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【追悼】ナワリヌイ、株式投資をきっかけにプーチンの政敵となった愛国者...極右デモ参加の過去も

ニューズウィーク日本版 2024年2月19日 11時58分

<2月16日、刑務所で不審な死を遂げた。享年47。驚くほど勇敢なプーチンの最大の政敵だったが、前世代のロシア人リベラル派とは違いもあった>

報道によれば、ロシアの反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイが2月16日、北極圏にあるロシア北部の刑務所で死亡した。

ナワリヌイは政治的動機によるものとみられる裁判で禁錮19年の実刑判決を受けていた。47歳だった。

ヤマロ・ネネツ自治管区の刑務所当局は短い声明の中で、散歩の後に気分が悪くなり、すぐに意識を失ったと述べた。この時点で死因は明らかにされなかった。

ナワリヌイは1976年、モスクワ郊外の小さな町で生まれた。母親はエコノミスト、父親は赤軍の将校だった。

旧ソ連崩壊直後の93年に高校を卒業。モスクワのロシア民族友好大学で法律を学んだ後、2001年に金融学の修士課程を修了した。

ロシアでは90年代の混乱期を経て、00年代の急激な経済成長で数百万人が中産階級の仲間入りを果たし、プーチン新大統領の人気は確固たるものになった。

ナワリヌイは以前から政治に関心を持っていたが、プーチン最大の政敵となる最初のきっかけは株式投資だった。

彼は国内最大手の銀行やエネルギー企業に投資したが、配当が出なかったため、何かがおかしいと気付き始めたと、09年にロシア紙コメルサントに語っている。

ナワリヌイは少数株主の立場を利用して大企業の腐敗を調査・暴露した。

汚職との闘いはロシア人が階級やイデオロギーを超えて団結できる運動の結節点だ。若くエネルギッシュなナワリヌイはすぐに反体制派として頭角を現した。

彼は抗議行動に大衆を動員する能力が抜群の政治戦略家だった。

11年には、反腐敗財団を創設。同財団は21年にロシア当局に解散させられるまで、調査活動の拠点となった。

17年春、財団は当時のメドベージェフ首相の不正蓄財に関する調査ビデオを公開。何万人もの若者が街頭に繰り出した。

抗議デモはプーチン支持派の牙城とされてきたロシア中央部を含む全国200カ所近くに広がった。

前の世代のロシア人リベラル派は欧米と新自由主義を信奉していたが、ナワリヌイは熱烈な愛国者であり、ロシアの黒パンが恋しくなるから亡命はできないと語ったことがあると、マイケル・マクフォール元駐ロシア米大使は言う。

その愛国心が有害なナショナリズムに転化していたかどうかについては、議論の対象となってきた。

ナワリヌイは07年、極右や超国家主義グループのデモ「ロシア行進」に参加。リベラル派政党ヤブロコから追放されている。

政治団体「国家ロシア自由運動」を一時的に立ち上げた時期には、YouTubeに公開した動画でイスラム過激派をゴキブリにたとえ、移民労働者の強制送還を呼びかけ、ロシアにおけるロシア系住民の権利を守ると宣言した。

はっきり言えるのは、ナワリヌイは驚くほど勇敢だったということだ。

ロシアのジャーナリストや反体制派にとって、死は抽象的な概念ではない。

冷戦後だけで数十~数百人が暗殺されている。本人も20年、致死性の神経剤ノビチョクで毒殺されかけた。

アカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した『ナワリヌイ』のダニエル・ロアー監督は映画の最後で、もしあなたが殺されるとしたらロシア国民にどんなメッセージを残すかと尋ねた。

ナワリヌイは不敵な笑みを浮かべて言った。

「悪の勝利に必要なのは、善人が何もしないこと。だから活動を止めてはならない」

From Foreign Policy Magazine

アカデミー長編ドキュメンタリー賞『ナワリヌイ』

    

エイミー・マッキノン(フォーリン・ポリシー誌記者)

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