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「人質斬首」イスラム国はまだ終わっていない

ニューズウィーク日本版 2024年2月8日 16時38分

<報じられなくなった過激な暴力組織ISだが、元戦闘員は社会から拒絶され、組織は復活を狙っている>

今から10年前の2014年、過激派組織「イスラム国」(IS)の暴力が世界各地を震撼させていた。

メディアにはISの映像があふれていた。最高指導者のアブ・バクル・アル・バグダディがイラクのモスクでカリフ制国家(カリフはイスラム共同体の指導者)の樹立を宣言した映像を記憶している人もいるだろう。

また、黒い衣装を着て長いひげを伸ばした戦闘員たちが行進し、改造した車で自爆攻撃を行い、人質を斬首しようとする映像が印象に残っているかもしれない。ISは一時、最大でイラク・シリアの領土の3分の1まで支配した。

現在ではISについて報じられることはほとんどなくなったが、戦闘員たちはどこへ行き、ISは今、どうなっているのか。

■刑務所は囚人が過激化しやすい

昨年10月、イラクの首都バグダッドは車があふれ、真新しいショッピングモールも建設されて活気に満ちていた。街中で自爆攻撃が多発していた時期もあったが、現在は落ち着きを取り戻している。

しかし、まさにこの首都にある刑務所に、数万人のISメンバーが服役・収容されているのだ。法務省の広報官・更生施設担当のカマル・アミン・ハーシムは言う。

「ISのメンバーは、バグダッドや南部ナシリヤなどの刑務所に約3万人収容されている。刑務所の定員の2倍から3倍がいて、過密状態だ」

17年、イラク軍と米軍を中心とした有志連合軍による掃討作戦で、イラクのISはほぼ壊滅状態になった。戦闘員だけでかつては3万人いたとされ、それ以外の協力者や関係者はさらに多い。

ISのメンバーは拘束され、ハーシムによると9500人に死刑判決が下された。死刑が既に執行されたケースもあるが、懲役を科されたり、今も裁判なしで拘束されている者もいる。

イラクは刑務所に関して苦い経験をしている。03年のイラク戦争以降の混乱期に、刑務所内で囚人の過激化が起きたからだ。後にISの最高指導者となるバグダディも03年のイラク戦争をきっかけに反米闘争に加わり、収監された刑務所で他の囚人から影響を受けて、そこで初めて過激なイスラム思想に染まったとする説がある。刑務所が過激派の養成施設のようになっていたのだ。

過去の教訓から、イラク法務省は刑務所内で過激化を防止するためのプログラムを実施している。しかし、囚人の数が膨大で、対応は簡単ではない。イラク政府は新たな刑務所を建設中で、過密問題は1、2年後には緩和される予定であるというが......。

アルホルキャンプの粗末なテント。イラクに比べてシリアの刑務所やキャンプは劣悪な環境にある XINHUA/AFLO

「元イスラム国」が出所後に直面する困難

ハーシムによれば今、一番の課題は刑務所とは別にあるという。

「出所後に元囚人が地域の人々から拒絶されている」

この問題はイラク北部の街モスルで顕著に見られた。モスルはISがイラク側の拠点として支配した場所でもある。

市内にある青少年更生施設を訪ねた。ここには9歳から22歳の青少年340人が収容され、うち250人がIS関連の罪で服役している。

建物の中には若者たちが描いた絵が飾られ、清掃も行き届いていた。職員も囚人たちの表情も比較的明るい。大人に比べて青少年には支援が届きやすいため、複数のNGOによって教育、アートセラピー、カウンセリング、出所後のフォローアップが実施されている。

案内された二段ベッドの並ぶ居房には、青い制服を着た30人ほどの若者たちが整列して座り、こちらを見ていた。インタビューすることは許されなかったものの、聞いていなければ彼らがISにいたとは想像できないほど敵意のない、あどけない顔をしていた。

17年に別の更生施設で取材した際も、「父親とけんかして家出してISに入った」「家族がISに攻撃されそうだったので忠誠心を示すために入った」という、過激さとは関係のない理由で参加した10代の若者たちもいた。

しかしながら、ハーシムが述べたように、問題は刑務所の外にある。更生施設で支援活動を行うNGOハートランド・アライアンスの弁護士ファラハ・サフィーはこう解説した。

「刑務所を出て家に帰っても地域社会から『元イスラム国』ということで受け入れられず、自殺してしまった子がいた。就ける仕事も限られ、ゴミ山で鉄くず拾いをしている人が多い」

イラクはISを生み出した場所であると同時に、最もISの被害を受けた場所の1つでもある。住民の中には家族を殺され、住む場所を破壊された人たちがたくさんいる。

IS支配以前、シーア派中心の政府の統治方法にスンニ派住民は不満を抱いていた。ISが出現した時、ISのことを、「イラク政府の圧政から救ってくれる救世主かもしれない」と支持してしまった人々もいた。次第にISは残酷な姿を見せるようになり、人々の心は離れていったが、同じ家族や近所の人たちの間でも支持、不支持と立場が分かれてしまったのである。

中部ファルージャ近郊出身の20代の女性は、夫と義理の兄がISに入っていたという。

「夫はイラク政府に不当に拘束された女性たちを解放するための戦いだと言っていた。私は止めたけれども、夫の考えは変わらなかった。それで夫と離婚したけれど、彼のことが原因で仕事が何度も不採用になった」

ISの被害者の多くは、元IS関係者が出所して自分の近所に戻ることをよく思わない。たとえその人物が殺人を犯してはいなくても、IS関係者だったことへの嫌悪感がある。出所者は、「元ISメンバーだ」というスティグマ(社会からの烙印)に苦しむことになるのだ。

32歳の息子がISに加わった容疑で捕まっている女性は、「息子は無実。でも、もう10年刑務所にいる。近所の人も無実だと知っているはずなのに、私とは関わらないようにしているのが分かる」と話す。出所者は、関係者家族よりもさらに厳しい視線にさらされるのは容易に想像がつく。

シリア北東部ハサカの刑務所に収容された元ISの関係者(2019年)

民族と民族の間で翻弄

地域へ帰ることが難しい理由は、イラク国内の特殊な事情とも関係している。イラクは連邦制で、首都バグダッドにあるイラク中央政府と、クルド人を中心にした北部のクルド人自治区がある。自治・独立の在り方、境界線などをめぐって、両者はやや緊張関係にある。

司法制度に関してもいびつな状況にある。数年前のIS掃討作戦で、クルドの治安部隊に拘束され、クルドの刑務所に収監されたISの戦闘員も多い。彼らはクルド人自治区で服役することになる。

しかし刑期を終えてイラク中央政府の管轄下にある家に戻ろうとすると、中央政府側の法律が適用され、中央政府側でも刑期を科されるという事態が起きている。クルド人自治区での懲役期間は算入されないので、一から刑期を務めなければならない。

このような元囚人たちが向かう場所の1つが「ハサンシャム避難民キャンプ」である。クルド人自治区にある北部の町アルビルと、中央政府管轄下の都市モスルの間にある緩衝地帯に位置する。クルド人自治区での滞在資格がなく、また中央政府管轄地域で再び刑を科されるのを避けようとする人々が集まっているのだ。

元囚人だけでなく、親戚にISメンバーがいたという女性や子供たちも、地域住民からの報復を恐れて暮らしており、他の避難民も合わせて全体で1万2000人に上る。

罪を償うために適切な刑期が科される必要はあるものの、イラク国内でも改善の余地があると議論されている法律の在り方が原因で、先に進めない人々がいる。ISとの戦争終結から7年がたち、イラク政府は復興に向けて、全国の避難民キャンプを既に閉鎖、あるいは閉鎖する方向で動いている。

さらに問題は隣国シリアとも関連している。シリア北東部のクルド人支配地域に、約1万人のIS関係者が拘束されているのだ。うち3000人がイラク人である。

ISが支配していた当時は、戦闘員や支配下の人たちはイラクとシリアの国境を自由に行き来していた。19年にシリアで最後のISの拠点とされたバグズが陥落し、イラクから来た戦闘員や支配下の人々はシリアの治安機関に拘束された。女性や子供たちは、シリア北東部のアルホル難民キャンプとロジ難民キャンプへ、男性は刑務所や収容所へと送られた。

シリア北東部は首都ダマスカスにある政府ではなく、クルド人勢力が実効支配している(イラクのような公式な自治政府ではない)。協力関係にある米軍の支援も受け、刑務所を運営している。刑務所を訪れたことがあるイラク人の報道関係者によると、「イラクの刑務所が5つ星ホテルに見えるほど、シリア北東部の刑務所は悲惨だ」という。

別のシリア人報道関係者は、外国籍のIS関係者の問題についてこう指摘した。

「イラク人などの外国人はシリアに滞在する資格がないため、刑期を終えてもシリア人と違って釈放することができない」

釈放してしまえば彼らは不法滞在になる。本国への帰還は、相手国政府が非協力的なため進んでいない。

最大の犠牲者は子供たちだ。強制されて参加した少年兵や当時の記憶さえあまりない子供もいる。彼らも同じように少年刑務所や、キャンプに入れられる。子供に対しては脱過激化や基礎教育などもわずかながら行われている。しかし、18歳になると自動的に大人の刑務所に送られるのだ。刑務所に入ればこれまでのリハビリが生かされることはほぼない。

ISは、「カブス・オブ・ザ・カリフ」という10歳から15歳の少年兵組織をつくっていた。19年のシリア最後の拠点陥落で拘束された時には13歳ほどだった少年が5年たち、刑務所に入れられるという時期に来ている。刑務所しか生きる場所がない人たちがつくられているのだ。

ISの襲撃で破壊され、500人が死亡したハサカの刑務所(2022年1月) EPAー時事

「元イスラム国」の自国民を帰国させない国

イラク政府は21年頃から、アルホルキャンプにいる女性や子供を、過激性の低い人から順にイラクに帰還させる取り組みに力を入れている。

一方で、欧米諸国は自国民のIS関係者の帰国を長年拒否してきた。

イラクやシリアの刑務所には、アメリカ、イギリス、フランスなど50カ国以上の国籍者がいる。欧米諸国は時に、中東の刑務所事情について、人権の観点から批判をする。しかしイラク国内からは、欧米が問題を全てイラクやシリアに押し付けていると批判の声が上がっている。地元政府やNGOも問題に取り組んではいるものの、資金・経験不足などさまざまな要因で難航している。

シリアではIS残存勢力による刑務所やアルホルキャンプへの襲撃事件が絶えない。22年1月には北東部ハサカの刑務所襲撃で500人が死亡し、脱走者も出ている。今年1月末には、クルド軍らによるアルホルでの掃討作戦が行われた。

現在、イラク・シリア情勢はISの最盛期と比べればよくなったように見えるかもしれない。しかし、問題は新たな形で続いている。ISが再拡大する可能性は、常にあるのだ。


伊藤めぐみ(ジャーナリスト)

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