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郵便局事件だけじゃない、知られざるイギリスの冤罪、誤審

ニューズウィーク日本版 2024年1月27日 18時53分

<画一的な判断のせいで無実の力なき庶民たちが苦しめられる――過去にも理不尽な誤審はこんなにあった>

イギリスの郵便局スキャンダルで、単に単独の被害ではなく、ある特定層の人々が丸ごと巻き込まれるような誤審や冤罪事件について考えさせられた(単独の冤罪事件も十分悲劇的なことは確かだが)。

イギリスの人々は、郵便局スキャンダルをウィンドラッシュ・スキャンダルになぞらえてきた(英政府の招きでカリブ海諸国から渡英し数十年イギリスに貢献してきた多数の移民が、2010年の英政府方針により突然、国外退去などのリスクにさらされた出来事)。どちらも近年問題になった事件であり、重要な点で似通っているからだ。

特に、重大な過ちが判明し、そのせいで人生を破壊された人々がいることが明らかになった後も、長い間まともな解決がなされずにきたという点で。とはいえ郵便局スキャンダルは、刑事訴追にまで及んだところが違う。

そんなわけで僕が郵便局スキャンダルで思い返したのは、はるか20年ほど前、乳児を亡くした母親たちが当事者となった一連の裁判だ。郵便局スキャンダルと同様に、いくつか別々の事件があり、それぞれに悲劇があり、長年の間に数々の進展があったから、全体像を説明するのは難しい。ざっくり言えば、子供が1人SIDS(乳幼児突然死症候群)で亡くなったら、それは非常に悲しい不幸な事故だと思われていた。もしも同じ家族でもう1人の子供が死亡したら、それは疑わしいと判断され、さらに3人目が出たら、殺人事件とみなされた。

ごく単純に、これは偶発的出来事に関する統計の過ちだった。いうまでもなく、SIDSはまれではあるが起こり得る事象だ。ある医学専門家は、同一の母親の下でSIDSが2回以上発生するのは天文学的に可能性が低いと断定し、それゆえに他の理由、すなわち代理ミュンヒハウゼン症候群(子供を病気に偽装し周囲の同情を得ようとする精神疾患)の可能性を考える必要があると主張した。平たく言えば、この母親たちは、人々の気を引こうとするあまり子供たちを殺したのだろうと告発された。

有罪が覆ったのは3件だけ

これは的外れだった。SIDSは完全に無作為に発生するわけではない。全体像は解明されていないが、ひょっとすると環境や遺伝的要因により、SIDSに比較的陥りやすいタイプの子供が存在するのかもしれない。だから、SIDSで死亡した乳幼児のきょうだいにSIDSが起こる可能性は、他の家庭で無作為にSIDSが起こる可能性よりはるかに高い。

ある裁判で陪審員たちは、同じ両親の下で2人の乳幼児がSIDSで死亡する確率は7300万分の1だというふうに説明を受けた。この数字はあくまで、発生確率の低い事象を掛け合わせただけのもの。実際には、平凡な論理のほうが的確だった。つまり、一度起こったなら二度起こる可能性があるし、二度あることは三度ある。

結局、有罪が覆ったのは3件だけだったが、他にも無罪のケースがあったのではないかという疑念はささやかれ続けている。例えば、3人の乳児を亡くしたある女性は、起訴されたものの、陪審は彼女を無罪とした。彼女は不当に起訴されたが、有罪判決を覆す必要はなかった。誰であれ女性が子供を1人、2人と失った上に非難され苦しめられる可能性があることを考えると、恐ろしくなる。

最も有名なのは、2人の息子を殺害したとして3年間服役したサリー・クラークの事件だ。彼女はトラウマから立ち直ることなく、数年後にアルコール中毒により42歳で死亡した。

一定のパターンに従って起こった誤審は大抵、より大きな問題を明らかにする。後になって、最悪の状況の原因が究明され、そこから教訓を得ることができるようになる。僕は専門的な知識はないが、このSIDSのケースでは明らかにいくつかの要因があったといえる。

第1に、司法制度では鑑定人は1人しか許可されず、それゆえこの1人の証言が不当に重視された。このケースでは、鑑定人の専門家が間違っていた。

第2に、検察はインチキ統計を証拠として堂々と使うことができた。補足情報として使ったのでなく、唯一の証拠としてこれが提示された。たとえるなら、赤ちゃんに疑わしいあざがあったとか、血液中のナトリウム濃度が高かったとか、そういった証拠は何もなかったのだ(実際、サリー・クラークの事件では、2人目の息子の死が自然死だったと病理学者が見解を示していたのに、裁判では提示されなかった)。

第3に、医学会に過剰に敬意を払う風潮も影響した。医師はとても賢く立派だから、間違っているはずはなく、女性は有罪に違いない、というわけだ。

第4に、あまりに多いこの手のスキャンダルに共通しているように見える「力なき庶民」の問題だ。一般市民がこのような事態に巻き込まれると、「無実である」というだけでは助けにならないように思われる。彼らが状況を打開するためには、お金や、専門知識に基づく情報や、発信力や影響力が必要になるが、彼らはそんなものを持ち合わせていない。

郵便局長に南アジア系が多いという事実

もしかすると、もう1つ要因があるかもしれない。彼らが女性だったという点だ。こうした事件で夫が裁判にかけられることは一度もなかった。あからさまに言われていたわけではないから、断言はできない。とはいえ、「いかにも女性ならやりかねない」などとはっきり言う人はいなかったものの、代理ミュンヒハウゼン症候群は圧倒的に女性に多いから、あらゆる女性は「かまってほしい」傾向があるに違いないという先入観がつきまとっていた。

まぎれもなく、ウィンドラッシュ・スキャンダルで被害をこうむったのは黒人たちだ。郵便局スキャンダルも、いくつか疑いが生じる。起訴された郵便局長らは定義上は中産階級の小規模経営者であって「下層民」ではない(そしてほとんどが白人だ)が、かなりの比率で南アジア系の人々(インド系やパキスタン系など)が多い職業でもある。僕は複雑な問題を「人種差別」や「性差別」に単純化して考えないよう慎重を期しているが、それでもこの要素は可能性として排除するべきではないだろう。

目下、郵便局スキャンダルの関連で人々が遠回しに持ち出すもう1つの例が、グレンフェル・タワーだ。ロンドンにあるこの低所得者向け高層公営住宅で2017年に大規模火災が起こり、72人が死亡。被害が大きくなったのは、外壁に可燃性の被覆材が使われていたからだった。事故から6年以上が経過したが、誰一人として何らかの罪に問われた者はいない。一般の人々は、少なくとも犯罪的な過失があったと考えており、リスクを分かっていながら関係企業も地方当局もそれを無視していたと思っている。

無実の「力なき庶民」が司法制度によって押しつぶされることがある一方で、権力や財力を持つ人々は、たとえ罪は重くとも、持てる手段を駆使して少なくとも司法手続きを遅らせたり刑を軽くしたり、あるいは完全に罪を免れたりできる――イギリスの一般市民の目には、そんなふうに見えている。



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