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若い女性が「命を懸けて」王室批判を行うタイ...実は政治的だった王室の歴史と、若者たちが抱く希望

ニューズウィーク日本版 2024年1月3日 11時0分

<2020年以降、多くの若者が民主化運動に身を投じ、長年タブーだった「王室改革」を唱えるようになっている。そして王室に関する「物語」を批判的に書き換える、新しい書き手たちによる本が生まれている。『アステイオン』98号「タイの若者たちが紡ぐ新しい「物語」」を抜粋> 

日本で、東南アジアの政治状況について報道されたり、ニュースが伝えられたりすることは、他の地域と比べてしまうとどうしても少ない。次々と新しいできごとが起こる中で、国内の興味関心が相対的に薄い地域の事情は閑却されていくのが常だ。

[編集部注: 2023年3月執筆時点の]発生から2年が経ったミャンマーの軍事クーデター然り、もはやそれよりももっと注目されていない、2020年から続くタイの民主化運動然り。だがそんなふうに流通して消費されていく情報とは関係なく、今日もそれぞれの場所で命を賭して闘っているひとたちがいる。

本稿執筆時点(2023年3月頭)、タイ・バンコクの最高裁判所前では、ふたりの若い民主活動家が、40日以上にわたるハンガーストライキを続けている。「タワン」ことターンタワン・トゥアトゥラーノン(21歳)と、「ベーム」ことオーラワン・プーポン(23歳)だ。

2022年2月、彼女たちふたりと他の活動家は、バンコクの有名デパート前で、通行人に対して「王族の行幸啓の車列は〔交通制限などが必要になるため〕迷惑だと思うか?」というシール式アンケートを実施した。

その上で、警察の制止を無視して、王室の宮殿付近まで活動を拡大した。この行為が刑法112条の王室不敬罪、116条の煽動罪、および368条の、法的権限を持つ人間の命令に逆らうという罪に問われた。逮捕・勾留された彼女たちは、保釈金20万バーツ(およそ80万円)を支払った上で、EMリングと呼ばれるGPS監視装置を装着されて、即日保釈された。

状況が変わったのは、2023年に入ってからだ。1月9日に、刑事裁判所が、ふたりとともに罪に問われている別の活動家バイポーとケット(どちらも20代前半)の保釈を取り消す決定を下す。保釈条件への違反がその理由とされたが、弁護士などは、取り消し決定のプロセスに法的な問題があると指摘した。

1月16日、タワンとベームは刑事裁判所前で、この決定を批判するべく、血に見立てた赤色の液体をみずからの身体に浴びせかけるというパフォーマンスを行なった。彼女たちは、裁判が行われないまま勾留が続く民主活動家たちの保釈を要求した上で、裁判所に自分たちの保釈の取り消しを申し出て、その日の夕方に再度勾留された。

1月18日には、SNSに投稿された動画を通じて、ふたりは「命を賭けて闘う」ことを宣言し、ハンガーストライキを開始する。その要求は以下の3つだ。

第一に、司法制度を改革し、裁判所が市民の人権と表現の自由を守ること。第二に、表現の自由や集会の自由を行使した市民への訴追をしないこと。第三に、すべての政党が、王室不敬罪と煽動罪の廃止によって、市民の権利を保障する政策を提案し、市民の政治参加を推進すること。

彼女たちの行為との因果関係は不明だが、ハンストの開始後、10名を超える活動家が保釈されている。

ふたりは1週間後に、外部の病院に移送された。だが2月24日には、さらに3名の活動家の保釈を要求して、病院での点滴治療などを拒否した上で、最高裁判所前に設置した無菌テントでのハンスト続行を宣言した(追記:3月3日夕方には、ふたりの体調が急激に悪化しているとのことで再度病院に移送され、同11日にはハンストの中止が発表された)。

どうして彼女たちは、ここまでの行為に及んだのか。彼女たちだけではない。

2020年以降、何人もの若者が、警察隊との衝突で重傷を負ったり、勾留中にハンガーストライキを実施したりしている(タワンは、2022年にも、勾留中に37日間のハンストを行なっている)。

もはや民主化運動も、当初のような一枚岩の大きな盛り上がりはなく、彼女たちの過激ともいえる抗議活動には、根本的な主張を同じくするひとたちの中からも、批判的な目が向けられることがある。

タイの民主化運動が拡大したのは、2020年の初頭のことだ。民主化の希望として期待された政党「新未来党」が、不当ともとれる方法で解党されたことで、支持層だった都市部の大学生を中心に抗議運動が広がった。

2014年の軍事クーデター以降政治を支配している軍事政権の影響力排除を求めて始まった運動は、次第に、「王室改革」を中心的な要求としていく。

国王という存在が、国家を支える三原則のひとつとしてみなされているタイ社会では、プロパガンダや学校教育の中で、国王や王室を賛美する物語が繰り返し紡がれている。しかもその物語は、王室不敬罪という強固な鎧で守られていて、批判はおろか、疑問を呈することすら難しい。

しかしその物語こそが、タイ社会の権威主義的な思想や強権的なシステムを駆動していて、民主主義の実現を阻害し、市民の分断と対立を煽り、数々の流血の事件を引き起こしている。そうした社会の中で、自分たちは声を奪われ続けてきた。

このような若者たちの認識が醸成されたことで、不可能と考えられていた王室批判も、公然と行われるようになった。王室不敬罪などで収監された政治犯への面会の記録を、小説風のノンフィクションとして描き、大きな話題を呼んだ『狂乱のくにで ในแดนวิปลาส』(2021)で、著者のラットは綴る。

「〔上の世代が抱えていた〕鬱屈とした絶望は、もはや新しい世代の人々が抱える本質じゃない」。

運動が長期化し、弾圧が繰り返されることで、確かに活動の規模は縮小している。けれども、自分たちの手で新しい物語を紡がなければ、タイ社会にも、自分たちにも未来はないという覚悟や焦慮が、若者たちを捨て身の抗議活動に駆り立てている。

前置きがずいぶん長くなったが、そんな若者たちの「目覚め」を後押ししたとも言われる書籍がある。歴史学者ナッタポン・チャイチンの『将軍、封建制、ハクトウワシ ขุนศึก ศักดินา และพญาอินทรี』だ。

博士論文を書籍化したこの本は、2020年の8月に出版されるとたちまち社会現象的な人気を博した。各独立系書店の売上ランキングでは、それから半年以上にわたって本書が上位にランクインし続け、ブックフェアでは、著者のサインを求める大学生や高校生が長蛇の列をなした。

その影響力を危惧した警察が、版元のファーディアオカン(「同じ空」の意)の捜索を行い、書籍を押収するほどだった。

なぜそれほどの評判となり、同時に問題とみなされたかといえば、端的にこの本が、国王や王室にまつわる「物語」を書き換えているからだ。

著者のナッタポンが焦点を置くのは、1948年から1957年までのおよそ10年間における、政局の激しい変遷だ。

第二次世界大戦後のタイ政治が、米国が構築しようとする冷戦下の世界秩序にどう取り込まれて、どのような影響を受けていったのかを、米国側の公文書を大量に参照して細やかに記述している。

そこで浮き彫りになる──主導権争いの中で生き残る──3つの政治的ファクターが、将軍=国軍(陸軍)、封建制=国王・王室・王党派、ハクトウワシ=米国、であるというわけだ。

戦後のタイでは、実に多くの派閥が入り乱れる。陸軍、海軍、警察、王族と王党派、1932年の立憲革命で絶対王政を廃止した人民党のメンバーたちが、ときに手を組み、ときに反目し、政治の主導権を握ろうとする。

米国は、タイを東南アジアにおける反共の拠点にすべく、さまざまな派閥に経済的・軍事的支援を行いながら、どの派閥が自らのパートナーとなりうるかをじっくりと観察する。駐タイ大使から本国への報告に、その時々の米国の見立てがのぞく。

特に印象に残るのは、同書に寄せた推薦文で歴史学者のトンチャイ・ウィニッチャクーンも書いているとおり、国王・王室・王党派の人々が、政治的イニシアチブを発揮すべく、かなり主体的かつ戦略的に立ち回っている点だろう。

王党派の政党である民主党が、王族と結託して、選挙のライバルを蹴落とすために行なった裏工作のえげつなさはもちろんのこと、まだ年若く大きな力を持たず「恥ずかしがり」と評されていた当時の国王ラーマ九世が、権力を確立すべく、国内巡幸を行なったり、意識的に米国に近づいていったりする様子は興味深い。国王・王室の、政治からの独立などといったことが、建前としてすら成立しえないことがよくわかる。

もうひとつ印象に残るのが、同時期に首相を務めたプレーク・ピブーンソンクラーム(通称ピブーン)の、政治的態度の変化だ。

もともと人民党の主要メンバーとして立憲革命の立役者となったピブーンだが、その後は「国民」の創出を図るべく公定ナショナリズムを強権的に推進するようになり、第二次大戦では日本と同盟を結んだことで、タイを敗戦国化の危機に陥れる。戦後は首相に返り咲くものの、台頭する新しい政治勢力のあいだで板挟みになって力を持てず、虚しく退陣する。そんな、比較的ネガティブなイメージが現代でも流通している。

だが本書を読むと、戦後のピブーンが、国内派閥のあいだのバランスをとるべくギリギリの攻防を続ける一方、米国一辺倒の国際秩序を否定し、中国や他の東南アジアの国々ともうまく関係を結ぼうと模索するさまが見えてくる。

その上で彼は、王室の政治的影響力の高まりを危惧して、さながら立憲革命に立ち返るように、市民に開かれた民主的な政治を志向していくようになるのだった。空虚な国粋主義者としてのピブーンの姿は、ここにはない。

だが結局、ピブーンの試みは実を結ばない。中国に近づき、同じく元人民党メンバーで「民主化の父」とも呼ばれるプリーディー・パノムヨンとの関係を再構築しようとするピブーンを米国は警戒し、自分たちの新たな反共パートナーとして、王室と陸軍を選ぶ。

1957年に、陸軍元帥のサリットが、国王ラーマ九世の支持を取りつけて軍事クーデターを起こし、ピブーン政権を打倒する。米国によって「半植民地化」されたタイは、その後、サリットに始まる長い軍事独裁政権のもと、国王ラーマ九世が「国父」としての権力を絶対的なものとしていく時代に入る。

あえて若者たちの考えに寄り添った読み方をすれば、この本に書かれているのは、もしかすると自分たちのものになるかもしれなかった、民主的で開かれた社会が、国王・王室と軍部(と米国)によって奪われていったという「物語」なのだ。

それはほとんどそのまま、タワンや、ベームや、他の若者たちが抱いているであろう問題意識と重なっていく。それゆえ、この本は注目を集めることになった。

とはいえ、あらゆる物語には、単純化されたり、捨象されたりするものがある。細やかな語りを尽くそうとしてみても、現実の複雑さをそのまま表すことはできない。若者たちが抗議活動を先鋭化させていくだけでは、大きな変化は訪れないのかもしれない。

ただ、若者たちもその点は理解しているようだ。筆者がかつて話を聞いた、民主化運動の大学生リーダーのひとりは(彼女もかつて、拘置所で1カ月を超えるハンストを行なっている)、自分たちの運動が即座にラディカルな変化を引き起こすとはまったく思っていないと語っていた。

それよりも、自分たちの行動が問題提起になって、そこから時間をかけた議論が生まれていくのが大事だと、彼女はあっけらかんとした表情で話してくれた。

その意味では、もし希望と呼べるものがあるとすれば、それは、こういった書籍が話題になって、多くの若いひとたちに読まれて、社会に学びが蓄積されていくことそのものなのかもしれない。

果たして、同じような希望を、いまの日本で持つことができるだろうか。最後にもう一度、前述の『狂乱のくにで』から引こう。

「風が吹いてきて、身体に優しく触れる。わたしはそれを、勝手に、〔政治犯の〕彼女からの励ましの言葉みたいなものだと思い込んだ。『ぜんぶ、絶対に前より良くなるよ』」

福冨 渉(Sho Fukutomi)
1986年生まれ。東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程単位取得退学。青山学院大学、神田外語大学で非常勤講師。専門はタイ文学研究。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー』(河出書房新社)、Prapt『The Miracle of Teddy Bear』(U-NEXT)など。

 『アステイオン』98号

  特集:中華の拡散、中華の深化──「中国の夢」の歴史的展望
  公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
  CCCメディアハウス[刊]

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