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京大がヒトの「非統合胚モデル」で着床前後の状態を再現 倫理面の懸念にも配慮

ニューズウィーク日本版 2023年12月11日 19時0分

<iPS細胞などを使って独自に開発した胚モデルで、ヒトの胚が子宮に着床する前の段階から着床後までを連続的に再現──京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の高島康弘准教授らが中心となって行った研究の詳細と意義、iPS細胞の研究状況を概観する>

ヒトの命は、父親の精子と母親の卵子が受精することから始まります。「生命の神秘」を解明するためには、受精卵(胚)の研究が不可欠です。けれど、「赤ちゃんのもと」と言える胚を使って研究をすることは、生命倫理の観点から厳しい制限がかけられてきました。

ところが近年は、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の山中伸弥名誉所長・教授が作製技術を確立したiPS(人工多能性幹)細胞やES(胚性幹)細胞を使って、受精が行われなくても胚と同じような機能を持つ人工の「胚モデル」を作れるようになりました。胚モデルには研究の制限があまりないという利点があります。

胚が成長して個体となる過程を解明するために、各国が独自の胚モデルを開発してしのぎを削る中、12月5日付のイギリスの科学学術誌「Nature」に日本から世界をリードする研究成果が報告されました。

iPS細胞研究の本拠地とも言えるCiRAに所属する高島康弘准教授らが中心となって行われたこの研究は、iPS細胞などを使って独自に開発した胚モデルを用いてヒトの胚が子宮に着床する前の段階から着床後までを連続的に再現したものです。これまでに欧米などから報告された研究は、着床前か着床後のどちらかの再現のみでした。

さらに、同チームが開発した「非統合胚モデル」は、胚モデルから将来「人造人間」が作られる可能性を食い止めつつ、ヒト胚の初期の成長の仕組みを解明するのに役立つと期待されます。

現在のiPS細胞の研究状況と、今回の研究の詳細と意義を概観しましょう。

大量に作ることが可能で、入手しやすいiPS細胞

2012年に山中CiRA名誉所長が「再プログラム化(リプログラミング、初期化)によって分化した細胞に多能性をもたせる」研究でノーベル生理学・医学賞を受賞して以来、iPS細胞を使って生物の発生過程や病気のメカニズムを調べたり、再生医療に役立てたりする手法は、目覚ましい発展を遂げてきました。

なお、iPS細胞やES細胞は多能性幹細胞と呼ばれ、研究の場での使われ方はほぼ同じですが、体細胞(分化した細胞)にたった4つの遺伝子を導入するだけで別の細胞に分化できる能力を再度獲得できるiPS細胞は、大量に作れるため入手しやすいという特徴があります。

一方、ヒトの場合、ES細胞は不妊治療の際の余剰胚の提供を受けて用いられるため、「胎児になる受精卵を壊して多能性細胞を得る」という倫理的な問題があり、日本では再生医療への応用が長年禁止されていました。20年に赤ちゃんに対するES細胞由来の生体肝移植が初めて行われましたが、一般的に用いられるようになるには時間がかかりそうです。

日本では13年に、文部科学省から再生医療研究に対して10年間で約1100億円の予算がつくと発表され、産官学が参加する「再生医療実現拠点ネットワークプログラム」が作られました。現在、iPS細胞を使った再生医療のプロジェクトは日本では17件(23年4月時点)あり、パーキンソン病や亜急性期脊髄損傷、角膜疾患、輸血用血液などで臨床試験が行われています。

なかでも、iPS細胞を利用して免疫細胞を作ってがん細胞を攻撃させる治療法は、国内外で行われ注目を集めています。日本では、20年から千葉大病院でiPS細胞からNKT細胞を作って頭頚部がんの治療に、21年から国立がん研究センターでNK細胞作って卵巣がんの治療に使用する臨床研究が行われています。

アメリカでも、19年からバイオ医薬品会社であるフェイト・セラピューティクスがiPS細胞からNK細胞を作って急性骨髄性白血病やB細胞性リンパ腫などをターゲットにする治療の研究をしています。21年からはミシガン大でも、iPS細胞由来のNK細胞を卵巣がん治療に用いる臨床研究が行われています。

ヒトの初期胚を模倣する胚モデルを開発

再生医療への活用が世界的に急速に進んでいるiPS細胞ですが、ヒト胚モデルの作成には主にES細胞が使われています。とりわけ、23年は顕著な成果が相次いで報告されました。

「Nature」には6月に、英ケンブリッジ大の研究チームと米イェール大の研究チームからそれぞれ「ES細胞を使って、受精を経ずに着床後のヒトの胚に似た細胞集団(胚モデル)を作製した」という論文が発表されました。同誌には9月に、イスラエル・ワイツマン科学研究所などの研究チームから、ナイーブ型と呼ばれる通常よりも原始的なES細胞を用いて受精後14日の状態を再現した胚モデルを作ったという報告も掲載されました。

一方、CiRAでは、14年にナイーブ型のヒトiPS細胞の作製法を確立しました。21年には、ナイーブ型多能性幹細胞から胎盤の主な機能を担う栄養膜細胞を作製することに成功しています。

ヒトの胚は受精後5日程度で、身体を作るエピブラスト、胎盤を作る栄養膜、栄養分となったり細胞の成長について指令信号を出したりする原始内胚葉の3種類の細胞に分かれます。

今回、高島准教授らの研究チームは、ナイーブ型ヒト多能性幹細胞(iPS細胞とES細胞)からこれらの3種類の細胞を誘導し、栄養膜細胞とそれ以外を半透過性の膜で離して共培養してヒトの初期胚を模倣する胚モデルを開発しました。

チームはまず、ナイーブ型ヒト多能性幹細胞から原始内胚葉に誘導する方法を新たに開発しました。次に、この原始内胚葉と既知の方法で作成したナイーブ型ヒト多能性幹細胞由来のエピブラストを共に誘導すると、4日目には球状の集合体になりました。これは着床前の胚の状態によく似た構造で、研究チームによってバイラミノイドと命名されました。

さらに、ナイーブ型多能性幹細胞から栄養膜細胞に類似した細胞を作り、他の2種の細胞から作られたバイラミノイドと半透過性の膜を隔てて一緒に培養しました。これは、着床期の胚を構成する3種の細胞が膜で物理的に隔てられつつ、同一の環境下で相互作用できる状態です。「非統合胚モデル」と名付けられたこの胚モデルを使うと、9日目にはバイラミノイドの内部に、着床後の胚と同じように様々な細胞が観察されました。それらは各臓器や、生殖細胞のもとになる細胞と類似していました。

「人造人間」を作らないための配慮も

胚モデルを用いると、①本物の胚(受精卵、胎児になりうる胚)の利用では生命倫理上タブー視されていたような改変や破棄を伴う研究のハードルが下がり、②とくにiPS細胞を使えれば大量に同種のものが作れるために、体系的な研究の推進にもつながります。ヒトの発生初期について胚モデルを使って知見が得られれば、不妊や流産、先天性疾患などの原因究明や治療法につながる可能性があります。

また、これまでは着床後の胚を観察すること自体が難しかったため、胚モデルを着床後に相当する時期まで育てれば、妊娠初期に組織や臓器が成長する仕組みを解明するのに役立つと考えられます。

ただし、胚モデルには「科学技術が向上すれば、人造人間の誕生まで行きつくのではないか」という懸念が常にあります。量産が可能なiPS細胞を用いられるとすればなおさらでしょう。

今回の「非統合胚モデル」は、この懸念にも対応しています。身体を形成するバイラミノイドを胎盤になる細胞から切り離して培養しているので、もしバイラミノイドを母体に移植したとしても成長できないからです。

研究のためのヒト胚の培養は、40年ほど前に「14日を超える(あるいは原始線条という構造が現れたら)培養の禁止」というルールが提唱され、日本を含め国際的に広く受け入れられてきました。21年5月には、国際幹細胞学会が14日を超える培養を認める指針を出すなど、ヒト胚の研究には今まさに「規制緩和の波」がきています。しかも、これは受精卵を想定したもので、胚モデルについてはルール作りが追い付いていない状態です。

今回、CiRAで行われた研究は、受精卵を使わない胚モデルで着床前後という生命の発生に最も重要な時期を連続的に再現したとともに、人造人間を作らない配慮が行き届いています。倫理面での社会的要請にも応えやすく、胚モデルの研究者に対しても今後の方向性を示し、利用する研究者にとっても使用しやすい、卓越した研究と言えるでしょう。



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