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一流科学誌も大注目! 人体から未知の存在「オベリスク」が発見される

ニューズウィーク日本版 2024年2月5日 20時25分

<ヒトの大便や唾液の微生物叢のデータからウイルスとウイロイドの中間的存在が見つかった。米スタンフォード大イワン・ゼルデフ氏らの研究チームは、この成果をなぜ有名学術誌ではなくプレプリントサーバーに投稿したのか>

「ウイルスは生物か非生物か」というテーマは、今でもたびたび論争となります。これは、ウイルスは生物と同じく「核酸(遺伝情報)」と 「タンパク質でできた外界との仕切り(ウイルスでは'殻')」を持ちますが、生物の最小単位である細胞よりもはるかに小さく、生物のような「自力で増殖する能力(自己複製能)」を持たないことに起因します。文部科学省によると、理科の教科書ではウイルスを「生物と非生物の中間的な存在」と説明しているそうです。

ところが1971年、ジャガイモに生育不良を起こす病原体として「核酸はあるがウイルスよりも小さく、自己複製能を持たず、外界との仕切りがない存在」であるウイロイドが発見されます。つまり、ウイルスよりも非生物に近い存在が見つかったということです。

さらに21世紀に入ると、「自己複製ができない細菌(生物)」や「大腸菌くらいの大きさを持つ巨大ウイルス」など、従来の生物とウイルスの間をつなぐような中間的存在が相次いで見つかりました。そこで「ウイルスとウイロイドの中間的な存在もあるのではないか」と予測されましたが、これまでは未確認でした。

米スタンフォード大のイワン・ゼルデフ氏らの研究チームは、ヒトの大便や唾液の微生物叢のデータからウイルスとウイロイドの中間的存在を発見し、「オベリスク」と命名したと発表しました。研究成果はプレプリントサーバー(未査読論文を投稿するサーバー)の「bioRxiv」に1月21日に投稿され、世界三大学術誌に数えられる「Nature」と「Science」が即座に記事として取り上げるなど大きな注目を集めています。

オベリスクの発見は、なぜセンセーションを巻き起こしているのでしょうか。研究チームは、なぜ学術誌ではなくプレプリントサーバーに投稿したのでしょうか。研究背景とともに概観しましょう。

「すべての生命の始祖」説も? 「ウイロイド」とは何か

生物の専門家でない人にとって、ウイルスは馴染み深くても「ウイロイド」は初めて聞く言葉かもしれません。

ウイロイドは、ゲノムサイズ(ある生物が持つ遺伝情報量)が約200~400bp(塩基対、ゲノムサイズの単位)の環状RNAです。小さく単純な構造かつ感染先の材料を使って自分を複製することができるため、地球上のすべての生命の始祖であると考える科学者もいます。

生物、ウイルス、ウイロイドの構造の複雑さを比較するとき、ゲノムサイズはよく使われる指標です。ウイルスは数千~数万bpのサイズで、たとえば新型コロナウイルスは約3万bpです。一般に生物は数万~数千億bpで、ヒトは約30億bpです。ただし、生物の中で最も知能が高いヒトはゲノムサイズも最大というわけではなく、既知の生物ではアメーバの一種であるポリカオス・ドゥビウムが最大(約6700億bp)と考えられています。

ウイロイドは半世紀前に発見されて以来、植物への感染という形でのみ見つかってきました。しかし2019年頃から大規模な調査が進められており、動物や真菌、細菌などの遺伝情報のデータベースを分析した研究で「ウイロイドに似た環状RNAゲノムがありそうだ」という報告が続いています。

今回のスタンフォード大チームの研究目的は、もともとはヒトの口腔内や腸内に存在する様々な微生物に関する既存の遺伝情報データベースを使って、ウイロイドの候補となる環状RNAの配列を探すことでした。

472人から採集された約540万件の配列データを用いて、新しく開発したソフトウェアで解析しましたが、サンプルは唾液や便から得られたものなので多数の細菌やウイルスの遺伝情報がごちゃ混ぜになっています。たとえ環状RNAが見つかっても、細菌のRNAプラスミド(染色体外にある小サイズのRNA)やRNAウイルスの可能性があるので、研究チームは丁寧に検討してそれらを排除しなければなりませんでした。

精査した結果、ゲノムサイズが約1000bpの「ウイロイドのような未知の環状RNA」が2万9959個も見つかりました。

研究チームは、この約3万個の環状RNAに①ウイルスにしては小さく、ウイロイドにしては大きいゲノムサイズ、②古代エジプトの巨大な尖塔を彷彿とさせる、棒状で(ウイロイドと比べて)大きな外見、③ウイロイドとは異なる新しいタンパク質を構築するための設計図(コード)を持つ、という共通の特徴を見出しました。

そこでゼルデフ氏らは「発見した環状RNA群は、ウイロイドや小さいサイズのウイルスとは全く別の存在だ」と考え、「オベリスク(Obelisk;尖塔)」と名付けました。さらに、③の新しいタンパク質をコードする領域はオベリスクRNAの約半分を占めているため、作り出されるタンパク質を「オブリン (Oblin)」と命名しました。オブリンは、オベリスクの複製を担う重要なタンパク質と示唆されると言います。

実は、今回解析した472人分の微生物叢では、オベリスクの配列が約10%という高頻度で見つかりました。とりわけ、唾液の中の微生物叢では約50%に見られました。これほど普遍的な存在なのに今まで未知だった理由は、オベリスクのRNAが約1000bpと短い配列であることが関係していると、研究者たちは推察しています。

植物以外への感染を初めて示した例に?

さらに特筆すべきは、今回の研究ではオベリスクに感染していると思われる細菌を取り出すことに成功している点です。

研究チームは、ヒトの口腔内によくみられる細菌「ストレプトコッカス・サングイニス(Streptococcus sanguinis)」に、オベリスクに分類された1137bpの環状RNAが"寄生"していたと報告しています。もし事実であれば、ウイロイドやウイロイドに似た存在が植物以外に感染している事例を初めて示したことになります。

加えて、ストレプトコッカス・サングイニスは入手も増殖も容易なため、今後、オベリスクの複製方法や感染した細菌への影響、人体への影響などをさらに調査するために役立つ可能性があります。

米オハイオ州立大の生物学者マシュー・サリバン氏は「Science」の取材に対して、「オベリスクがヒトの健康に影響を与えるかどうかはまだ不明だが、オベリスクは宿主となる細菌の遺伝子活性を変化させる可能性があり、それがひいては人間の遺伝子に影響を与えるかもしれない」と話しています。

ところで、今回の研究成果は、学術誌に論文が掲載されたのではなく、bioRxivというプレプリントサーバーに投稿されました。

「Nature」や「Science」といった科学分野の学術誌では、研究成果をまとめた論文が送られてくると、掲載前に同分野の科学者によって内容が妥当であるか、掲載誌に相応しい新奇性があるかなどをチェックされます。これが「査読制度」です。査読を通過したからといって、研究内容の正しさや捏造していないことが100%保証されるわけではありませんが、少なくとも一定のクオリティは担保されます。

一方、査読を経て学術誌に掲載されるまでは時間がかかるため、自分たちが最初に発見したことを素早く示す必要があったり、研究について査読者以外からの批評やフィードバックを得たかったかったりする場合は、「研究論文の下書き(プレプリント)」をネットで公開することがしばしばあります。

投稿する場をプレプリントサーバーと呼び、公開時には「誰が先に投稿したか」を示すタイムスタンプが押されます。ただし、プレプリントサーバーには査読制度がないため、内容が間違っていたりクオリティの低い研究が掲載されたりするリスクは学術誌よりも高まります。

スタンフォード大の研究チームは、発見した完全に新しい存在「オベリスク」が人体内に普遍的であったことから、「最初に発見したこと」をいち早く主張し、科学サークルの反応を見たり他の研究者の意見を募ったりするためにプレプリントを公開したと考えられます。実際にオベリスクの発見は、「Nature」や「Science」ですぐに好意的な筆致で専門家の驚きの声とともに紹介されました。

オベリスクの存在はまだ研究チームの提唱の域を越えておらず、まずは学術誌の査読通過が待ちわびられます。現時点では、オベリスクを宿す細菌が受ける影響や、オベリスクが細胞から細胞へと拡散する手段は分かっていませんが、今後、他チームの追試や同チームの発展研究が進めば、非生物と生物の違いや生命の起源に迫ったり、私たちの健康への影響を知ったりすることができるかもしれません。

オベリスクの発見は、21世紀になっても未知の存在は人々の身近にあり、科学的に解明されるのを待っていることを示しています。腸内細菌叢が腸の健康だけでなく認知症や脳卒中、肥満などにも関わっていることが分かり、さらに重要性が論じられるようになったのは、ここ10年ほどのことです。細菌よりもさらに微小な存在であるオベリスクも、医療の発展につながるかもしれませんね。



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