Infoseek 楽天

現代的なデータ報道のニュース体験は「読む」から「体験する」に変わっていく

ニューズウィーク日本版 2024年2月7日 11時10分

<新型コロナ禍で普及し、社会に貢献した「データ報道」。その背景には読者がニュースを体験する環境そのものの変化がある。『アステイオン』99号より「データ報道が拓くニュース体験の可能性」を転載> 

新型コロナ禍において普及が進んだものは多々あるが、データの分析や可視化(ビジュアライゼーション)を主題とするデータ報道(データジャーナリズム)もそのひとつだろう。感染状況が逼迫していた時期は、毎日の新規感染者(検査陽性者)数や重症者数といったデータが注目を集めた。

筆者は2020年2月にウェブメディア「東洋経済オンライン」上で新型コロナの感染状況を示すダッシュボードを開発した。

新型コロナ禍を受けて急遽制作したものだったが、その後フェイスブックで12万回、ツイッター(現X)で10万回超シェアされるなど、予想を超える反響があった。新型コロナウイルスという未曾有の危機において、データ報道への社会的な需要が強まったことを感じた。

データ報道それ自体は、歴史上初めて現れた試みというわけではない。英国ガーディアンの前身である「マンチェスター・ガーディアン」は、1821年からデータ報道に類する記事を掲載していた。

1970年代には、データをもとに社会科学や行動科学的な分析・研究手法を報道に活用する「精密ジャーナリズム(プレシジョン・ジャーナリズム)」と呼ばれる種類の報道も米国で提唱されている。

では現代、2010年以降のデータ報道を特徴づけるものは何か。ここでは読者がニュースを体験する媒体に注目する。

すなわち、報道コンテンツを体験する場が新聞紙、雑誌、テレビからスマートフォンやタブレットといったデジタル端末に移行したことにより、従来は存在しなかった表現が生まれた。それがインタラクション(双方向性)である。

地図を拡大・縮小する、ボタンを押してグラフの集計カテゴリーを切り替える、グラフィックのあるポイントをタップして詳細な情報を表示する、といった方法で表示される情報を選択できる。紙とデジタル端末との最大の違いはここにある。

こういったインタラクションを活用することによって、膨大な量のデータや、複雑な構造を持つデータを全体から詳細まで理解できるようになった。

たとえば日本で過去に発生した交通事故のデータが手元にあるとする。紙で表現しようとする場合、広域地図で全体の分布を示したり、特筆すべき傾向を文章で表現するのが定石だろう。

インタラクティブな地図を使えば、日本全体での傾向を外観したのち、シームレスに自宅の近所まで拡大することもできる。ある地点をタップして詳細を表示させるような仕様にすれば、さらに詳しい情報を得ることもできる。

いわば鳥の目から虫の目までをひとつのコンテンツで見せることが可能だ。場合によっては、天候や時間帯など様々な条件でフィルターをかけることもできるかもしれない。

そしてこの変化は、ニュースの体験そのものにも影響を与える。今までは新聞なら「読む」、テレビなら「観る」と、コンテンツの受容方法が明確だった。

しかしデジタル時代のニュースにはそれらの垣根がない。ひとつのコンテンツの中で読む、観る、選ぶ、操作する、といった体験が混在することになる。それらを可能な限り包括的にひとつの動詞で表すとしたら「体験する」となるだろうか。

そうしたデジタル環境における「体験」をフル活用した作品の嚆矢が、ニューヨーク・タイムズが2012年に発表した「スノー・フォール」だ。同年2月にワシントン州で起きた雪崩について、関連人物へのインタビュー動画や航空映像、山中のインタラクティブな地図など多様な表現を活用し、翌年ピューリッツァー賞を受賞した。

本作のように文章、動画、グラフィックなど多彩なデジタル表現の活用によって没入感を演出するコンテンツは「イマーシブ(=没入感のある)・コンテンツ」と呼ばれた。

現代において「体験する」形のコンテンツとして世界の報道機関に使われる手法のひとつが「スクローリーテリング」(Scrollytelling)だ。スクローリーテリングは「スクロール」と「ストーリーテリング」を合わせた造語で、画面をスクロールすることにより、テキストによる解説とインタラクティブなグラフィックが並行して提示される。

たとえば、ロイターが2017年に発表した「ライフ・イン・ザ・キャンプ」というコンテンツがある。ミャンマー政府の迫害を逃れ、バングラデシュとの国境付近にある難民キャンプでの生活を余儀なくされる少数民族・ロヒンギャ族がおかれた苦境を報告するものだ。

本作では主に衛星から捉えた写真を活用しているが、静止画だけでは複雑な衛星写真の構成はわかりにくい。そこでテキストとグラフィックを並行して変化させることにより、複雑なビジュアルをストーリーとともに読み解くことを可能にしている。

海外では欧米の報道機関を中心に、2010年ごろからデジタル技術の報道活用が進められてきた。たとえば英国では2011年に暴動が発生し、当時のキャメロン首相は「貧困が原因ではない」と発言した。

ガーディアンはこの首相発言を検証する形で、暴動の逮捕者が居住する地域と各地域の貧困率をグーグルマップ上でオーバーラップさせ、彼らの住所が明らかに貧困地域に偏っていることを示した。

データを見せるだけではない。米国ニューヨーク・タイムズをはじめとした多くの報道機関はギットハブ(GitHub)というウェブサイトで報道に使ったデータやツールのソースコードを公開している。

ギットハブは元々ソフトウェア開発の現場で使われるツールだが、報道分野ではデータや分析手法の透明性を確保する試みとして使われている。先に挙げた新型コロナウイルスのダッシュボードでも、ギットハブでデータを公開したところ、報道や学術論文でのデータ部分の二次利用が相次いだ。

従来は新聞紙やテレビ番組が報道のほぼ唯一のアウトプットだったが、多業種の知識やツールを取り入れることで、報道が社会に対してできる貢献方法も変わりつつある。

翻って日本では、世界に比べると数歩遅れているのが現状だ。

たとえばデータ報道において最も古い歴史を持つ賞のひとつである「シグマ・アワード」(前身データ・ジャーナリズム・アワード)への出品数を見ると、2023年度の応募520作品のうち日本からの出品は四作品だった。

米国や英国など英語圏の国々が数多く出品しているのは自然だとしても、インドや台湾、ナイジェリアといったアジアやアフリカの国々よりはるかに少ない。人口規模を考えると日本の消極さが目立つ。

この違いはどこから来るのか。ひとつには速報や独自情報など、情報そのものの鮮度や貴重さを第一とする業界文化があるだろう。また、日本ではポータルサイト経由でのコンテンツ配信が多く、インタラクティブなプログラムを伴うコンテンツは掲載しにくい事情がある。

ロイタージャーナリズム研究所の調査によると、日本において週に一度以上目にするオンラインニュースの媒体はヤフーニュースが51%と圧倒的トップであり、2位のNHK(9%)を大きく引き離す。

インタラクティブな報道コンテンツはセキュリティなどの理由から配信に大きく制限がかかるため、ニュースポータルを介したコンテンツ配信が主流である日本の報道ではインタラクティブなコンテンツの公開を妨げる遠因となっている。

もちろん、日本でも大手の新聞社や放送局を中心に、少しずつデータ報道は普及しつつある。人気を誇る今年のシグマ・アワードでは、日経新聞の調査報道チームが公開した「都市と気候危機」と題された一連のコンテンツが最終候補まで残った。

ではデータ報道コンテンツを継続的に公開していくために、報道機関には何ができるか。

データ報道に長けた米国の調査報道NPOプロパブリカは、「報道機関においてデータ班を立ち上げるための8つのヒント」というコラムの中で、「開発者を書き手として扱え」と提唱している。指示を受けるだけではなく、記者と同等の意思決定者としてエンジニアやデザイナーを扱うべきという趣旨だ。

紙の時代には記者がコンテンツのあらゆる面を差配し、他部署に「発注」する方法が効率的だったかもしれない。しかしデータ報道コンテンツの制作には、記者だけでなくエンジニアやデザイナーなど、多業種のメンバーが対等にチームとして意思決定を行うことが不可欠だ。

新型コロナを奇貨として、ようやく日本でも芽が出たデータ報道の行く末は、報道機関がどれだけ「開かれた報道」を実現できるかにかかっている。

荻原和樹(Kazuki Ogiwara)
2010年筑波大学卒、同年東洋経済新報社入社。2017年英国エディンバラ大学大学院(修士)修了。2020年「新型コロナウイルス 国内感染の状況」でグッドデザイン賞などを受賞。スマートニュース メディア研究所を経て2022年10月より現職。著書に『データ思考入門』(講談社現代新書、2023年)など。

『アステイオン』99号
 特集:境界を往還する芸術家たち
 公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会[編]
 CCCメディアハウス[刊]

(※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)


この記事の関連ニュース