Infoseek 楽天

北朝鮮脱北の危険な道!『ビヨンド・ユートピア 脱北』が描く衝撃の旅

ニューズウィーク日本版 2024年1月11日 18時52分



サンダンス映画祭でUSドキュメンタリー部門の観客賞を受賞したマドレーヌ・ギャヴィン監督の『ビヨンド・ユートピア 脱北』の冒頭には、以下のような前置きが挿入される。

「(前略)パンデミックで世界が封鎖される数ヵ月前、北朝鮮から逃れようと試みた人たちの物語。関係者の安全のため一部の詳細は伏せてある。撮影したのは製作陣や当事者、地下ネットワークの従事者たち。再現映像は用いていない」

本作では、命懸けの脱北のプロセスが、現在進行形で生々しく描き出される。脱北を試みるロ一家は、夫婦とまだ幼いふたりの娘たち、そして80代の祖母の計5人。北朝鮮から無計画に国境を越えて中国に入り、山中で立ち往生していた彼らは、脱北を支援する「地下鉄道」から救いの手を差し伸べられ、過酷な脱北ルートをたどることになる。

中国当局に発見されれば本国に強制送還され、ベトナム、ラオスでも同様の対応がとられるため、監視の目を逃れながら亡命先である韓国への入国が確約されるタイを目指す。一家は、移動距離1万2000キロ、50人以上のブローカーが関わる気の遠くなるような旅を続ける。

そんな命懸けの旅をする一家を、本作の撮影クルーが危険にさらすことはもちろん許されない。クルーが実際に活動できる範囲は限られている。だから前置きにあるように、「撮影したのは製作陣や当事者、地下ネットワークの従事者たち」ということになるのだが、では、そんな緊密な連携はどのようにして生まれたのか。

脱北のリアル:ドキュメンタリーの背後にある物語

あるドキュメンタリーの企画が、インパクトを与えるような結果に結びつくときには、そこに共通点があるように思う。作り手の当初の構想からは次第に離れ、異なる方向へと展開する。作り手と対象との間に信頼関係を超えた共犯関係のようなものが築かれ、筋書きのないドラマを誘発していく。

本作はそれに当てはまるだろう。本作のプロデューサーは、90年代に脱北を果たした女性イ・ヒョンソの回想録『7つの名前を持つ少女 ある脱北者の物語』の映画化権を獲得していて、ギャヴィンに、この本を中心にした映画を監督してほしいと依頼した。

ギャヴィンは、コンゴ民主共和国における鉱物をめぐる紛争で、組織的な性暴力を受けた女性たちのために設立された団体の活動を追ったNetflixドキュメンタリー『シティ・オブ・ジョイ〜世界を変える真実の声〜』で評価されていた。そんな彼女は北朝鮮と個人的なつながりがなかったので、伝記映画を作ることには興味がなかったが、北朝鮮に関する徹底したリサーチを行い、映画を撮ることに決めた。

彼女は当初、ヒョンソを中心とした構成を考え、撮影を進めていたが、韓国を訪問した際にキム・ソンウン牧師と出会ったことで方向性が変わる。キム牧師は脱北者を支援する「地下鉄道」の中心的なメンバーで、これまでに1000人もの脱北者を手助けしてきた。彼女は時間をかけてキム牧師の信頼を得て、脱北の試みを記録する機会を与えられた。

このキム牧師の存在は、本作の方向性と深く関わっている。たとえば、脱北した女性は、売春させられたり、農村の独身者に売られたりするが、ブローカーは、ロ一家には売買する価値がないと判断した。その場合は、キリスト教の団体に連絡し、脱北者と引き換えに金を要求する。ギャヴィンは、そんな一家の、特に祖母に関心を持つことになる。

また、ロ一家が脱北を余儀なくされた事情にも触れておくべきだろう。一家は、夫婦の妻の兄と姉、祖母の息子と娘が脱北したために、当局からマークされ、強制移住させられそうになり、無計画に川を渡ることになった。本作には、母親や妹を追いつめてしまったことで自責の念に駆られる兄も登場し、一家の脱北を手助けする。

ギャヴィンと撮影クルーは、キム牧師を追ってロ一家と合流するが、牧師はこれまでの活動ですでに中国警察からマークされているため、中国には入国できない。牧師はベトナムに向かい、中国との国境で一家と合流し、そこから行動をともにする。それまでの撮影は、現場にいる人間に頼るしかない。

脱北の旅:危険と連携の中で生まれる映像

本作の導入部で、キム牧師のもとにブローカーから、山中で立ち往生している一家がいるという一報が入ったときに印象的だったのは、その後すぐに、牧師に助けを求める一家の姿を収めた動画が送られてきたことだ。脱北者の取引や状況の確認には動画が利用されている。とすれば、脱北の現場には、目的は違うものの、すでに撮影という要素も含まれていると見ることができる。

先述した自責の念に駆られる兄は、中国に入り、ブローカーに導かれて北部から南下してくる一家と青島で合流し、行動をともにすると同時に撮影も引き継ぐ。キム牧師はそんな彼に撮影に関する指示も出し、連携を支える役割を果たしている。

ギャヴィンも、そんなふうにして得られた映像を単純に繋いでいるだけではない。脱北のプロセスには、先述したイ・ヒョンソのような脱北者/活動家やジャーナリストたちのインタビュー、記録映像やオリジナルのアニメーションまでもが挿入され、南北分断の歴史や北朝鮮の現実と一家の旅が結びつけられていく。

なかでもベトナム以後の展開において意味を持つのが、北朝鮮の人々に幼い頃から植え付けられてきたアメリカ人に対する激しい敵意や恐怖だろう。一家にギャヴィンとクルーが合流すということは、彼らがアメリカ人と対面することでもある。ギャヴィンは、80年以上も閉ざされた世界で抑圧されてきた祖母が、自分をどのように受け止めるのかに関心を持っている。

心の軌跡:脱北者と映画制作者の間の変化

そんな視点は、ギャヴィンが監督した『シティ・オブ・ジョイ〜』とも無関係ではない。コンゴ民主共和国東部では、家族やコミュニティを破壊し、地域を支配するための武器として、性暴力が組織的に行われてきた。ギャヴィンは、そんな性暴力によって肉体的にも精神的にも深い傷を負った女性たちが、現実を受け入れ、自己を肯定していく姿を描き出している。

本作で脱北者の一行は、ベトナムにある隠れ家で休息し、夜にジャングルを通って国境を越え、ラオスにある隠れ家で再び休息をとるが、その間に、祖母とギャヴィンの間の距離は変化しているように見える。

ベトナムの隠れ家では、撮影クルーは一定の距離を置いて一家をとらえている。しかし、ラオスの隠れ家では、祖母がカメラの前でインタビューを受ける。彼女はアメリカ人のことにも触れ、これまで信じてきたことと逆のことが、目の前で起きていることに戸惑いながらも、現実を受け入れつつあるように見える。

ギャヴィンは、貴重な映像を使って緊張に満ちた脱北のプロセスをひとつにまとめ上げるだけでなく、精神的な呪縛と解放も細やかに描き出している。

『ビヨンド・ユートピア 脱北』 
1月12日(金)公開:(C) TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved



この記事の関連ニュース