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これをどう撮影した? 『ビヨンド・ユートピア 脱北』の映像のすごさと人々の涙、そして希望

ニューズウィーク日本版 2023年12月19日 16時43分

<国とは何かを考えさせられるこのドキュメンタリー映画は、観るのもつらい。同時に、かつて平壌を訪れたときに市場で会った人々の笑い声を思い出した>

平壌へと向かう機内の乗客の半分以上は、ヨーロッパからの観光客だった。親子連れも少なくない。日本国内の報道だけに接している多くの日本人にとっては意外な光景のはずだけど、北朝鮮と国交を断絶している国は、実のところ世界においても少数派だ。

現在も戦争当事国であるアメリカと韓国は別にして、外交関係がない国はフランスや日本など数カ国だ。他のアジア諸国やヨーロッパのほとんどの国と北朝鮮は国交を結んでいる。

北京からおよそ2時間のフライト。機内食は紙に包んだハンバーガー1個。トマトもレタスも挟まれていない。ただしビールは自由に飲める。



空港では少し緊張した。なぜなら税関や入国審査の職員たちの制服が軍服に見える。しかも一般男性の多くは人民服を着ているから、遠目にはやっぱり軍人と見分けがつかない。つまり平壌の第一印象はカーキ色だ。

空港を出たら携帯とPCはもうつながらない。携帯を手にする市民は少なくないが、あくまでも国内のみ。国外とは一切つながらない。

なぜ情報を遮断するのか。今の体制がもたなくなるからだ。代わりに与えられる情報は、危険で残虐な国アメリカ(と追随する韓国、日本)の誇張されたプロパガンダ。彼らは隙あらば攻めてくる。われわれは祖国のために戦わねばならない。そんな論調でメディアや教育は一色だ。

だから悔しい。多くの国民が国外の情報を知ることができるなら、自分たちの国を違う視点から見ることができるなら、今の独裁体制は大きく変わるかもしれないのに。

『ビヨンド・ユートピア 脱北』は、その北朝鮮から脱北した人たちのドキュメンタリーだ。過去に成功した女性。自分は成功したが、息子が強制収容所に入れられた母親。そして現在進行形で脱北しようとしている5人の家族。

特に中国からベトナム、さらにラオス、タイと逃避行を続ける5人の家族については、まさしくいま目の前で行動しているかのようにリアルだ。いやリアルで当たり前。ドキュメンタリーなのだ。でもなぜこれを撮れたのかと思いたくなるシーンが続き、まるで劇映画を見ているような気分になる。

観ながら思う。国とは何か。国境とは何か。多くの人が泣く。つらい映画だ。でも最後に希望が見える。

平壌に到着して1週間が過ぎた頃、僕は人民服を買いたくなって市場に行った。普通なら旅行者は行けない。政府から派遣された通訳が、まあいいでしょうと同行してくれた。

でも売られている人民服はみな小さい(北朝鮮の男たちはみな小柄で痩せている)。売り場のおばちゃんに、「僕に合うサイズの人民服はありますか」と尋ねれば、顔を上げないままおばちゃんは、「あなたに合うサイズはこの国にないわよ」と言った。思わず「金正恩(キム・ジョンウン)がいるじゃないか」とつぶやけば、いきなり通訳されて慌てた。ちょっと待って。それは通訳すべきじゃない。通報されるかもしれない。

でも一拍置いてからおばちゃんは、それは言っちゃダメよという感じで腹を抱えて笑い出した。周りの人たちも笑っている。結局は何も買えないまま市場を後にした。あの時の笑い声は今も耳に残っている。

『ビヨンド・ユートピア 脱北』(2024年1月12日公開)
監督/マドレーヌ・ギャビン
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<本誌2023年12月26日/24年1月2・9日号掲載>

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