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目標だった「福田ドクトリン」は今や現実に 日本とASEAN50年の歩みと、これからの協力関係

ニューズウィーク日本版 2023年12月15日 16時0分

<総人口6.8億人を擁し、目覚ましい経済成長を遂げたASEAN。日本およびJICAはこの地域の発展にどう関わってきたのか。50年にわたる協力を振り返ると同時に、現在の重点領域、さらには今後日本がASEANから期待されることまで、JICA東南アジア・大洋州部の早川友歩部長に聞いた>

日本とASEAN(東南アジア諸国連合)は今年、友好協力50周年を迎えた。この機をとらえ、日本およびJICAがASEANと共に築いてきた信頼と発展の足跡を振り返るとともに、未来に向けたパートナーシップ像について考えたい。今回は、2000年代初頭に3年間ベトナム・ハノイに駐在し、現在はJICA東南アジア・大洋州部で部長を務める早川友歩氏に話を聞いた。

JICA東南アジア・大洋州部の早川部長

◇ ◇ ◇

想像を超える発展を遂げたASEAN地域

総人口6.8億人を擁する東南アジア。現在、域内10カ国で構成されるASEANは、1967年に地域の経済成長や政治的安定の確保を目的に設立され、言語や民族、文化、風土、政治体制が異なる中、各国が互いの多様性を尊重しながら、一つの共同体として地域の繁栄と安定を目指してきた。

東南アジアの経済成長は目覚ましく、GDP(国内総生産)の総額は、2002年の0.66兆ドルから2022年には3.6兆ドルに達するなど、一大経済圏へと成長。「開かれた世界の成長センター」として国際社会から注目されており、日本にとっても中国に次ぐ貿易相手となっている。

■関連記事:900キロを実際に走行 ...インドシナ半島の大動脈「南部経済回廊」から見たASEANの連結性強化

一人当たりGDP(名目、アメリカドル)は世界銀行の2022年のデータを掲載

──GDPの総額だけを見ても過去20年で5.5倍に拡大するなど、ASEANの成長は目を見張るものがあります。早川さんは20年ほど前、ベトナムに駐在していたそうですが、この間の発展ぶりをどう見ていますか。

早川 多くの日本人が想像している以上にASEAN諸国は発展している、というのが実感です。私は2002年から3年半ほど、ベトナムのハノイに駐在していたのですが、ちょうどその頃完成した市内中心部の小さなショッピングモールでは、まだエスカレーターが珍しく、子どもたちがわざわざ乗りに来ていました。今では大型ショッピングモールが立ち並び、1990年代後半には街中を行き交っていた多くの自転車もバイク、そして自動車にとって代わられました。ハノイにも、そして東南アジアの多くの大都市にも、いまや日本と大きく変わらない都会の風景が広がっています。

東京のJICA本部にもASEAN各国の政府関係者や民間セクターの方々が頻繁に訪れますが、皆さん迫力ある面持ちで、自信に満ち溢れています。経済的な発展や生活水準の向上だけでなく、人々の心持ちまで変わってきたように感じます。

前回のASEAN首脳会議の開催地となったインドネシア・ジャカルタの街並み Creativa Images-Shutterstock

──ASEANとの友好が始まったのは1973年。日本が生産量を大幅に増やした安価な合成ゴムとASEAN諸国の天然ゴムが市場で競合し、合成ゴムの輸出問題をめぐる対話が始まったことが発端でした。以来、日本とASEAN地域は50年にわたってどのような関係を築いてきたのでしょうか。

早川 日・ASEAN合成ゴムフォーラムに続いて、日本の東南アジア外交の指針となる「福田ドクトリン」の発表は非常に大きい意味があったと思います。また、日ASEAN首脳会議および外相会議の初開催、1980年代からは国づくりの土台となる人づくりへの協力などを通じて、ASEAN地域との友好協力を深めていきました。

ASEAN諸国の成長過程において、日本がより豊かな時代もありましたが、もともと両者は互いに文字通り大事な隣人であり、友人であり、幼馴染のような、切っても切れない存在です。インド太平洋地域の安全保障という外交上の観点や、「チャイナ+1(中国以外への分散投資)」といった脱中国の文脈で東南アジアを重視する見方もありますが、たとえそうしたファクターがなくても、相互に補完し合い、共に発展を目指すという日本とASEAN地域の関係性は決して変わらないと思います。そしてこの地域の中でASEANという枠組が果たした役割は極めて大きいものです。もしASEANが設立されていなかったら、地域の政治経済の安定や成長は大きく異なるものになっていたでしょう。

ASEAN諸国の成長を信じ、共に歩んだJICAの協力

──この50年間にJICAとしては、どのような協力を行ってきたのでしょうか。

早川 JICAでは、東南アジア地域において、70年代から道路、空港、鉄道をはじめ、ダムや発電所、灌がいや上下水道の整備など、経済や生活を支えるインフラ開発を支援してきました。それらは改修を経て今でも人々の暮らしや生産活動の基盤になっています。これらの分野では単なる資金提供だけでなく、そもそもの計画づくりから協力し、また必要な技術移転を積極的に行ってきました。さらに基礎教育や産業人材の育成、法制度整備、平和構築や保健医療などあらゆる分野で協力を展開してきたと言えます。近年では新型コロナ感染症の支援と、幅広い分野でASEANの地域ニーズにこたえる協力を続けています。

(左)カンボジア・プノンペンでは、老朽化していた浄水場の改修と給水能力向上を支援。これにより水質が向上し、人々が安全に水道水を飲めるようになった (右)タイでは同国の経済成長を牽引する東部臨海地域の開発に協力してきた。写真はタイ最大の国際湾岸レムチャバン港(Photo: Okuno Yasuhiko/JICA)

──JICAによる協力の成果をどう評価していますか。

早川 日本と東南アジアの協力は、ビジネスや民間ベースの協力・交流を含めて複層的なものであって、ODAの果たした役割はその一部ですが、全体として日本の協力はうまくいったと評価して良いのではないでしょうか。JICAのさまざまな協力は人づくり・国づくりの支えとなり、また各国の民間セクターの発展のベースとなり、ASEAN地域の開発と経済発展に大きく貢献したと思っています。そして、それ以上に大事だと思うのは、日本がASEAN諸国の成長を信じて長期にわたり協力してきた歩みです。

今でこそマレーシアやタイに続きインドネシアは中進国の仲間入りをし、ベトナムやフィリピンもそのすぐ後を追っています。しかし1980年代から90年代にかけては、国際社会はASEAN諸国がこの先、順調に発展するかどうか確信を持っていなかったと思います。一部の国はいったん高成長を達成したものの、その後97年のアジア通貨危機で大きなダメージを受けたこともあり、当時の国際的な開発協力のコミュニティは、多くの途上国が貧困削減のために援助に依存する姿しかみえず、ASEAN諸国が成長していく道筋を描けずにいたのです。

しかし、私たちは、日本が戦後大きく成長したように、ASEAN地域が発展することを信じて疑いませんでした。だからこそJICAは、ASEAN諸国自身の成長への思いに寄り添いながら、共にビジョンを描き、その達成に向けた計画作りを進めてきました。長期的な視野に立ち、ASEAN諸国の政府や人々の主体性を重んじ、現場で共に国づくり・人づくりを推進してきた姿勢こそ、最も評価してもらえるのではないかと思います。この姿勢は決してODAに限られるものではなく、民間企業、NGOや研究者の方々など多くの日本の関係者に共通したものだと思いますし、それが東南アジアの人々の親日度や日本への信頼につながったと考えています。

マレーシアでは日本の近代化を手本とする東方政策の一環として、両国共同でさまざまな人材育成活動が進められてきた。写真は河川における水質調査に関わるJICAの研修(写真提供:Khairul Fadzilah binti Mohd. Omar)

──ASEANに対するJICAの重点領域の一つに、「ASEANの連結性強化」 があります。これはどのような協力なのでしょうか。

早川 ASEANがこれほど発展した要因の一つとして、90年代まで続いたインドシナ半島での戦乱を最後に、地域に大きな紛争がなく安定が続いていることが挙げられます。「戦場から市場へ」の呼びかけのもと、各国政府はときには合意に至らずとも対話を重ね、また団結すべきときは一体となって、ASEANという枠組みを作り上げてきました。地域の安定はまさしく成長の源です。この発展を維持していくためには、域内で紛争が起こりようもない状況を保てるよう結束性を高め、さらに地域としての長期的ビジョンを共有することが大切です。

ASEAN原加盟国(1967年に加盟した5カ国)と後期加盟国との間に広がる「地域内格差」を是正するという意味でも、「連結性」はASEANにとって非常に重要なキーワードと言えます。JICAでは、各国をつなぐ道路や橋といったインフラ整備などによる物理的な連結性、物流の円滑化を図る通関システムなど制度的な連結性、そして、人と人とのつながりを重視した高等人材・産業人材の育成、研修、大学・研究機関の間や人的なネットワーク強化といった人と人との連結性という3つの観点から、域内の結束を高める取り組みをサポートしています。

さらなる課題解決には民間との連携が不可欠

──成長著しいASEAN地域ですが、近年の課題にはどんなものがありますか。

早川 「地域内格差」の問題に加えて、近年は「高齢化」「都市問題」「気候変動」といった新たな課題にも直面しています。また、域内で発展を続ける国々が、中所得国になった後で成長が滞る「中進国のわな」に陥る可能性も指摘されています。ビジネス環境の改善や産業の高付加価値化支援などを通じて、そのわなを乗り越えられるよう、JICAとしても支援していきたいと考えています。

これらの課題は日本においては民間企業に多くの知見があると考えられる分野ですので、今まで以上に民間セクターとの連携を深めていくことが、課題解決に向けて不可欠と考えます。特にASEAN地域は、他の地域と比べて、日本の経済産業界との結びつきが非常に強く、進出企業の数、投資金額、さらに人的ネットワークなどをみても段違いに厚みがあります。企業側はASEAN地域の動向に精通していますので、相手国側だけでなく企業の方々の声にもよく耳を傾けなければ、正確な事実関係は把握できません。

JICAとしては、官民連携を通じて、民間の資金や技術・知識など外部のリソースを巻き込み、JICAの狙う協力をより拡充していくと同時に、各企業の活動を、例えば開発やサステイナビリティの視点からより良いものにする支援なども検討して、さらに効果の大きい協力を生みだしていきたいと思っています。

(左)急速な高齢化が進むタイでは、介護サービスの制度化に向けた支援や高齢者の健康増進活動にJICAが協力 (右)ラオスでは国内の電力需要増に対応するため、日本の有償資金協力で環境負荷の少ない水力発電所の拡張事業が進んでいる(写真はいずれも久野真一が撮影)

共に成長する真のパートナーとして

──日本は今後ASEAN諸国からどのような役割を期待されているのでしょうか。

早川 これまで同様、共に成長する真の信頼できるパートナーであり続けてほしい、という期待を感じています。それはまさしく「ASEANと『心と心の触れあう』関係を構築する」「日本とASEANは対等なパートナーである」と述べた「福田ドクトリン」そのものだとも言えます。1977年に表明されたこのASEAN重視の外交政策は、当時は「こうあるべき」という規範であり目標でもあったと思いますが、今や、まさにそれらが現実のものとなっています。

またASEAN諸国との間では旅行者や働き手の往来も大きく増えており、貿易・投資・金融をはじめ、学術研究、ポップカルチャーなど、他地域に比べても堅固なつながりになっています。その中でJICAが果たせる役割は、より触媒的なものになっていくと考えています。

──ASEANからの期待を踏まえ、JICAは今後どのようにASEANと向き合っていくのでしょうか。

早川 ASEANとは、これから地域全体の開発、さらには東南アジア地域を超えたグローバルな課題解決に一緒に取り組んでいくことが重要です。シンガポールやタイといったパートナー国とは、それぞれ個別に連携して一緒に第三国研修プログラム を実施するなど、各パートナー国内に限定されない、ASEAN地域全体の開発に向けて協力する動きが拡大しています。シンガポールやタイをはじめ、インドネシアやマレーシアも自ら開発協力機関を立ち上げ、規模はまだ限られていますが「援助する国」に成長しつつあります。

そうした中で重要なのは、従来以上に謙虚な姿勢で相手に耳を傾けていくことです。シンガポールやマレーシアなどはもちろんなのですが、それ以外にもASEANの中には、すでに自らの信用力に依拠した国債発行などによって、金融市場から資金調達できる状況に移行しつつある国もあります。それでもなお「JICAと一緒に課題の解決に取り組みたい」と思ってもらえる理由は、単なる資金援助や技術の提供ではなく、成長に向けたビジョンを一緒につくり上げていく対話そのものに価値を見出してくれているからではないでしょうか。その上で地域のさまざまな課題に協力して対応し、さらにはグローバルな課題の解決に共に取り組んでいければ、JICAの協力の効果にも大きなレバレッジをかけることができるはずです。

JICAはこれからもASEAN諸国の声を聞きながら、そして東南アジアの優れた部分については謙虚に学びながら、地域全体の成長を支え、地域と世界の課題解決のために新しい価値を共に生みだす「真のパートナー」であり続けたいと考えています。

※当記事は「JICAトピックス」からの転載記事です。

(関連リンク)
アジア各国におけるJICAの取り組み
ASEAN創設50周年「質の高い成長」を支える日本の経験と技術
JICA Magazine日本ASEAN友好協力50周年特集号

※JICAトピックスより転載

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