見える。

【執筆者】アルモーメン・アブドーラ
エジプト・カイロ生まれ。東海大学国際学部教授。日本研究家。2001年、学習院大学文学部日本語日本文学科卒業。同大学大学院人文科学研究科で、日本語とアラビア語の対照言語学を研究、日本語日本文学博士号を取得。02~03年に「NHK アラビア語ラジオ講座」にアシスタント講師として、03~08年に「NHKテレビでアラビア語」に講師としてレギュラー出演していた。現在はNHK・BS放送アルジャジーラニュースの放送通訳のほか、天皇・皇后両陛下やアラブ諸国首脳、パレスチナ自治政府アッバス議長などの通訳を務める。元サウジアラビア王国大使館文化部スーパーバイザー。近著に「地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人」 (小学館)、「日本語とアラビア語の慣用的表現の対照研究: 比喩的思考と意味理解を中心に」(国書刊行会」などがある。



アルモーメン・アブドーラ(東海大学国際学部教授)

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