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100年後、人類は世界自然遺産アレッチ氷河を眺められるか? 周辺自治体が温暖化対策を加速

ニューズウィーク日本版 2024年1月31日 18時27分

<地球は沸騰化の時代に入ったと言われるなか、欧州を代表する氷河はどうなるのか>

冬が長い山国スイスには1400もの氷河があるという。山岳氷河にアクセスできる場所の中でも、総面積824平方キロメートルというスイス最大のアレッチ氷河一帯はとりわけ印象的だ。このエリアとは北側の山間の3つの氷河と、それらが合流して南側に流れた「アレッチ氷河」(長さ20km)を指す。

感動の大氷河でのハイキング

アレッチ氷河一帯はユネスコの世界自然遺産になっている。北側の氷河は、ヨーロッパで最も高い場所にある鉄道駅ユングフラウヨッホ駅(標高3454m)の展望台から眺めることができる。ユングフラウヨッホ展望台には1年中、世界各国から多くの観光客が訪れ、2023年はコロナ禍前のレベルに戻り、100万人以上を記録した。

3500mを越えるユングフラウヨッホ展望台には氷の彫刻が楽しめる氷の宮殿やチョコレートショップもあり、絶景やアトラクションが魅力的。一方、南側のアレッチ氷河は、大自然をゆっくりと味わいたい人たちから人気を集めている。

大河のようなアレッチ氷河には、上流部に1つ、中流部に1つ、下流部に2つと計4カ所の展望台がある。どの展望台も2000m級だ。各展望台から臨むアレッチ氷河は、見る角度によって表情が変わる。大自然の風景を多くの人たちに堪能してもらおうと、この氷河沿いに4つも展望台を建設したのも納得がいく。

筆者の息子は、高校生のときにクラス旅行でアレッチ氷河を訪れた。氷河を眺めるだけでなく、氷河の上を歩くトレッキングを経験し、「あんな非日常的な場所を歩いたなんて、すごいこと。忘れられない思い出になった」と話していた。筆者自身は、昨秋初めてアレッチ氷河へ行った。氷河下流部の展望台へ上がり、高山の森「アレッチヴァルト」へと続く約3時間のハイキングコースを歩いた。スイスのいろいろな場所でハイキングをしてきたが、巨大な氷河が目の前にあるこの道は格別だった。アレッチ氷河のハイキングコースはほかにもある。筆者が歩いたコースはアップダウンが少なく、とても歩きやすかった。

アレッチ氷河を眺めながらハイキングができる(以下、特記以外は筆者撮影)

進行する氷河の融解~アレッチ氷河が消える可能性も

アレッチ氷河の観光は楽しかったが、この氷河は世界のほかの氷河と同様、気候変動による融解・後退という問題を抱えている。現在総重量100億トンのアレッチ氷河は、昔はもっと巨大だった。氷河が急激に成長を続けた1600年代には地元の人々が恐れを抱き、ローマ教皇が氷河の成長が止まるように祈りを捧げた。氷河はその後も成長し、1860年頃には最大の大きさに達した。今より200m厚く、先述の森アレッチヴァルト付近に達していたという。

1860年以降は、アレッチ氷河は1年に最大で約50m(長さ)のペースで縮小を続けている。夏の暑い日には、1秒間に最大6万リットルの水が"大量の汗"となって流れ出す。夏季は1日平均10~12cm溶けていると聞いてはいたものの、「アレッチ自然保護センター」に展示されたアレッチ氷河の定点観測のスティックを見て改めて驚いた。計測スティックに貼られた各計測日を見ると、数日間のうちに本当に何cmも溶けている。定点観測は、同センターを運営する自然保護基金プロ・ナトゥーラが1992年より行っている。

「アレッチ自然保護センター」に展示された、2023年のアレッチ氷河の計測スティック。白いテープに各計測日が記され、氷河の厚みが減少している様子がわかる

アレッチ自然保護センターには、アレッチ氷河の歴史やアレッチヴァルトに生息する動植物の説明など様々な資料が展示されている。そこには「もし気候変動対策が継続的に行われて温室効果ガスが大量に削減できれば、氷河の量は長期間変化しないだろう」と記されていた。

しかし、現状はあまり楽観視できないようだ。2019年に、スイス連邦工科大学チューリッヒ校の研究者らが発表した氷河融解のシミュレーションはショッキングだ。パリ協定で規定されているように気温上昇を2度未満に抑えたとしても、2100年にはアレッチ氷河はほぼなくなり、冒頭でふれた北側の3つの氷河のみが残る予測なのだ。2~4度上昇と 4~8度上昇のシミュレーションも公開されており、4~8度上昇の場合、北側の3つの氷河もほぼ消滅してしまう。

地球温暖化は明らかにアルプス最大の氷河に大きな被害を与えている、というシミュレーション ETH Zürich / YouTube

築120年以上のヴィラ・カッセルは、現在アレッチ自然保護センターとして使われている。Fiesch / Creative Commons Attribution-Share Alike 3.0 Unported

気候変動の対策は?

アレッチ氷河の観光は先述のアレッチ自然保護センターの建物から始まった。それは築120年以上の大きい洋館で「ヴィラ・カッセル」とも呼ばれ、イギリスの富裕層アーネスト・カッセル氏が夏の間を過ごした私邸だった。英元首相ウィンストン・チャーチルなど政界や金融界の国外の著名人も滞在したという。富裕層に限らず一般の人たちもアレッチ氷河を訪れるようになったのは、1960年代だ。ヴィラ・カッセルには現在も宿泊できる。

長く続いている氷河観光が将来も安泰であるようにと、周辺の自治体では、随所で気候変動対策が進められている。2019年、約4億円をかけてヴィラ・カッセルをサステナブルな建物にリニューアルしたのも、その一環だ。

カーフリーのベットマーアルプ村を走るバス(電気自動車)。高齢者や小さい子どもを連れた住民が利用

カーフリーの政策も特徴的だ。4つの氷河展望台への玄関口となる、標高2千m前後の3つの集落ではガソリン車の乗り入れを禁止している(スイスにはカーフリーリゾートが計11カ所ある)。3つの村の1つ、ベットマーアルプ村で郵便配達車、バス、ごみ収集車、ホテルの送迎車などを時おり見かけた。それらはすべて水力発電エネルギーを使う電気自動車だ。氷河展望台へのゴンドラリフトやチェアリフトも、3つの村と谷間を結ぶケーブルカーなども水力による電力を利用している。

ベットマーアルプ村では熱供給(暖房・給湯燃料)のエコ化にも取り組んでいる。同村には住民の住まいだけでなく、住民以外の人が休暇の時だけ住む別宅も多数ある。村のほとんどの建物は1990年以前の建築のため、断熱が不十分だという。村ではこれまでも取り組んできた古い建物の窓、屋根、外壁の改修をさらに推進していく。

同時に、2020年の村の熱供給の内訳にあるように、灯油46%、電気37%、ヒートポンプ11%、木材5%のうち、灯油と電気の割合を下げ、化石燃料の割合を2035年までに約39%減少する目標を掲げている。また、新たに、カーボンニュートラルな資源の木質ペレット(この地方で生産されたもの)を住民に1年中供給できるようにした。

ベットマーアルプ村は、ごみ処理でもエネルギーの節約を実践している。ごみは村内ではなく谷の下へ運んで処理しており、旅客用ケーブルカーの下部に大量のごみを吊るして効率的に輸送する方法を取っている。

気候変動を深刻化させないためには、アレッチ氷河一帯の努力とともに、ほかの場所でのエコ化ももちろん大切だ。類まれなこの山岳氷河を100年後の人たちも眺めることができるよう、自分の日常生活でサステナブルなアクションをもっと起こしていかなければと思いを新たにした。

取材協力:
スイス政府観光局 www.myswiss.jp
ヴァレー・プロモーション www.valais.ch

[執筆者]
岩澤里美
スイス在住ジャーナリスト。上智大学で修士号取得(教育学)後、教育・心理系雑誌の編集に携わる。イギリスの大学院博士課程留学を経て2001年よりチューリヒ(ドイツ語圏)へ。共同通信の通信員として従事したのち、フリーランスで執筆を開始。スイスを中心にヨーロッパ各地での取材も続けている。得意分野は社会現象、ユニークな新ビジネス、文化で、執筆多数。数々のニュース系サイトほか、JAL国際線ファーストクラス機内誌『AGORA』、季刊『環境ビジネス』など雑誌にも寄稿。東京都認定のNPO 法人「在外ジャーナリスト協会(Global Press)」監事として、世界に住む日本人フリーランスジャーナリスト・ライターを支援している。www.satomi-iwasawa.com

【動画】8K映像で見る世界自然遺産アレッチ氷河

ユーラシア大陸の西半分で最も巨大な氷河であるアレッチ氷河だが、実際にはエーヴィッヒシュネーフェルト、ユングフラウフィルン、アレッチフィルンという3つの氷河がコンコーディアプラッツで合流、大きな氷の河グロッサー・アレッチグレッチャーとなって流れるものの総称を指している。

 Scenic Relaxation 8k UHD / YouTube

岩澤里美(スイス在住ジャーナリスト)

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