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「移民」が拡張する日本の美術...ぺルー新紙幣の顔になった女性画家から、在日外国人「デカセギ美術」の可能性まで

ニューズウィーク日本版 2024年1月17日 11時10分

<長らく西洋、白色人種、男性の芸術家が中心だった「世界の美術史」は21世紀に大きく捉え直されている。「日本の美術」もボーダーレスな捉え直しが進みそうだ> 

ペルーの新紙幣の"顔"になったことで話題の日系2世の女性画家、ティルサ・ツチヤ(1928〜84年)について、私は恥ずかしながら作品はおろか、その名すら知らなかった。

現地報道によれば、20世紀のペルー美術に最も影響を与えた人物のひとりとして最高額紙幣200ソル(約7500円)に肖像が採用され、流通も始まったという。

ネット上の画像だけで何か言うのは気が引けるが、人や精霊のようなものが浮遊する彼女の作品は詩的で、見る者を夢幻の世界へいざなうよう。

ツチヤの父は20世紀初頭にペルーに渡った日本人医師、母は中国系ペルー人。幼い頃から描くことを好んだ彼女は首都リマの美術学校を経て、60年にパリに渡り、エコール・デ・ボザールなどで学んだ後に帰国。

同時代の日本人画家の多くもそうだったように、西洋美術から出発し、やがて自分のルーツを見つめた独自の画境に至った。

ペルーの先住民族の神話を取り入れたシュルレアリスムの画家として、ラテンアメリカを中心に国際的に評価され、その作品には東洋の物語やイメージの影響も見て取れるという。

アートマーケットでも油彩画が数十万ドルで取引されるなど、根強く愛されているようだ。

日本国内で彼女の作品を見ることはできるのだろうか。私立美術館や個人蔵でお持ちの方はいるかもしれないが、全国美術館収蔵品サーチ「SHŪZŌ」など公的な検索で試した限りでは、残念ながらヒットしなかった。

自分の手元にある、ごく一般的な美術・美術史の概説書にもツチヤの名前は見つけられなかった。



世界の美術史は長らく西洋、白色人種、男性の芸術家を中心に流れを追うものとなっていたが、21世紀に入り、非西洋の、肌の色もさまざまな、ジェンダーレスな表現者が織りなすものとして広く、大きく捉え直す動きが加速している。

日本の美術もより広く捉えようとするなら、濃淡の差こそあれ、日本文化の影響を受けている日系人の芸術にも視野を広げる必要がありそうだ。その意味で、『アステイオン』99号の特集「境界を往還する芸術家たち」は興味深い論考ばかりだった。

巻頭で説明されている通り、境界を往還する芸術家はおおよそ二分できる。一つは海を越えて"本場"で技法を磨き、それぞれの領域で頂点を目指す人たち。もう一つは移住や出稼ぎのために国を離れ、現地で創作活動を始める人たちとその末裔。

後者について筆者の知識がより浅薄なこともあり、論考から学ぶところは大きかった。おりしも和歌山県立近代美術館の企画展「トランスボーダー 和歌山とアメリカをめぐる移民と美術」(2023年9月30日〜11月30日)を鑑賞したばかりだったので、佐藤麻衣氏の論文「美術にみる太平洋戦争の影」は、同展と関連させながら読むことができた。

トランスボーダー展は、国境を越えて"和歌山県人"が故郷に集う「第2回和歌山県人会世界大会」(今年10月開催)に合わせて企画されたものだ。

和歌山は海外への移民の数が全国6位の「移民県」で知られ、明治期からとりわけ多くの人がアメリカ西海岸を目指し、果樹園や缶詰工場など農業・漁業関連の仕事に就いたという。やがて、その中から美術を志す者も出てくる。

同展では主に西海岸で美術を志した日本人・日系人の活動を紹介。特に、ロサンゼルスの日系芸術家コミュニティの中心にいたという上山鳥城男(うえやま・ときお、1889〜1954年)の名は佐藤氏の論考にも何度か登場するが、リトルトーキョーにある全米日系人博物館所蔵の彼の作品がまとまった形で出品され、見どころの一つとなっていた。

彼の風景画は米国の雄大な自然を描きながらも、荒々しさや攻撃性はない。穏やかさ、堅実さを感じさせ、どことなく日本人っぽいなという印象を受けた。

ただし日米開戦後の1942年の大統領令により、状況は一変。西海岸の日本人・日系人が敵性外国人として収容所送りになったことは周知の通りだが、彼らは芸術活動を止めたわけではなく、上山らアーティストたちは収容所内で人々に美術や手工芸を教え、心身を健やかに保つための芸術活動を推進したという。

また、収容所生活の「記録」を自らの使命とした芸術家もいた。画家のヘンリー杉本(1900〜90年)は素朴なタッチで労働風景や日常を描き、芸術写真で知られる宮武東洋(1895〜1979年)も、有刺鉄線の中で生きる人々の表情をそのままフィルムに焼き付け続けた。

トランスボーダー展はそんな困難の中で生まれた作品と記録で幕を閉じる構成だったが、一つ疑問がわく。ニューヨークなど東海岸にいた日本人・日系人芸術家は当時どうしていたのだろうか、と。西海岸からニューヨークに拠点を移した画家(国吉康雄や石垣栄太郎ら)の作品にも同展はスペースを割いていたが、詳しい動向には触れていなかった。

彼らは移動制限など当局の監視下に置かれたものの、収容所に送られることはなかったという。佐藤氏の論考はまさに、東海岸の芸術家の動向に主眼を置いたもので、彼らがアメリカへの忠誠と日本の軍国主義への抵抗、そして反戦を粘り強く訴えたことがわかる。

特に1945年からニューヨークの日本人芸術家および日系人収容所の芸術家の作品を展示する展覧会が東海岸の都市を巡回し、日系人の再転住を支援したことが詳細に紹介されている。

戦前・戦中の米国日系人だけではない。ブラジル日系美術家の20世紀初めから現在までの系譜をひも解いた岡野道子氏、ブラジルで熱く盛り上がる「マツリ」の様相を紹介した根川幸男氏、在日ブラジル人による「デカセギ文学」の萌芽と可能性を指摘したアンジェロ・イシ氏の論文もそれぞれ示唆に富み、考えさせられた。

兵庫県立美術館が所蔵するブラジル日系人の美術(リカルド・タケシ・赤川コレクション)や、サンパウロ出身で国際的に活躍する現代美術家、大岩オスカール氏の作品など、日本国内でもブラジル日系人の美術に接する機会はさまざまにあるが、それでもほんの一部に過ぎないのだろう。

冒頭のティルサ・ツチヤらペルー系など他国の日系人美術家にも、豊かな芸術の水脈は見出せるかもしれない。



移民という視点で考えると、少子高齢化が進む日本では、労働力として受け入れた外国人とどう共生していくかという問題が横たわる。

互いの壁をどう乗り越えるのか、彼らが日本で感じている苦難にどう寄り添えるのか、政策的サポートだけでなく、芸術文化が果たす役割も大きいだろう。

デカセギ文学があるなら、日本で感じたあれこれを昇華させた「デカセギ美術」の可能性だってある。日系人、そしてこれから日本社会へ越境してくる人々も含めて、日本の美術史を大きな物語として編んでいくのも面白いのではないだろうか。

黒沢綾子(Ayako Kurosawa)
京都市生まれ。同志社大学法学部政治学科卒。1996年、産経新聞社入社。和歌山支局などを経て、20年以上にわたり東京本社文化部と「SANKEI EXPRESS」編集部でファッション、美術、建築、デザイン、出版界の取材を担当し、2023年退社。現在はフリーで執筆活動を行う。

『アステイオン』99号
 特集:境界を往還する芸術家たち
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]

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