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24時間戦っていた電通マンが明かす「接待の実態」「浪費生活の末の窮地」

ニューズウィーク日本版 2024年2月18日 17時35分

<『電通マンぼろぼろ日記』の予想を超えた悲しい結末>

身内に元電通マンがいた。いちばん下の弟だということもあって上のきょうだいからは半人前扱いされていたし、子供だった私からもお調子者に見えた。ただ、自らのコンプレックスを覆い隠そうとするかのような不器用さにはどこか憎めないものがあり、私は叔父にあたるその人が決して嫌いではなかった。

なぜそんなことを書き始めたかというと、『電通マンぼろぼろ日記』(福永耕太郎・著、三五館シンシャ)に登場する人々(著者を含む)の姿には、叔父に共通する部分が少なくなかったからだ。

 私は日本経済がバブルの絶頂にのぼり詰めようとする時代に電通に入社し、営業局に配属された。それ以来、営業畑を歩み、大手電機メーカーを皮切りに、外資系の飲料メーカー、アメリカの映画会社、衛星放送局、通販会社、損保会社などのクライアントを担当した。(4ページより)

当時の著者は、あのころ流行していたCMのように、24時間戦っていたのだそうだ。「毎日、明け方にタクシーで帰宅し、短い睡眠をとったあと、シャワーを浴び、コーヒー1杯だけで会社に向かう」ような毎日を送っていたというのは、きっと事実なのだろう。

 当時の私は超多忙な日々にある種の高揚感を覚えていた。寝ないで働いてようやく一人前と思っていたし、それが充実感だと思うくらいには若かった。(18ページより)

私も同じ頃、広告代理店の社員だった。もちろん電通とは及びもつかない零細企業だったが、それでもこの感覚はなんとなく分かる。やはり仕事に追われまくっていたのだけれど、確かにそれが充実感につながっていたからである。私のような人間でさえそう感じていたのだから、電通の最前線で生きていた人ならなおさらだろう。

「子供が3人生まれても、浪費が止まらなかった」

しかも、著者は営業マンなのだ。当然ながら接待も重要な仕事であり、本書にはそこに至るプロセスも克明に描かれている。

 大手電機メーカー・F社の宣伝部長・松木氏は大のゴルフ好きだった。デスクの上にはつねに数冊のゴルフ雑誌が積んであり、暇さえあれば、机の脇に立って、体を捻ってシャドウスイングを欠かさない。 この松木部長、何かというとわが社の営業部長を呼び出し、こう言う。「来週さぁ、行こうよ」 つまり、「ゴルフの接待をしてよ」ということで、その裏には「断れば、例の案件は飲めないぞ」という意味が隠されている。「じつは、来月の展示会のブースだけどさ、あれトラス(柱の構材)はうちの自前じゃん。それなのに立て付けと解体のコストが高すぎるって、購買部から言われていて、下手したら稟議が通らないかもねぇ」 脅し文句も忘れない。 営業部長も当然、松木部長の要請に応えようとする。さもないと"扱い"が飛んでしまうかもしれないからだ。(25〜26ページより)

昔も今も広告宣伝担当の役員や宣伝部の部長クラスには、少なくとも月に1回のゴルフ接待(たいていはハイヤーでの送り迎えとお土産つき)が行われているそうだ。

それはともかく結婚して2年後に長男を授かった著者は30歳をすぎた頃、35年のローンを組んで都心近くに新築マンションを購入する。ローンの支払いには余裕があり、電通の給料であれば、ローンも計画を前倒しして返済できる状況だったようだ。やはり電通に勤めれば、お金の心配をする必要はなさそうである。

 だが、私は電通マンとしての遊興に慣れすぎてしまっていた。 会社の交際費を使った飲み食いだけにとどまらず、同僚や知人・友人との飲食のため、クレジットカードを何枚も作り、時に消費者金融から借りてまで、カネを注ぎ込んだ。 3年ずつの間隔を空けて次男と三男が生まれ、家族は5人になった。それでも毎夜の浪費は止まらなかった。40代になったころ、カードローンは自転車操業状態になった。ボーナス時に借金の全額をいったん返済し、その翌日にそれ以上のカネを再び借りたことも一度や二度ではない。(129〜130ページより)

読み終えた後、叔父のことを思い出すことになった

『闇金ウシジマくん』に登場する「カウカウファイナンス」を思い出さずにいられないが、これは著者に限ったエピソードではないようにも思える。つまり、電通の環境がもたらした弊害だったのではないかと感じずにはいられないのだ。

そして、そういった無責任な推測を裏づけるかのように、著者は最終的に窮地に立たされる。詳しい記述は控えておくが、結末は予想を超えたものであると同時に、「電通マンなら十分にあり得る話かもしれないな」と思えるものでもあった。

それはあまりに悲しくもあるのだが、だからこそ私は本書を読み終えた後、冒頭で触れた叔父のことをまた思い出すことにもなったのだった。

著者と同じ体験をしたという意味ではないが、叔父の結末もまた悲しいものだったからだ。周囲から軽く扱われていたことを気に病んでいたに違いない彼は、最終的に病に倒れ、自らの死を誰にも告げないようにと家族に言い残してから世を去ったのである(ちなみにそれは叔父の話であり、もちろん著者は健在)。そのため私も、ずいぶんあとになってからそのことを知った。

果たして彼もまた、華やかに見える電通マンだったからこそ多くの誤解を抱えたまま逝ったのだろうか? それは考えすぎだろうか?

真実は分からないが、できればもっと、仕事についていろいろな話を聞いておきたかったなと、今でも感じることがある。

『電通マンぼろぼろ日記』
 福永耕太郎 著
 三五館シンシャ

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[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。



印南敦史(作家、書評家)

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