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ロシア反政府活動家ナワリヌイ氏「獄死」...大統領選を前にプーチンは怯えている 「これは強さではなく弱さ」

ニューズウィーク日本版 2024年2月17日 12時7分

<アレクセイ・ナワリヌイ氏は摂氏マイナス30度にもなる北極圏の刑務所に収監されており、2月15日にはビデオ審問に参加していた>

[ロンドン発]ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を厳しく批判し、昨年12月に北極圏ヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所に移された反政府活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏(47)が2月16日獄死した。ロシア国営タス通信は「死因は調査中」(ヤマロ・ネネツ自治管区刑務局)と伝えた。西側やウクライナ首脳からプーチン体制を非難する声が相次いだ。

タス通信によると、ナワリヌイ氏はこの日刑務所で散歩した後、気分が悪くなり、すぐに気を失った。医務班が駆け付け、救急車が呼ばれた。必要な蘇生処置が施されたが、ナワリヌイ氏は回復せず、救急隊員は死亡を宣告した。ナワリヌイ氏は2月13、15日、ウラジーミル地裁による控訴状のビデオ審問に参加しており、体調は極めて良好だった。

露中南部チェリャビンスクに滞在中のプーチンはモスクワのドミトリー・ペスコフ大統領報道官から報告を受けた。ナワリヌイ氏は詐欺罪で2度の執行猶予判決を受け、何度も猶予の条件に反したとして2021年実刑に切り替えられた。22年法廷侮辱罪と選挙運動資金に関する罪で有罪となり、23年には過激派団体を結成した罪で懲役19年が言い渡された。

ベラルーシの反政府系メディア「Nexta(ネクスタ)」はナワリヌイ氏が生前に残した遺言となる動画を配信した。ナワリヌイ氏は「絶対にあきらめてはいけない。もし彼らが私を殺したとしたら、それは私たちがとてつもなく強いことを証明している。この力を利用しなければならない。あきらめて何もしなければ悪が栄えるだけだ」と訴えた。

「プーチンがナワリヌイ氏を暗殺したのは間違いない」

カマラ・ハリス米副大統領やアントニー・ブリンケン国務長官が欧州の同盟国を守る米国の決意を改めて表明したミュンヘン安全保障会議で、ナワリヌイ氏の妻ユリアさんは「夫の死が本当ならプーチンと側近、友人、プーチン政権には彼らが祖国と私たちの家族、夫にしたことの責任を取るべきだ。その日はすぐにやってくる」と話した。

英紙フィナンシャル・タイムズのモスクワ支局長マックス・セドン氏はX(旧ツイッター)に「ナワリヌイ氏の生存が最後に確認されたのは15日のビデオ法廷審問。彼は元気そうに見えたが、やせ細った容貌は過酷な環境での健康状態の悪化がいかに常態化していたかを物語る」と投稿した。極寒の刑務所は摂氏マイナス30度と言われる。

ロシア当局の関与が疑われる2億3000万ドルの横領事件を告発し、約1年拘留された挙げ句、09年に獄死したセルゲイ・マグニツキー弁護士に調査を依頼していたビル・ブラウダー氏はXで「プーチンがナワリヌイ氏を暗殺したのは間違いない。それは彼が勇敢にもプーチンに立ち向かったからだ」と断言した。

「ナワリヌイ氏はロシア国民にクレプトクラシー(盗賊政治)と抑圧に代わる選択肢を提供した。だから殺された。彼の死はナワリヌイ氏の家族にとってもロシアにとっても悲劇だ。ロシア当局によるマグニツキー氏の死と同じ完全な隠蔽工作が行われるだろう。彼らが使う言葉は想像がつく。自然死、暴力の兆候なし、予期せぬ死などだ」(ブラウダー氏)

「ナワリヌイ氏の死はプーチンの首に一生かけられる」

『プーチンの戦争:チェチェンからウクライナまで』の著者でシンクタンク、英国王立防衛安全保障研究所(RUSI)のマーク・ガレオッティ上級研究員は英紙タイムズのタイムズ・ラジオに出演し「ロシア国内でもプーチンがナワリヌイ氏を直接的あるいは間接的に殺したと考えない人はまずいないだろう。それはプーチンの首に一生かけられる」と語っている。

「ナワリヌイ氏が重要な人物であった理由は2つある。彼が通常の野党の枠組みを超えて手をつなぐ並外れた能力を持っていたことだ。プーチンにとって彼を本当に危険な存在にしたのは生活費を稼げず不満を抱えている工場労働者であろうと、リベラルな中産階級の知識人であろうとプーチン体制に辟易している世論をまとめ上げるカリスマ性や組織力だ」

「もう1点はナワリヌイ氏がロシアに戻ってきたことだ。20年にプーチンの工作員に神経剤ノビチョクを盛られたナワリヌイ氏はドイツで治療を受け、そのままそこに留まることもできた。居心地のいい西側に亡命してロシアで起こっていることについて不平を言うこともできただろう。しかし彼はロシアでのゲームに参加し続けるため舞い戻った」

「独房生活や不眠で崖っぷちに追い込まれたナワリヌイ氏はそれに耐える体力を失っていたのかもしれない。この死が彼を殉教者にし、人々を街頭へと向かわせるのかどうか、この段階で判断するのは難しい。非常に残忍な現体制の体質を考えるとおそらく大規模な抗議デモは起きないだろう」とガレオッティ氏は言う。

繰り返されてきた「邪魔者は殺せ」の歴史

調査報道ジャーナリストで政治家のナワリヌイ氏は反プーチンの急先鋒として活動した。11年に設立した反腐敗財団はロシア政治エリートの保有資産を明らかにする動画を数十本作成し、ユーチューブで何百万回も再生された。これまでプーチンを批判した反体制派の活動家やジャーナリスト、実業家、元ロシアの情報機関員はことごとく暗殺されている。

1998年10月、FSB長官だったプーチンはアルファ部隊とヴィンペル部隊を1つにした特務センターを設立。
2002年3月、チェチェン独立派の指揮官アミール・ハッターブを神経剤が塗られた手紙で毒殺。FSBの犯行とされる。
03年7月、ロシア政府の腐敗と組織犯罪を批判していた調査報道ジャーナリスト、ユーリ・シェコチーヒン氏が不審死を遂げる。
04年2月、チェチェン独立派の最高指導者ゼリムハン・ヤンダルビエフをドーハで爆殺。カタール当局は3人を逮捕。このうちロシア大使館員1人は外交特権で釈放され、GRUの工作員2人が起訴される。
04年9月、ウクライナのヴィクトル・ユシチェンコ大統領候補に猛毒のダイオキシンが盛られる。美男子のユシチェンコ氏はアバタだらけの顔に。
05年3月、FSB特殊部隊がチェチェン独立派の最高指導者アスラン・マスハドフを殺害。
06年6月、FSBがチェチェン独立派の最高指導者アブドゥル=ハリーム・サドゥラエフを殺害。
06年10月、第二次チェチェン戦争を報道したロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤさんがモスクワの自宅アパートのエレベーター内で射殺される。04年9月のベスラン学校占拠事件の現場に向かう際も機内で毒を盛られ、意識を失う。
06年11月、元FSB幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウム210で毒殺される。英政府はKGB元職員のロシア人実行犯2人の引き渡しを求めるもプーチンは応じず。英公聴会の報告書は「おそらくプーチンやニコライ・パトルシェフFSB長官(当時)は承認していた」と結論付ける。
08年9月、ウィーンでカザフスタン国家保安委員会(秘密警察)元議長アルヌール・ムサエフ氏がロシア語を話す4人組に誘拐されそうになる。
09年1月、チェチェン共和国首長ラムザン・カディロフのボディガード、ウマル・イスライロフがウィーンで暗殺される。
09年3月、ドバイで元GRU特殊任務部隊司令官スリム・ヤマダエフが射殺される。
12年11月、ロシアの内部告発者アレクサンドル・ペレピリチニー氏がロンドンでジョギング中に不審死。米英の情報機関は暗殺とみているとバズフィードがスクープ。
15年2月、反政府運動を展開していたボリス・ネムツォフ元ロシア第一副首相がモスクワで射殺される。
15年5月と17年2月、ロシア野党政治家ウラジーミル・カラ=ムルザ氏が2度にわたって毒を盛られる。カラ=ムルザ氏は23年4月、国家反逆罪などで禁固25年の刑を受ける。
18年3月、英イングランド南西部ソールズベリーで元二重スパイのセルゲイ・スクリパリ氏と娘ユリアさんをノビチョクで毒殺未遂。警官と市民計3人が巻き添えになり、うち女性1人が死亡。
18年9月、ロシアのフェミニスト・パンク・ロック集団プッシー・ライオットの非公式報道担当者ピョートル・ヴェルジロフ氏がモスクワで毒を盛られる。
20年8月、 空路モスクワに向かうナワリヌイ氏がノビチョクを盛られる。
23年8月、反乱を起こした「プーチンの料理番」こと露民間軍事会社ワグネルグループ創設者エフゲニー・プリゴジンを乗せた民間航空機が墜落。乗客7人乗員3人が全員死亡。

前出のガレオッティ氏は「誰でも殺せるのは強さではない。彼はプリゴジンを、今度は獄中のナワリヌイ氏を殺さなければならないほど恐れていた。これは強さではなく弱さだ。全体主義への道であるだけでなく、老いたプーチンが、彼が見せかけたいほど自信を持っていないという兆候でもある」と指摘している。


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