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【密着取材】「これだけの成果のためにどれだけ犠牲が...」 ウクライナ「反転攻勢」が失敗した舞台裏

ニューズウィーク日本版 2024年2月1日 19時14分

<ゼレンスキー政権が挑んだ反転攻勢は失敗に。兵士や関係者の証言から見えたのは、戦力の分散による膠着と増え続ける犠牲だった>

「一緒に行くか?」

昨年12月、クリスマスツリーが飾られた兵舎で分隊長のユージン(39)が筆者に声をかけた。突然の呼びかけに「ドブレ(いいね)」と答え、泥だらけの軍用車に乗り込む。

ウクライナ東部ドネツク州バフムート地区のシベルスク市。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領が対ロシアの反転攻勢における最重要地点としたバフムート方面軸の北部にある。昨年の本誌8月1日号で紹介したウクライナ軍の前線本部が9月に砲撃で破壊され、そのためシベルスクに駐留する部隊が、バフムート市の北側で展開される作戦を担っていた。

ミサイルが直撃し、穴だらけになった道を軍用車は高速で走る。向かうのはゼロ(ZERO)と呼ばれる戦闘地。軍人以外が近づくことは許されない場所だ。道の脇に焼け焦げた車が何台も放置されている。あらゆる建物が崩れ、骨組みがむき出しになっている。完全武装のユージンはマシンガンを構え、指示を出した。

「あそこに止まれ」

たどり着いたのはルハンスク州のビロホリウカという町だった。2022年7月にロシア軍に占領されて以降、激しい攻防が続いてきた。数百メートル先で、ウクライナ軍のロケットが火を噴いて連射された。草むらの向こうに155ミリ榴弾砲を搭載した戦車が確認できる。フランス製カエサルの最新モデルのようだ。

敵陣からの距離は1.5キロ。民間人の存在を気にせず撃ち合いが行われる、まさにゼロ地帯だ。14人の分隊を率いるユージンは戦況についてこう話す。「10月には300。足にロケットの破片が刺さった。9月には200。ロシアの戦車2台から攻撃を受けた。きのうの夜もすぐ近くにロケットが命中した」

300は負傷、200は戦死があったことを意味する隠語だ。部下のバーチャとグレゴリーに起きた被害をユージンは淡々と説明する。明日はわが身と、ここで一夜を明かした兵士たちがたばこに火を付けた。

シベルスクの分隊長ユージン(同12月) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

昨年6月4日に始まった反転攻勢でウクライナ軍が挽回できた面積はごくわずか。逆に8月上旬、ロシア軍に2キロ押し返され、ビロホリウカの前線は止まったままだ。

この日の前日、12月4日付の米ワシントン・ポストが「ウクライナの反攻失敗」と題する記事を公開した。

記事によると、6月の大規模反転攻勢の開始に当たり、米英軍とウクライナ軍の将校は8回の作戦会議を行っていた。ザポリッジャのオリヒウにある前線基地からアゾフ海へ突破する攻撃に集中すべきだという米軍当局者。それに対し、ウクライナ軍の指導部は南東部3カ所での攻撃を主張した。その結果、戦力が分散し、膠着状態に陥ったという。

砲撃を受けたレオパルト2

反攻を開始してから50日が過ぎた7月28日、ウクライナ軍の先鋭部隊、第47独立機械化旅団はザポリッジャ州オリヒウの基地を出発した。アゾフ海への進撃を目指し、その第一目標としていた町ロボティネは攻略の途中だった。50日間で押し返せた前線の距離は8キロ。アゾフ海まではまだ90キロもある。

ドイツ製の最新型戦車、レオパルト2などで編成された戦車部隊が並木に沿って進む。地元ザポリッジャで徴兵された大柄の兵士アンドリー(36)は、前を進む戦車との間隔を50メートルほどに保っていた。その時、前方の戦車が砲撃を受けたという。

「危ない!」と叫ぶや否や、今度は自分が乗っている戦車が被弾した。ロシア軍の攻撃ヘリによる銃撃が警戒されていたが、プロペラ音は聞こえなかった。偵察ドローンに見つかり、榴弾砲を撃ち込まれた可能性が高い。暗視装置の配備が遅れ、大型戦車の移動は夜間に、とのセオリーが徹底できなかったのが悔やまれる。

アンドリーは大やけどを負った。背中と右手も損傷し、大がかりな手術を受けた。翌月、部隊はロボティネを奪還したものの、その後、前線の位置は変わっていない。アンドリーはリハビリを続けながらこう訴える。「わずか、これだけの成果を上げるために、どれだけの犠牲が出たことか。議論していても始まらない。すぐに兵員を補充すべきだ」

バフムート、オリヒウに続き、ウクライナ軍が第3の反撃地点として選んだのが、ベリカノボシルカからベルジャンシクへ向け南下する攻撃軸だった。

ここでは7月にスタロマイオルスケ、8月にウロジャイネを奪還して9キロほど前進した。ウクライナ軍はそのまま南進するかに見えたが、9月になって完全に停止してしまった。現場で何があったのか。

4つの海兵旅団と共に、ここで戦った部隊の1つが内務省傘下のアゾフ旅団だ。2014年、ドンバス紛争勃発時に義勇兵部隊としてマリウポリで創設された。志願兵としてアゾフ旅団に入隊したアレクサンドル・バレリエビッチ(47)は機関銃部隊の指揮官をしている。9月中旬、仲間の兵士との集合写真を前に、戦場での出来事について語り始めた。

「ある日、私たちの部隊は前進を始めた。すると敵は正確に迫撃砲を撃ち込んできた。どうやら待ち伏せされたようだ。その後、この兵士は地雷で吹き飛ばされた。こちらの若者は塹壕の中で待機していた。そこにロケットが撃ち込まれ死亡した。戦況は毎月、変化している」

射撃訓練をするアゾフ旅団のアレクサンドル(同7月) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

写真の中の9人のうち3人が命を落とし、1人は片足を失い、1人は失明したという。戦車部隊が大きな被害を被ったことで発案された小規模編成の攻撃スタイル。中型戦車の後ろに歩兵を配置し、機関銃で攻撃する作戦は一部で成果が報告されている。しかし実際には、三重の防衛線で守りを固めた敵の餌食になることが多かったと、アレクサンドルは振り返る。

昨年4月の時点で、ドネツク州に派遣されたウクライナ兵は約10万。ロシア兵は18万~20万だとウクライナ軍の司令官は話していた。倍近い人員差を埋めずに臨んだ反転攻勢は、攻撃軸が分散したことで必然的に膠着を余儀なくされた。

徴兵を避け転居する若者も

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は12月14日、ウクライナに展開している兵力は62万人だと明かした。同1日に署名した大統領令では、ロシア軍の総員を17万人増の132万人とする目標を掲げている。

一方、英国際戦略研究所の調べでは、開戦後にウクライナ軍の現役兵は69万人に増加した。死傷者数は公表されていないが、昨年11月にウクライナの市民団体が調査した結果によると、死者は3万人を超え、負傷兵は10万人に上るという。

人海戦術をもって失った兵力を本国から補充できるロシア軍。片やウクライナ軍は兵員の補充も、交代も困難な状況が2年近く続いている。そんななか、ゼレンスキー大統領は12月19日、ウクライナ軍が最大で50万人の追加動員を提案したと伝えた。それは可能なのだろうか。

首都キーウの路上アートになったワレリー・ザルジニー総司令官(左端、23年8月) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

バフムート方面で反転攻勢が始まった6月4日、ウクライナ国防省のハンナ・マリャル次官(当時)はSNSで「計画は静寂を好む」というタイトルの動画を公開した。

戦闘服を着た兵士7人が1人ずつ画面に現れ、口の前で指を立てる。「開始の発表はない」の文字の後、2機の戦闘機が飛行するカットで終わる。国営通信社ウクリンフォルムはこの動画をウェブページに掲載し、「ウクライナ国防省、反転攻勢計画は発表されないと指摘」と報じた。

反転攻勢に世界の関心が集まっていた頃、テレビの報道番組で開始時期や戦術について議論することを避けるよう、アナウンスされたこともあった。古今東西、戦争に箝口令は付き物だが、ウクライナ政府は死傷兵の数は公表しないと宣言するなど、その姿勢が徹底されている。

しかし前線の兵士は唯一の楽しみとして、衛星通信を使って家族や友人と話したり、映像を送ったりしている。それらの情報を通じて、ウクライナ国民はむごたらしい戦場のありさまを見せつけられてきた。

開戦1年目、筆者が所属する人道支援団体では4人の若者が志願兵として前線に向かった。それが2年目には皆無になった。連日、数百人の死傷者が出たバフムートの戦いが影響したようだ。

ウクライナ中部からドンバス地方へ支援物資を運んでいる30代のトーラはこう話す。「いつかは軍に入って、自分も戦わなくてはいけないと感じている。でも今は無理だ。家族も許してくれない」

軍のリクルーターが通りや地下鉄で招集令状を手渡すという強引な勧誘も逆効果だった。徴兵を避けたい若者は、できるだけ自宅から外へ出ないようにしているという。

西部の都市で家族と暮らすある男性は昨年の秋、東部の街へ「転居」した。「僕の町でも、外を歩いていたときに徴兵された友人がいる。だから前線に近い町に移ることにした。若者が少ないから誘われる可能性が低い、と聞いたので」

雑貨屋には文民姿と軍服姿を組み合わせたゼレンスキーのブロマイドが(同11月、ザポリッジャ) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

「必要なのは軍隊の改革だ」

年が明け、ウクライナ政府は追加動員に関する法案を取り下げる事態に陥っている。招集令状を電子メールで送り付けるなどの手法が憲法違反に当たると指摘されたからだ。兵士不足の解消は見通せなくなった。

ウクライナ軍の現状を憂える声もある。ドネツク州北部にある第15連隊の歩兵、マキシム・アブラモブ(26)は「いま必要なのは軍隊の改革だ。訓練や選抜の方法を刷新する必要がある」と訴える。

マキシムは戦闘中にロシア軍の攻撃を受け、3度負傷した。右肘は激しく損傷し、ドイツで手術を受けた。いま部隊に戻り、ルハンスク州クレミンナで任務に就いている。「戦争は数だけそろえて勝てるものではない」と彼は言う。7割もの兵士が実戦を経験していない部隊もあるというウクライナ軍は、マキシムの提言に応えることができるだろうか。

マキシムは右肘を負傷しドイツで手術を受けた(同11月) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

膨れ上がる戦費を賄っていけるのかも大きな課題だ。兵士の月給について教えてくれたのはドネツク州リマンの部隊に所属するオレクシー(36)だ。「ウクライナ軍は戦闘地と非戦闘地で給与に差をつけている。私のように前線で戦う兵士は、月に10万フリブニャ(約40万円)。南東部以外で任務に就いている兵士はその3分の1ほどだ」

オデッサのショッピングモールでマネジャーをしていたときの月給は3万フリブニャ(12万円)だったというオレクシー。国家統計局によると、昨年第3四半期の平均月収は1万7937フリブニャ(約7万円)だ。

月10万フリブニャについて、「命を懸けた仕事にしては安い」と、どの兵士も口をそろえる。しかし、国家破綻の危機にあえいできたウクライナにとって、平均月収の5倍以上に相当する給与を前線の兵士に払い続けるのは容易でない。ときどき耳にする給与の遅配が拡大すれば、厭戦ムードは一気に高まるだろう。

弓形に伸びる1000キロに及ぶ前線で、最大の激戦地がドネツク州にある。18世紀、最初に入植したアウディイの名が由来の街、アウディーイウカだ。昨年10月、ウクライナ軍の反転攻勢が失速したのを機に、ロシア軍はここに猛攻撃を仕掛けた。

アウディーイウカが包囲寸前の危機に陥ったとき、呼び寄せられたのがザポリッジャ攻撃軸を主導していた第47独立機械化旅団だった。破壊を免れたレオパルト2のほとんどもここに移動させられた。

その後、同じく配置転換を求められたのが、開戦後に軍都となったオリヒウの野戦病院で医療補助をしていたユーリ・イワノビッチ(48)たち人道支援のメンバーだった。

アウディーイウカの野戦病院。帽子姿がユーリ(23年12月) COURTESY OF YURIY IVANOVYCH

ボランティアがバフムート北部の兵士を慰問し、肉を焼いて振る舞った(同10月) PHOTOGRAPH BY TAKASHI OZAKI

勝利は1年後? 4年後?

12月17日、ユーリが初めて訪れたアウディーイウカの野戦病院は負傷兵でいっぱいだった。手術室のベッドは5台。ブルーシートが足りなかったのか、壁の一部は黒いビニールで覆われている。痛みに耐えかねた兵士が、「ウーッ」という声を出す。心拍計のアラーム音が響く。11人の医師とボランティアは、それぞれの手術台で治療に集中している。

ピークを迎えたのはクリスマスイブの12月24日。砲撃を受けた戦車の中で火だるまになったのか、顔と頭がススと血まみれになった兵士が運ばれてきた。次は、左腕にロケットの破片が当たり、縦に3カ所裂けた状態の兵士。左足のアキレス腱に被弾し、裂け目から血が滴り落ちている兵士もいる。

ユーリたちは酸素マスクを兵士の口に当てたり、消毒液を染み込ませたガーゼを用意したりして、治療の援助をした。

今年1月、活動を終えたユーリからメールが届いた。「私たちは10日間、避難車両を運転し、傷ついた兵士を手術台に運び、全ての傷を洗い、医師をサポートした。仮眠できたのは数時間。それも手術台の上だった。これがアウディーイウカだ」

アゾフ旅団のアレクサンドルは今、バフムートの南にあるアンドリーウカで指揮を執っている。ウクライナ軍はこの周辺、約54平方キロの奪還には成功したものの、昨年の秋以降、ロシア軍から繰り返し攻撃を受けている。

銃撃戦で倒れた仲間を救出するため、アレクサンドルはある道具を使うことにした。金属製のフックに長いロープを付けた鉤(かぎ)縄だ。「至近距離での銃撃戦の最中、腰を上げたら最後、やられてしまう。だからこれを負傷兵めがけて投げるんだ」

腕力を振り絞って手繰り寄せた仲間が息絶えていることもある。それでも、生きていてくれと願ってこれを投げる。

シベルスクの分隊長ユージンは前線で年を越した。チェコに避難中の妻や子供と会うことはできなかった。妻はインターネット電話で、「きっとうまくいくよ」と励ましてくれた。

最近、砲弾が不足してきたため、手作りしてしのぐこともある。マイナス14度のいてついた塹壕で戦う部下のことが気がかりだ。

「見てくれよ。開戦初日に出征した兵士が、まだここにいるんだ。みんな精神的にも肉体的にも疲れている。勝利が訪れるのは1年後? それとも4年後? 戦況を逆転させるには何らかの策略が必要だ。戦闘機抜きの攻撃などあり得ない」

PHOTOGRAPHS BY TAKASHI OZAKI

<本誌2024年2月6日号掲載>



尾崎孝史(映像制作者、写真家)

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