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出稼ぎ労働者に寄り添う深圳と重慶、冷酷な北京

ニューズウィーク日本版 2023年12月7日 14時25分

<不動産バブル崩壊で中国経済は「日本化」するか(3)>

第2回では、中国の大都市にある「都市の中の村(城中村)」とはどのようなものであり、なぜ存在するのかを説明した。そこでも触れたように、城中村は防火や住環境の面で大きな問題を抱えている。深圳市政府は2009年から城中村の改造に取り組んできた。その方式には、(1)取り壊して再建、(2)機能の転換、(3)総合的な整備、の3つがある。

第1の、取り壊して再建する方法は、城中村全体を地方政府が買い上げて取り壊し、道路を整備して建物の間に間隔を空けて立て直す方式で、深圳市では大衝村というところで2002年から実施された。ただ、この方式にはいろいろな弊害が指摘されている。村から土地・建物を買い上げるときの補償によって村民たちは大金持ちになる一方、アパートを借りて住んでいた人たちにとって再建されたアパートは高すぎるので、彼らは住む場所を失うことになる(楊・子・劉、2020)。こうした現象は「ジェントリフィケーション」と呼ばれ、欧米の都市にも見られる。

深圳市政府はそうした弊害を認識して2019年の城中村整備計画では大規模な取り壊しを行わない方針を示した(劉、2021)。その代わりに城中村の総合的な整備を行って、より安全で快適な場所に変える努力が行われている。

その一例が、福田区の水囲村の一部で建設された「人才アパート」である。ここでは村民たちが建てたアパートのうち29棟を不動産業者の深業集団に貸与し、深業集団が消防施設や通路を整備し、1、2階を商業施設に改造し、安全な電気工事を行うなど全面的なリノベーションを施したうえで福田区政府に貸与した。福田区政府はそのアパートを人才アパートと称して単身者に貸し出して家賃を受け取る。そして区政府は入居者から受け取った家賃に区の補助金を上乗せして深業集団に支払う。深業集団は水囲村に地代を支払う。このようにして、水囲村のアパートのうち29棟は城中村としての本質は変わらないまま、区政府の補助によって、家賃は安いが条件の良いアパートに生まれ変わった(楊・胡・劉、2020)。

ただ、この方式では城中村の狭隘(きょうあい)さや安全上のリスクは根本的には解決されない。2021年に深圳市の「都市更新条例」が改正され、これまでは城中村の建物の所有者全員が同意しないと市政府による買収ができなかったのが、所有者の95パーセントの同意でも買収が可能となった。これにより、城中村の買収が進み、それを取り壊して再建する動きが再び活発化すると見込まれている。深圳市では2018年から2035年までの間に170万戸の住宅を供給する計画だが、その6割は人才アパートのような公的補助付きの民間アパートとするという(楊、2021)。

農村からの移住労働者を受け入れる重慶の公営団地

日本の高度成長期、すなわち都市化が急速に進展した1950年代後半から60年代にかけて、東京の近郊では大規模な公団住宅が建設され、とくに地方から東京へ就職したサラリーマンたちが多く住むようになった。私の自宅近くにある荻窪団地は1958年に竣工したが、21棟のアパートが立ち並び、875戸が入居していた。各棟の前には広々とした庭があり、児童公園も整備され、周辺には商店街もあり、1980年代までは住民も多くてずいぶん活気があった。

深圳の城中村の問題を解決するために、郊外に東京近郊にあるような公営団地を建て、城中村の住民たちもひと頑張りすれば手が届くような値段で賃貸・分譲したらどうだろうか。深圳市は東京都とほぼ同じ面積に1766万人も住んでいてすでに過密であるが、隣接する東莞市や恵州市であれば大規模な公営団地を建設する土地もあると思う。ただし、深圳市の地下鉄は東莞市や恵州市まで延びていないので、東莞と恵州から深圳へ通って仕事をするのはかなり無理がある。公共交通ネットワークを隣接市にまで延伸し、ベッドタウンを造ることを検討するべきだと思う。

実は、郊外に大規模な公営住宅を建てている都市が中国にもある。それは重慶市である。重慶市には製造業の工場が多く立地し、そこで働くために農村から多くの人々が移住しているが、そうした人々の住む場所として重慶市は2010年から4000万平方メートル以上の公営住宅を造ってきた。こうした住宅は戸籍が重慶市にあるかないか、農業戸籍か非農業戸籍かの別にかかわらず、月収が3000元以下の単身者、および合計収入が4000元以外の夫婦であれば入居できる(胡・王、2022)。公営住宅は22~33階建てと高層で、建ぺい率は22~27パーセントと敷地が広くとられている。家賃は60平方メートルの住宅でも月540~600元(1万800円~1万2000円)で、重慶市の同等の民間住宅の半分程度と格安である。

ただ、重慶市の公営住宅はコストを下げるために市の中心から14~56キロメートルも離れた場所に立地しており、バスや地下鉄など公共交通の便が悪く、通勤に70分以上かけている住民も多い。公営住宅に住んでいるのは外地出身者ばかりなので、重慶市民との交流が生まれず、周囲の社会から浮いてしまっているそうだ。公営住宅に整備したショッピングセンターは商店が入居せず、ガラガラな一方、路上で野菜を売る露天商が出現している。買い物が不便で物価が高いことは入居者の不満の種である(胡・王、2022)。一方、深圳の城中村は、アパートは狭くて危険だが、通勤や買い物の便は良い。

巨大な「ギャップ」を埋める住宅を供給できるか

重慶のように郊外の大規模な公営住宅を建てる道と、深圳のように市中心部の城中村を活用して住居条件を改善する道とがあるが、そのどちらかを選択するというよりも、条件の悪い住宅に住んでいる低所得階層に対し、公的補助によってより条件の良い住宅を安価に提供するさまざまな試みが並行して実践されるべきであろう。なぜなら、深圳や重慶のように産業が成長中の大都市にはこれからも人口の流入が続くだろうし、そうした新しい住民たちには安全で条件の良い住宅へ住みたいという願望があるだろうからである。

しかし、いま不動産バブルの崩壊で売れなくなっているマンションが、こうした階層にも手が届く水準まで値下がりする可能性はまずない。住宅を所有できる階層に見放されて値崩れしているマンションの値段と、新市民や低所得階層に手が届く住宅の価格との間には、依然として巨大なギャップがある。そのギャップを埋めるような価格帯の住宅を供給できれば、中国の不動産業はまだ成長する余地が大きいはずだ。

少し大風呂敷の話をすると、いま中国が直面している問題は、ヨーロッパ経済史でいわれている「勤勉革命(industrious revolution)」という概念を想起させる。近代のヨーロッパにお菓子やタバコといった嗜好品が出現したために、それを買うために人々はより勤勉に働くようになったという。このことを経済史家は勤勉革命と呼んだのだが、高度成長期の日本では住宅がサラリーマンたちの勤勉革命をもたらしたのかもしれない。サラリーマンたちはローンを背負って住宅を買ったので、会社に長く勤め、給料が増えるように奮闘せざるをえなくなった。

中国でも低所得の労働者たちが住宅を買うようになれば、会社で長く勤勉に働くようになる可能性がある。だが、どうあがいても住宅が買えそうにないということであれば、彼らはやがて労働に疲れてやる気を失い、スラムに沈殿するか、貧しい故郷に帰ってしまうかもしれない。住宅が手に届くかどうかは、農村から出てきた労働者たちが都市に定住し、長く勤勉に働くかどうかに影響すると思う。

閉鎖性と強権性を異様に強める北京市政府

深圳市と重慶市はいずれも都市に流入する人口に対して良好な住宅を供給するための努力を始めている。一方、北京市と上海市は都市への人口流入そのものを止めている。下の図4に見るように、北京と上海の人口は2013年以降ほとんど伸びていない。深圳市の人口が2010年から2020年の10年間に726万人増え、広州市も同じ期間に603万人増えたのとは対照的である。

私は、北京市が異様に閉鎖性を強めていることを2017年頃から意識するようになった。北京市と隣接する天津市や河北省との間は何本もの道路でつながっているが、2017年夏に天津市に工場見学に行ってバスで北京に帰ってくるとき、バスは突然、高速道路を外れて横の公安検査所へ向かった。

下の写真はそのときに撮ったものであるが、写真の左側にガラガラの道路が見える。これが本来の高速道路であり、かつてはこちらを通って特段の検査もなしに北京市に入ることができた。ところが、2017~19年には天津市や河北省のどの道路から北京市に入るときにも車は「公安検査」という関所を通る必要があり、そこで車の乗員の身分証チェックが行われた。関所のところでは当然渋滞が発生する。検査はテロ防止を目的としたものなのだろうが、これがあるために北京に車で入るのに渋滞も含めて30分は余計に時間がかかり、はたしてその膨大な無駄を必要とするほどの大きなリスクがあるのか、と首をひねってしまう。

天津から北京へ入る車は高速道路の途中で公安検査所へ迂回させられる(筆者撮影・2017年8月)

この検査に象徴される北京市政府の閉鎖性と強権性は、出稼ぎ労働者たちが住む村に対しても容赦なく発揮されている。

2017年11月に、北京市郊外の出稼ぎ労働者たちが住む村で簡易宿泊所の火災が起き、19人が亡くなった。火災が発生したアパートは東西80メートル、南北76メートルもある地上2階、地下1階の建物だった。2階には305の居室、1階にはレストラン、商店、銭湯、アパレル工場などが入っていた。その地下にあった冷蔵倉庫で電気のショートが発生したことが火災の原因だが、北京市政府が取った対策は火災を起こしたアパートの責任者を処罰するだけでなく、村の住民を2週間以内にすべて追い出し、村全体を潰すことであった。

北京の火災があぶり出した中国の都市化の矛盾
火災から2週間で抹消された出稼ぎ労働者4万人が住む町

4万人が営んでいた生活と生産の痕跡

その村の名は「新建村」という。深圳の城中村とは違って、新建村は北京市の中心から南へ20キロメートルも離れた田園地帯にある。したがって、ここを城中村(都市の中の村)と呼ぶのは正確ではない。

この村に隣接した地域に2002年から地元の鎮政府がアパレル工場を誘致し、アパレル、電子、自動車部品などの工場が並ぶ工業団地ができた。新建村はその工業団地で働く労働者たちの住む場所として発展し、東西1.1キロメートル、南北1キロメートルの場所に2階建てぐらいの簡易宿泊所などが集まっていた。村にはスーパー、理髪店、服屋、携帯電話店、診療所、パン屋、理髪店、銭湯、中国各地の料理のレストランなど生活に必要な商業施設が完備し、従業員5~30人ぐらいの零細なアパレル縫製工場もたくさんあった。村の人口は4万人ぐらいだったと推計される。4万人の生活と生産の場を北京市政府は違法建築を取り締まるという名目によってわずか2週間で潰してしまったのである。

住民が去ってもぬけの殻となった新建村の商店街(筆者撮影・2017年12月)

都市化も住宅高度化も進まず、不動産業の低迷が続くおそれ

北京市政府は新建村に住んでいた人々に対してなぜここまで冷酷なのだろうか。

第1に、北京市政府は北京市戸籍を持つ人々のほうだけ見て仕事をしているからである。北京市民の目からは、ほかの地域から流入する労働者たちは市の財政負担を増やす厄介者とみなされがちである。もちろん大勢の人々を強権的に追い出すことに対して義憤を覚えた市民も少なくなかったが、そうした声は抑え込まれた。第2に、市政府としてはアパレル産業のような低付加価値の産業を追い出し、北京市内ではもっと高付加価値の産業に集中したいという考えもある。アパレル産業労働者や零細アパレル業者が安心して定住できるようにしようという考えはもともとないのだ。

北京市の新建村の例は、地方政府が強大な権限をふるって都市化を食い止められることを示している。経済発展の趨勢からいえば中国の都市化はまだ今後も進むはずであるが、北京市政府みたいな地方政府ばかりになれば、都市化が現状のまま停滞することも考えられる。深圳市や重慶市は労働者などとして流入してくる人口に対してより良い住環境を提供しようとしているが、北京市は流入労働者の住環境向上にはまるで関心がない。

北京市のような地方政府ばかりになれば都市化も住宅高度化も進まなくなり、不動産業の低迷が今後も長く続くだろう。中国が国全体としてそうした政策選択の誤びゅうに陥り、日本の1993年よりもまだだいぶ低い経済発展レベルであるにもかかわらず、「失われた30年」の扉を開いてしまう可能性は決して小さくない。なにしろ2017年11月に新建村のお取り潰しを命じた張本人である蔡奇(当時の北京市共産党委員会書記)が、今や中国共産党のトップ7に名を連ねているのだから。

中国学.comより転載

参考文献:

胡煒傑・王裔婷「農民工視角下的我国廉租住房発展模式――以重慶公租房与深圳城中村的住房模式為例」『南方建築』2022年第8期

劉雯菁「城市修補理念下深圳城中村更新策略研究――以笋崗村為例」『建築与文化』2021年第6期

楊棄非「城中村更新提速、“新深圳人”安居何処?」『城市開発』2021年第2期

楊鎮源・胡平・劉真鑫「村城共生:深圳城中村改造研究」『住区』2020年第3期



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