<ドイツの名監督がトイレ清掃員を主人公とする映画『PERFECT DAYS』を撮る中で感じた「日本の魂」とは――>
これはもしかして退屈な映画なのか? 無口な中年男性の同じような毎日の繰り返しだ、と思っていると裏切られるのがヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』。退屈に思える日々がいつしか「完璧な日々」になる。
映画は安藤忠雄、伊東豊雄、佐藤可士和、NIGOら16人の著名建築家・デザイナーが参加し、渋谷区の公園や道沿いにある公共トイレを生まれ変わらせる「THE TOKYO TOILET」から派生したものだ(2018年から始まったこのプロジェクトの発案者は、ファーストリテイリング取締役の柳井康治)。
「一度見に来て、興味が持てたら短編を作るなどしてほしい」と、ヴェンダースが声をかけられたのが始まり。「関わった建築家たちの名前を見て本当に驚いた。彼らがトイレのような小さな建築物を手がけたことは衝撃的だったし、同時に素敵なことだと思った」と、彼は本誌に語る。
ヴェンダースにとっては、新型コロナのパンデミック後に撮る最初の劇映画になった。そうであれば、単にアートプロジェクトを記録するのではなく物語として、それも東京という大きな場所での物語にしたいと考えたという。
製作に当たってヴェンダースが立てた問いは、「私たちはどう生きるか」だ。「それに対して、(主人公の)平山は根本的な答えを出していると思う」
平山(役所広司)は東京・渋谷でトイレ清掃員として働く。1人で暮らす古アパートは東京スカイツリーを望む下町にあり、そこから毎日車で首都高を飛ばして現場へ向かう。「平山は木が好きですが、彼が現代の『木』であるスカイツリーの足元に住んでいるのがとてもいい。東京を横断して仕事に行くのも、ロードムービーの要素があって気に入っている」
平山は毎朝、近所の人が竹ぼうきで道を掃く音で目覚め、植物へ水をやり、身支度をする。缶コーヒーを買って車に乗り込み、渋谷へ。清掃の仕事が終われば銭湯と飲み屋で疲れを癒やし、就寝前には古本屋で買った文庫本を楽しむ。
そんな日課を重ねるなかで、ちょっとした出来事――トイレ利用者とのひそかなやりとり、同僚の恋愛相談、飲み屋のママとの会話など――が変化を呼ぶ。ぐるぐると同じ場所を円環して見えて、らせんを描くように彼の人生は進んでいく。やがて高校生の姪のニコ(中野有紗)と久しぶりに再会し、物語は大きく動く。
「役所広司が演じたからこそ平山がリアルになった」と語るヴェンダース ©Peter Lindbergh 2015
ヴェンダースといえばロードムービーの『パリ、テキサス』や、詩的なファンタジーの『ベルリン・天使の詩』がよく知られている。一方で、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』などさまざまなテーマのドキュメンタリーを手がけ、敬愛する小津安二郎監督へのオマージュである『東京画』も発表している。
『PERFECT DAYS』はこれらの作品との共通点を感じさせ、ヴェンダースにとって一つの集大成と言っていいのではないか。映像、音楽、筋書きと役者の演技──映画の持つ全ての要素が、完璧に調和している。
平山がニコに向かって力説する「この世界は本当はたくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある」という言葉。平山が足を止めて見入る木漏れ日。古いカセットテープから流れる曲。そんな忘れ難い場面や瞬間がたくさんある。
役所は23年5月のカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。その存在感は言うまでもない。何をやっても本人にしか見えない俳優もいるが、役所は役所でありながら、演じる人物にしか見えない。本作でも寡黙で仕事熱心、自分だけの楽しみを知っている平山その人そのままだ。
平山が理想的すぎる人物にならなかった理由
ヴェンダースの思う役所の魅力は、まなざしだ。「彼が特別なのは、悪役を演じていてもとても優しい目をしていることだ」と話す。
「多くの人がネガティブに捉え得ることも、平山にとってはそうではない。たくさんの物を持たないが十分に足りていて、日々の繰り返しの中にも新しいものを発見する。はたからは『貧しくて孤独な人』に見えることもあるかもしれないが、本人は孤独を感じていないし、豊かな気持ちで、人生を愛している。そんな平山が理想的すぎる人物にならなかったのは、役所広司が演じたから。あの優しい瞳を持ち、地に足の着いた人物だからこそ、観客は彼の視点で世界を見ることができる」
『PERFECT DAYS』を撮って、自分には日本の魂があると感じたというヴェンダース。その魂とは「日々の生活で細部を格別に大切にすること」。ほかの国では見られないもので、「光」とリンクしているように感じるという。「公共の利益を大切にすることや、他人が必要とするものへの敬意もそうだ。私自身の文化(ドイツ)にはない敬意を感じる。例えばベルリンの地下鉄では争いが多く、混雑時は本当にひどいので乗車を避けている。でも東京では、混んでいるときでさえ苦労しない。人々が共にいるときの在り方が違うのだろう」
作品のパンフレットにはヴェンダースから平山への手紙がある。ドイツに戻ってから平山を恋しく思っていること、「Komorebi(木漏れ日)」を見ては彼を思い出し、時には写真を撮ったりしていることなどがつづられ、最後にはこうある。「あなたは『ただのフィクション』ではない!あなたは何かしらの方法で実在しているのです。それが結局のところスクリーンのなかだけだったとしても」
きっと観客も同じように感じることだろう。
PERFECT DAYS
『PERFECT DAYS』
監督╱ヴィム・ヴェンダース
出演╱役所広司、柄本時生、中野有紗ほか
日本公開は12月22日
ヴィム・ヴェンダース監督作品×役所広司主演『PERFECT DAYS』予告
トイレ清掃員・平山のなにげない日常が描かれる映画『PERFECT DAYS』には、忘れ難い場面や瞬間がたくさんある。
映画会社ビターズ・エンド / YouTube
大橋希(本誌記者)
これはもしかして退屈な映画なのか? 無口な中年男性の同じような毎日の繰り返しだ、と思っていると裏切られるのがヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』。退屈に思える日々がいつしか「完璧な日々」になる。
映画は安藤忠雄、伊東豊雄、佐藤可士和、NIGOら16人の著名建築家・デザイナーが参加し、渋谷区の公園や道沿いにある公共トイレを生まれ変わらせる「THE TOKYO TOILET」から派生したものだ(2018年から始まったこのプロジェクトの発案者は、ファーストリテイリング取締役の柳井康治)。
「一度見に来て、興味が持てたら短編を作るなどしてほしい」と、ヴェンダースが声をかけられたのが始まり。「関わった建築家たちの名前を見て本当に驚いた。彼らがトイレのような小さな建築物を手がけたことは衝撃的だったし、同時に素敵なことだと思った」と、彼は本誌に語る。
ヴェンダースにとっては、新型コロナのパンデミック後に撮る最初の劇映画になった。そうであれば、単にアートプロジェクトを記録するのではなく物語として、それも東京という大きな場所での物語にしたいと考えたという。
製作に当たってヴェンダースが立てた問いは、「私たちはどう生きるか」だ。「それに対して、(主人公の)平山は根本的な答えを出していると思う」
平山(役所広司)は東京・渋谷でトイレ清掃員として働く。1人で暮らす古アパートは東京スカイツリーを望む下町にあり、そこから毎日車で首都高を飛ばして現場へ向かう。「平山は木が好きですが、彼が現代の『木』であるスカイツリーの足元に住んでいるのがとてもいい。東京を横断して仕事に行くのも、ロードムービーの要素があって気に入っている」
平山は毎朝、近所の人が竹ぼうきで道を掃く音で目覚め、植物へ水をやり、身支度をする。缶コーヒーを買って車に乗り込み、渋谷へ。清掃の仕事が終われば銭湯と飲み屋で疲れを癒やし、就寝前には古本屋で買った文庫本を楽しむ。
そんな日課を重ねるなかで、ちょっとした出来事――トイレ利用者とのひそかなやりとり、同僚の恋愛相談、飲み屋のママとの会話など――が変化を呼ぶ。ぐるぐると同じ場所を円環して見えて、らせんを描くように彼の人生は進んでいく。やがて高校生の姪のニコ(中野有紗)と久しぶりに再会し、物語は大きく動く。
「役所広司が演じたからこそ平山がリアルになった」と語るヴェンダース ©Peter Lindbergh 2015
ヴェンダースといえばロードムービーの『パリ、テキサス』や、詩的なファンタジーの『ベルリン・天使の詩』がよく知られている。一方で、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』などさまざまなテーマのドキュメンタリーを手がけ、敬愛する小津安二郎監督へのオマージュである『東京画』も発表している。
『PERFECT DAYS』はこれらの作品との共通点を感じさせ、ヴェンダースにとって一つの集大成と言っていいのではないか。映像、音楽、筋書きと役者の演技──映画の持つ全ての要素が、完璧に調和している。
平山がニコに向かって力説する「この世界は本当はたくさんの世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある」という言葉。平山が足を止めて見入る木漏れ日。古いカセットテープから流れる曲。そんな忘れ難い場面や瞬間がたくさんある。
役所は23年5月のカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。その存在感は言うまでもない。何をやっても本人にしか見えない俳優もいるが、役所は役所でありながら、演じる人物にしか見えない。本作でも寡黙で仕事熱心、自分だけの楽しみを知っている平山その人そのままだ。
平山が理想的すぎる人物にならなかった理由
ヴェンダースの思う役所の魅力は、まなざしだ。「彼が特別なのは、悪役を演じていてもとても優しい目をしていることだ」と話す。
「多くの人がネガティブに捉え得ることも、平山にとってはそうではない。たくさんの物を持たないが十分に足りていて、日々の繰り返しの中にも新しいものを発見する。はたからは『貧しくて孤独な人』に見えることもあるかもしれないが、本人は孤独を感じていないし、豊かな気持ちで、人生を愛している。そんな平山が理想的すぎる人物にならなかったのは、役所広司が演じたから。あの優しい瞳を持ち、地に足の着いた人物だからこそ、観客は彼の視点で世界を見ることができる」
『PERFECT DAYS』を撮って、自分には日本の魂があると感じたというヴェンダース。その魂とは「日々の生活で細部を格別に大切にすること」。ほかの国では見られないもので、「光」とリンクしているように感じるという。「公共の利益を大切にすることや、他人が必要とするものへの敬意もそうだ。私自身の文化(ドイツ)にはない敬意を感じる。例えばベルリンの地下鉄では争いが多く、混雑時は本当にひどいので乗車を避けている。でも東京では、混んでいるときでさえ苦労しない。人々が共にいるときの在り方が違うのだろう」
作品のパンフレットにはヴェンダースから平山への手紙がある。ドイツに戻ってから平山を恋しく思っていること、「Komorebi(木漏れ日)」を見ては彼を思い出し、時には写真を撮ったりしていることなどがつづられ、最後にはこうある。「あなたは『ただのフィクション』ではない!あなたは何かしらの方法で実在しているのです。それが結局のところスクリーンのなかだけだったとしても」
きっと観客も同じように感じることだろう。
PERFECT DAYS
『PERFECT DAYS』
監督╱ヴィム・ヴェンダース
出演╱役所広司、柄本時生、中野有紗ほか
日本公開は12月22日
ヴィム・ヴェンダース監督作品×役所広司主演『PERFECT DAYS』予告
トイレ清掃員・平山のなにげない日常が描かれる映画『PERFECT DAYS』には、忘れ難い場面や瞬間がたくさんある。
映画会社ビターズ・エンド / YouTube
大橋希(本誌記者)