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テロと対立は昔の話? 北アイルランドの薄れゆく分断

ニューズウィーク日本版 2024年2月17日 11時15分

<イギリスの北アイルランドに史上初めて、アイルランド共和国との統合を望む「ナショナリスト」政権が誕生。人口でもカトリックがプロテスタントを逆転し、北アイルランドはこのままイギリス離脱・統合の道へと進むのか>

イギリスの北アイルランドが特定の目的を持って設計されたことは、外ではほとんど知られていない。ちょうど100年と少し前にアイルランド南部がイギリスからの独立を果たしたとき、イギリスは合法的に主張し得る領土を最大限確保しようとはしなかった。もしそうしていたなら、イギリス残留を望む住民が50%を少しでも超える地域を最大限手に入れようとしただろう。

歴史的な論理に基づいて境界線を引こうとしたわけでもない。もしそうだったら、北アイルランドは古代アルスター県を構成した9つの郡で成立していたことだろう。

そうする代わりにイギリスは、プロテスタントが人口の約3分の2という大多数を占めていた6郡の統治権だけを保持した。

この地域ではプロテスタント系アイルランド人が圧倒的にイギリスとの統一維持を望んでいるため、ここで線を引くのが領土合意での「将来的な保証」になるだろうというのがその論理だった。さらに、3分の2の多数派が選挙でも力を発揮し、プロテスタントの「ユニオニスト」(アイルランドとの合併に反対しイギリス連邦との統一維持を支持する層)が北アイルランド政府と機関を完全に牛耳るようになるだろう、と。ユニオニストの偉人エドワード・カーソン卿は、自らを「プロテスタント議会とプロテスタント国家」の指導者であると誇っていた。

この当初の設計には根本的な欠陥があった。現在表面化している人口動態の変化を十分に考慮していなかったことも理由の1つだ。大家族を望むカトリック系の文化的傾向が主要因となり、カトリック人口はここ数十年でじわじわと増加。最新の2021年国勢調査によれば、今やカトリック人口がプロテスタントを上回っている。

シン・フェイン党から初の首相誕生

そしてこの2月3日、北アイルランド自治政府に史上初めて「ナショナリスト」(アイルランドへの統合を望む層)の首相が誕生した。イギリスを離脱してアイルランドと統合することを最も強く目指すシン・フェイン党のミシェル・オニールだ。

だが、北アイルランドを永遠に英領に留めるという当初の計画が見た目ほど単純でなかったように、「カトリックが多数派」+「ナショナリスト政権」=統合、を意味するという単純な話にはならない。統合の方向に向かっているのかもしれないが、差し迫っているわけでも不可避の状況でもない。

北アイルランド政治は控えめに言っても複雑だ。国勢調査の統計ですら単純ではない。カトリック系もしくはプロテスタント系出身者でも調査では「無宗教」を選択することができる(約20%が無宗教もしくは無回答を選んでいる)。あるいはポーランドやバルト諸国からの移民たちは自らをカトリックと言明しているかもしれないが、彼らにたとえ選挙権があったとしても、アイルランドのナショナリストに心から共感しているとは言い難い。もちろん、選挙権を有し、国勢調査では政治的志向が全く読み取れないような、さまざまなルーツや宗教を持つその他の移民も大勢いる。

興味深いのは、プロテスタントとカトリックという従来型の「2つのコミュニティー」出身の若者たちの態度だ。歴史的には分断は明確だったが、1988年の包括和平合意以後の「和平プロセス」が均衡を変えた。2つのコミュニティーの「戦争状態」は薄まり、既に新たな世代が育っている。

北アイルランドのカトリックは、もはや 「プロテスタント国家」 時代のような差別を受けていない。警察組織の構成はより多様化し、カトリックの雇用状況も改善され、今回のシン・フェイン政権誕生前ですら「権力分担」が政治の大原則だった。

言い換えるなら北アイルランドのカトリックは、イギリスの国民保健サービス(NHS)を利用でき、独自の協定でEUとも英本土とも自由貿易ができるなど、「イギリス国内でアイルランド人であること」のメリットも自由にてんびんにかけられる。また北アイルランドは英政府から多額の補助金を受けているが、アイルランドと統合すればこの状況も終わる。

統合すれば事実上の「ブレグジット破棄」

一方で若いプロテスタントは、彼らの文化的アイデンティティーが尊重され、北アイルランドが引き続き特別な地位を保てるのなら、アイルランド共和国との統合の交渉も喜んで検討するかもしれない。重要なことに、アイルランドとの統合は事実上の「ブレグジット破棄」を意味し、移動の自由のような若者たちが重視する権利を取り戻すことにもなる。

今となってはカトリックとナショナリストがどの程度イコールなのか、プロテスタントがすなわちユニオニストを意味するのか、断定することすら難しい。大勢が一方から他方に流れたというわけではないかもしれないが、これまでの断固とした対立姿勢から、耳を傾け考え直してみようという態度に変わりつつあるのかもしれない。両者の分断が今後どれほど流動的になり、どちらの利益になっていくのか、今はまだ見えない。



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