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【能登半島地震】正義ぶった自粛警察が災害救助の足を引っ張る

ニューズウィーク日本版 2024年2月1日 11時45分

<発災直後に被災地に入ったジャーナリストや政治家は個別の事情も顧みずSNSで苛烈なバッシングに遭った>

2024年1月1日に石川県能登地方を中心に発生した最大震度7の地震は大きな被害をもたらし、200人を超える死者と数万人の被災者を生み出した。この地震の発災直後から数週間、インターネット空間では様々な言説が乱れ飛んだ。その中で、この震災に関連する言説の特徴の一つだといえるのは、災害ボランティアに対して過剰に自粛を要請し、被災地入りしたジャーナリストや国会議員に対して苛烈なバッシングがあったことだ。今回のコラムでは、この現象について考えてみたい。

素人でもないのに

今回の能登半島地震では、半島という地形的な要因と地震によって道路が寸断されたことで、被害が甚大だった地域に入ることが非常に困難であった。それを理由に国や石川県は、不要不急の用で被災地に入ることの自粛、特にボランティアとして現地入りすることの自粛を早くから呼びかけていた。それでも発災直後から、多くの災害ボランティアが能登に入っていたことがわかっている。

ジャーナリストの津田大介氏は、発災数日後に能登入りして取材を行った。津田氏がこのことをSNSで発表すると、途端に大きなバッシングが巻き起こった。国や石川県が自粛を呼びかけているのに被災地に行くことはけしからん。救助活動の邪魔になったらどうするんだ、というわけだ。

実際は、津田氏は交流のあったNPO団体のスタッフとして被災地入りしており、支援活動の取材を行っただけであった。自分が使う燃料や水、食料は全て自弁で調達しており、被災地のリソースを消費しない配慮も行なっていた。津田氏がこのことを繰り返し発信することでバッシングは徐々に収まっていったが、それでもなお彼への不当な攻撃は続いており、津田氏が参加したNPO団体への批判さえみられる。

カレーを食べたのはけしからん

被災地に入って批判されたのはジャーナリストだけではない。れいわ新撰組の代表をつとめる山本太郎参議院議員は1月5日、SNS上で能登半島入りしてきたことを述べ、そこで見聞きした実情と自身のボランティア経験を踏まえて、幾つかの内容を政府に対して提言した。しかしSNSでは、山本議員への批判が殺到した。やはり政府の災害対応の邪魔だというのだ。山本議員の場合は、そこで炊き出しのカレーを食べたということが殊更に批判されていた。

山本太郎議員は1月17日に会見を開き、この件について釈明した。山本議員もまた、ボランティア団体との連携のうえで現地入りしており、炊き出しのカレーも被災者やスタッフが食べ終わったあとの残りものを、すすめられたので頂いたということだった。食事を共にするというのは、現地の人々と本音で語り合う手段の一つでもある。そもそも国会議員が被災地を視察するのは普通のことであり、原則的には批判されることではない。もちろん大名行列のようにお供をぞろぞろ連れて回り、忙しい現地自治体に余計な手間をかけてしまうのならば迷惑だろうが、今回の山本議員のケースでは、そのような行動は確認されていない。

ボランティアにも自粛圧力

被災地を支援する際、被災地のリソースを消費するなどしてかえって被災地に負担をかけてはいけないのは当然であり、災害ボランティア活動の大原則であるのは言うまでもない。しかしその原則が独り歩きして、個別の事情を顧みることなく、少しでも被災地に負担をかけたとみなされるやいないなや、SNSで過剰に攻撃されてしまうという現象が生じている。たとえば炊き出しのカレーをたった一杯だけ食べるようなことでさえ、猛烈に叩かれてしまうのだ。

コロナ禍で、外出制限がかかる中、様々な事情により制限に従うことができない人たちを見つけては攻撃する「自粛警察」が問題になった。能登地震でも、SNSでは「被災地に入って混乱を招いている素人」という虚像を血眼になって探している「警察」たちがみられる。しかし災害支援活動に対する「自粛警察」は、少なからず市民による災害支援活動の萎縮を招き、かえって救助や支援の迅速性や効率性を損なうかもしれない。

アメリカのノンフィクション作家レベッカ・ソルニットによれば、大きな事故や災害が起こった際、人々はパニックに陥るという直感に反して、互いに協力し助け合う「災害ユートピア」が生じる(『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』高月園子訳、亜紀書房 (2010年))という。一方、政府は人々を信頼できず過度に統制しようとするので、そのような人々の連帯を邪魔してしまうというのだ。

2012年に内閣府が編集した「防災ボランティア活動に関する論点集」では、東日本大震災時のボランティア活動について、「災害発生直後、被災地に行くことを抑制するメッセージが多方面から発信されたことで地域外からのボランティア活動の出足が鈍った」ことが課題の一つとしてあげられている。被災地の道路状況や支援の受け入れ態勢について適切な情報を発信することと、「自粛警察」になることは異なる。能登地震では、比較的早期に交通事情が改善された能登半島南部でも、1月上旬には既に人手不足が報じられていた。政府や自治体の発信、あるいは「自粛警察」化したSNSの人々は、東日本大震災の教訓を学んでいたのだろうか。

自主性や創意を恐れるな

今回の震災ではなぜ「自粛警察」がSNSを中心に発生してしまったのだろうか。今回バッシングの対象になったボランティア、ジャーナリスト、野党議員に共通しているのは、体制や権力の外側にいる立場だということだ。公権力の管理に服さない人々は、ソルニットが述べるように権力側の「エリート」にとっては災害時に混乱をもたらす存在でしかない。そのような偏見が、SNSに広がっているのではないだろうか。

もちろん災害支援活動に一定の秩序は必要だ。しかし過度な管理はするべきではない。近年の災害支援をめぐる言論状況では、軍隊用語が多く用いられてきている。たとえば「オペレーション」「ロジスティクス」「ミッション」といった単語だ。軍事作戦ではスタンドプレーや例外的な行動は命にかかわることになり、決して許されない。このような尺度で災害支援活動も捉えられてしまうと、「スタンドプレー」にみえるような抜け駆け的な被災地入りは悪ということになってしまう。

しかし災害支援活動と軍事活動は異なる。ボランティアの四原則と呼ばれるものの中には、「創造性(先駆性)」の項目もある。自主的に課題を発見し、その解決のために自由なアイデアをもたらす柔軟性が支援の現場にとって役立つとされている。被災地に行くのも行かないのも、被災地の状況を理解しながら、個々の考えや必要性に応じて決定されることであり、一律に抑え込むべきことでもない。

発災から1カ月がたち、能登半島の各自治体では、極めて少人数ではあるが、ようやくボランティアを本格的に受け入れ始めている。今後求められているのは、市民の自発的な連帯を抑制する「自粛警察」ではなく、被災地域内外から集まってきた市民たちの、公権力から自立した連帯がもたらす、自由な創造性への期待になるだろう。


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