Infoseek 楽天

むしろアイルランド共和国側が統合を拒否する日......日本人の知らない北アイルランドの真実(その2)

ニューズウィーク日本版 2024年3月1日 18時28分

<保守的で貧しい遅れた国から経済強国へと、ここ数十年で大きく変化したアイルランド共和国には、今さら北アイルランドを統合するメリットはないかも>

イギリスの北アイルランドについて、前回の記事に続き、もう1つ独立したテーマで書きたい。それは、アイルランド共和国も劇的に変わったという点だ。

僕の少年時代、アイルランド共和国(僕の祖先の地だ)は貧しく、失業率は高く、国を後にする若者の割合も高かった(移住先は主にアメリカだが、イギリスやオーストラリアも)。また、他に適当な言い方が見つからないが、いわゆる「遅れた」地域だった。避妊具も手に入りづらく、1985年までは既婚者が家族計画に基づいて処方された場合にしか入手できなかった(むしろ避妊具が最も必要な人は誰かというポイントを外している)。

離婚も違法だった(1996年まで憲法により禁止されていた)。単に政府が根深く保守的だっただけでなく、国民が根っから保守的だったのだ。1986年の国民投票では、有権者のほぼ3分の2が離婚を認める憲法改正案に反対票を投じた。

一般論にしてしまうのは問題かもしれないが、アイルランド共和国はカトリック教会にとらわれた国家だった(カトリック教会は避妊と離婚に強く反対していた)。1979年のローマ法王(教皇)ヨハネ・パウロ2世のアイルランド訪問は、国を挙げての大イベントだった。

僕は当時のことをよく覚えている。法王が僕の家族の出身地であるメイヨー州を訪問し、初めてこの地についていろいろな話を聞かされたからだ。たとえば、1879年に聖母マリアが同地の小さな町ノックに降臨したのでこの町が聖地巡礼の中心地になった、とか。それから100周年だったので、法王訪問は絶好の機会だった。

空港建設地を決めた驚愕の理由

法王訪問から数年後の1985年、この地域の主要空港がノックに建設された一番の理由はそこが聖地だからだ、と聞いて僕は驚愕した。巡礼者がローマから飛んで来られるように、というわけだ。

カトリック教徒として育った僕でさえ、空港の建設地が聖なるものの出現「らしきもの」を基に決められるというのには違和感を覚えた。しかも空港に適した土地でもなかった(沼地だし、霧が深く、丘陵地帯だ)。

今のアイルランドは全く違う。経済は非常に力強く、何世紀も続いた国民の国外流出は、純移民増で逆転した。今日の若者はキャリアと経済的豊かさを求めて国を出る必要はない。カトリック教会の権力は、後戻りできないほどに縮小した。

小児性愛者の司祭によるスキャンダルや、各地に存在したマグダレン洗濯所(そこに収容された未婚の母から生まれた女の子らは連れ去られて事実上「売り渡され」、収容女性たちは奴隷労働をさせられていた)などでの長年にわたる虐待事件が発覚したことが主な原因だ。

注目すべきは、こういった状況が、北アイルランドの人々にとっての「統合」の意味を大きく変えるという点だ。さまざまな重要な点で、北アイルランドとアイルランド共和国の人々の権利や文化的価値観が、より緊密に一致するようになっている。ごく単純に見ても、北アイルランドのプロテスタントが、貧しくてカトリック教会の支配するアイルランド共和国の社会に押し込まれる、などという事態は起こらない。

だが、以前の記事でも述べたが、こういった現状は必ずしも、アイルランド統合に向けた動きを意味することにはならない。その理由の1つは、奇妙なことだが、北アイルランドの伝統的プロテスタントたちから、現在のアイルランド共和国が、怪しいほどにリベラルだと思われていることだ(例えば同性愛者の権利擁護などの点で)。一方でアイルランド共和国の人々は、建前上は大多数が統合を望んでいるものの、統合に伴う財政的負担について問われると、かなり及び腰になる。

現在、イギリスは北アイルランドに多額の補助金を拠出している。これは、イギリス全体の経済規模が大きいからできることだ。大雑把に言えば、6500万人の英本土の人々が北アイルランドの200万人のために少し余分に支出するのは大した負担ではない。

統合は双方の合意によってのみ成立するが

対するアイルランド共和国は、1人当たりGDPはイギリスより大きいものの、人口はたったの500万だ。だから北アイルランドを吸収することは、かつてドイツ統一によって旧西ドイツの市民が長期的な負担をこうむったのに匹敵するくらいの、大変なコストになるだろう。

1998年の包括的和平合意によれば、再統合は北アイルランドとアイルランド共和国双方の有権者が合意した場合にのみ可能になる。両者の思惑が一致する必要があるのだ。

かつては考えられなかったことだが、今となってはいつの日か、北アイルランドの人々が投票で統合を選んだのに、アイルランド共和国の人々が統合反対を選ぶ、という事態もあり得ない話ではない。



この記事の関連ニュース