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海外で活躍した「日本人」芸術家たちが問う「日本」と「日本人」の意味

ニューズウィーク日本版 2024年1月31日 11時10分

<国と国を行き来し、境界を編み変える人々の営為から「日本」を改めて考える>

今日では建築からファッション、メイク、ダンス、料理に至る、さまざまな文化領域で日本人が国際的に活躍している。そして、ひとたび海外に出れば、本人の意向がどうあれ、「日本人」として見られることになる。「日本人であること」や「日本文化」とどう向き合うか意識せざるを得なくなる。

もちろん、日本からの留学生や駐在員とて例外ではなかろう。私自身、アメリカの大学院留学時代には、私よりはるかに日本に詳しいアメリカ人に多く出会い、そのたびに肩身の狭い思いをした。

アメリカの学界での生存戦略を考え、日本研究や日系人研究を考えた時期もある。その半面、授業で「日本人の視点からコメントを」と求められるたびに「日本人の視点?!」と困惑する自分もいた。

周囲を見渡すと、アメリカ人に対してひたすら日本を蔑む日本人や、逆に、ひたすら日本を称える日本人もいた。「国籍や出身国など関係ない」と気丈に振る舞う者もいたが、むしろ日本を強く背負っているようにも思えた。境界を往還するとは実に悩ましい営為である。

人間は生まれ落ちた環境を意味づけ、その境界線を編み変えてゆく。とりわけ学問や芸術など学芸の醍醐味は境界線を意識的に見つめ直し、新たに切り拓いてゆく点にある。

その意味において、『アステイオン』99号特集の「境界を往還する芸術家たち」という表現はトートロジー(同義語反復)とも言える。絶えず境界を往還し続けるのが芸術家だからである。

本特集が注目するのはあくまで海外で活躍した日本の芸術家であり、彼(女)らが異国の地において、いかに「日本人であること」や「日本文化」と向き合い、創作活動に反映させていったかである。まさに「日本」をめぐる葛藤と格闘の証といえる。ページをめくると、ヨーロッパやアメリカ合衆国、中南米などからの興味深い事例が溢れている。

佐藤麻衣の「美術にみる太平洋戦争の影」によると、アメリカに移り住んだ日本人画家の場合、西海岸の芸術家は真珠湾攻撃(1941年)後の強制収容所生活を描くことが多かった。

それに対し、東海岸の日系人は退去を強いられることはなかったが、世界恐慌(1929年)を契機に労働運動や社会主義に共鳴し、反戦・反ファシズムの立場を先鋭化させていった芸術家も少なくなく、太平洋戦争時には日本の軍国主義に抗う立場を明確にした。

そうした画家の一人に石垣栄太郎がいるが、私は2023年秋に彼の故郷である和歌山県太地町を訪れる機会があった。捕鯨の是非をめぐり国際的に注目される同町だが、米西海岸へ多くの移民を送り出したことでも知られる。

とりわけロサンゼルス南部のサンペドロ地区にあるターミナル島には太地出身者がコミュニティを形成し、アメリカの缶詰産業の発展に大きく寄与した。その太地町には1991年に石垣記念館が創設されている。

貧困や人種差別などアメリカ社会の暗部を告発した作品も多く展示されている。その根底には父に呼ばれて渡米して以来、アジアからの移民の子として経験した不条理の数々が横たわっていることは想像に難くない。

石垣は冷戦下のマッカーシズム(赤狩り)のあおりを受けて 1951年に国外退去を命じられた。帰国後は本格的に活動を再開することなく、わずか7年後に65歳の若さで亡くなっている。

ちなみに石垣の妻・綾子は帰国後、『婦人公論』をはじめ多くのメディアで女性問題に関して発言するなど、前衛的な論客として活躍した。アメリカ民主主義がまだ輝きを放っていた時代。彼女を通してアメリカの女性解放運動に啓発された日本の女性も少なくなかった。

石垣の時代の「日系アメリカ人」は戦時中の体験が「日本人であること」の意味を強烈に突き付けた出来事だったが、1960年代半ば以降はビジネス目的で移住した「新日系」も増え、「日系」としての共通意識は希薄になった。

ウォント盛香織は「多人種化する日系アメリカ人作家」で複数の人種ルーツを持つマーガレット・ディロウェイ、養子として白人アメリカ人家庭で育ったグレッグ・ライティック・スミスなどを通し、現代の日系アメリカ人作家がますますハイブリッド(異種混交)化している現状を詳述している。

同様の傾向はブラジルに渡った日系人についても当てはまるが、かつての日系移民の子孫が出稼ぎ労働者として数多く日本に戻るなど、状況はさらにダイナミックだ。私自身、2023年夏にサンパウロを訪れた際、元・出稼ぎ労働者だった方々と話をする機会があったが、どの体験談も実に面白く、私自身の日本理解が相対化される感覚に襲われた。

アンジェロ・イシは「「デカセギ文学」の現在とその可能性」で日本に暮らすブラジル出身の作家による「デカセギ文学」に注目。「今後は日本語が流暢な在日ブラジル人二世による日本語での文芸的な試みの活発化と多様化が予想される」と述べる。そうした作品は「日本文学」そのものをより豊かにしてゆくことだろう。

今後、「日本」はどうなるのだろうか。グローバル化の中で「県」のような存在になってゆくのだろうか。格差や分断が拡大するにつれ、「日本人」としての共通感覚は希薄になってゆくのだろうか。いや、だからこそ、逆に「日本」が強調され、日本を礼賛するテレビや投稿動画がますます大量生産・消費される時代になるのだろうか。

こうした来るべき問いに対して、まさに国と国の境界を往還し、その最前線で格闘し、境界線を編み変えようとする芸術家たちの勇姿に目を向けてみたい。

渡辺靖(Yasushi Watanabe)
1967年生まれ。ハーバード大学Ph.D.(社会人類学)。慶應義塾大学SFC教授。ハーバード大学国際問題研究所アソシエート、ケンブリッジ大学フェロー、パリ政治学院客員教授、欧州大学院大学客員研究員、北京大学訪問学者、米ウィルソンセンター・ジャパンスカラーなどを歴任。『アフター・アメリカ』(慶應義塾大学出版会、サントリー学芸賞)、『文化と外交』(中公新書)、『<文化>を捉え直す』(岩波新書)、Handbook of Cultural Security(Edward Elgar Publishing)など著書多数。

『アステイオン』99号
 特集:境界を往還する芸術家たち
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]

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