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「走る哲学者」為末大が、競技人生を通してたどり着いた「熟達」にいたる「学びのプロセス」とは

ニューズウィーク日本版 2024年3月14日 6時48分

<学びを極めようとすることで、人はもっと自由になれる...。一生学ぶ時代だからこそ、為末大が重視する「遊」から始める学習>

為末大さんは、陸上男子400メートルハードルの日本記録保持者(2024年1月現在)。3回のオリンピック出場をはじめとして、数々の大会で活躍してきました。さまざまな言説から「走る哲学者」とも呼ばれ、アスリート生活を終えてからも多彩なフィールドで活動されてきました。

『熟達論』では、陸上競技を極めた為末さんが、自身の競技人生を振り返りながら「熟達のプロセス」をまとめています。人の学びのプロセスはこうして起こるのではないかという提示は、ジャンルを問わず、何かを身につけようとするすべての人の興味をそそる内容です。

今回は、為末さんに、熟達のプロセスの成り立ちや、競技人生を通しての気づき、熟達を追い求めるからこその楽しさについてお聞きしました。(※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です)

競技人生を通して考えた「熟達」のプロセス

──まずは、本書を書かれたきっかけを教えていただけますか。

為末大(以下、為末) 自分の競技でやってきたことをまとめてみたいというのが一つの思いとしてありました。学ぶことや、人間がどう世界を認識するかに興味があったので、人間が学習するプロセスを『熟達論』としてまとめました。

『熟達論』
 著者:為末大
 出版社:新潮社
 要約を読む

──『熟達論』では、熟達のプロセスを、遊びを楽しむ「遊(ゆう)」、基本を身につける「型(かた)」、型を深く観察する「観(かん)」、型の要を捉える「心(しん)」、無我の境地「空(くう)」の5段階にまとめていらっしゃいましたね。この5段階はどのように作られたのでしょうか。

為末 最初に決めたのは一番最後の「空」と、一番最初の「遊」です。遊びから入って遊びに還っていくという循環構造が、人間が何かを探究するプロセスになるのではないかと感じていました。この2つをつなぐものを考えたときに、「型」は必要になるし、技が極まっていったときの中心の感覚である「心」も入るだろうと。では「型」と「心」の間にあるものはなんだろうと考えて、最後に「観」を決めました。

──最初が「遊」で最後が「空」と決まっていたというのは面白いですね。何かを学ぼうとすると、まず「型」を意識してしまいそうですが、最初に「遊」を置こうと思ったことには、何かきっかけがあったのでしょうか。

為末 25年間競技をやってきたなかで、同世代の選手でどういう人が生き残ってどういう人が辞めていくかを見ることになったんですよね。たとえば強豪校の選手がぷつっと引退しちゃったり、「陸上なんて別にどうでもいい」と言っていた人が長く続けていたり。

それがどうしてなのかを自分なりに考えてみると、どうも自分で何かを探索している、自己探索の感覚がある人が残っていくように思ったんです。競技人生も最後のほうになると、タイムがほとんど変わらなくなってきます。そのときに、ちょっとしたことがわかっていく喜びがよりどころになった人が、選手を続けていく。自己探索の感覚が残るのは、やっぱり最初の頃に「遊」があった人なんですね。

同じ10万回練習するのでも、単純な繰り返しになってしまうと普通は耐えられない。一回一回が小さな探索の積み重ねになっている人との差は大きいと思います。

もう一つ、「遊」が重要なのは、自分の想像の範囲を超えていけるということです。練習では自分で目標を立てて実行していきますよね。自分で考える範囲で目標を立てていると、自分の想像の範囲を出られないというループに入っていってしまいがちなんです。自分でも想像しないような動きを引き出そうと思ったら、サプライズ的な要素、つまり普段のパターンを崩すことが重要になってきます。ふとしたときに普段と違うことを組み込んでしまえる感覚がある人は、伸び止まりが小さかったように思います。こうした不規則さや面白さから始まる感覚を、「遊」に含めました。

──長年競技をやっていらしたからこそ、長く続けるにはどうしたらいいかが念頭にあったんですね。たとえば、自分が何かを学ぶときや、誰かに教えようとするとき、意識的に「遊」を高めることは難しいように思うのですが、どのようなアプローチが考えられるでしょうか。

為末 一つは、アフォーダンスを意識することでしょうか。私は、「遊」を「環境に対して自分自身を適合させるためにあれこれ試すこと」としてとらえています。つまり完全に自発的に取り組むのではなくて、外部環境に影響されて探索しにいっているところがあると思うんです。

「型」は人の内部に手を突っ込んで、「こういう形なんです」とコントロールする感じがあるんですが、「遊」では周辺の環境からその人の動きを促していきます。教える側だとしたら、本人たちがついやりたくなるような外部環境の設計をどうするかを考えるとこなのかなと。

一般的にはスポーツのトレーニングのメインは「型」以降の指導なので、私が指導の現場に立ったときはあえてそこは扱わずに、子どもたちが面白がってやるにはどんな設計がいいかを考えるようなアプローチが多いです。

──指導者にとっては「型」が大切だということが自明でも、初心者にとってはそれが理解できないということも起こりそうですね。

為末 陸上の世界でいうと、大学生くらいまでの競技者は「型」から入ったほうが成長が早いように見えます。でも「型」から入った人は探索行為が少ないんですよね。言われた通り、マニュアル通りにやろうとするから、安定はしているんだけど、そこからはみ出ることはできない。だから、その後の伸びを考えると、「型」の前に「遊」を置いて、自由な探索の余地を残しておいたほうがよいと思います。

人間が自由であるということは、やめる自由もあるということ。だからもっとも貴重なリソースはモチベーション、続けたいという気持ちなんですよね。悩んだときには、原点を振り返りたくなる。そのとき、役に立つわけじゃないけど楽しくて始めた、という物語が自分の中に残っていると、立ち止まりにくくなると感じます。

「空」の世界に触れて思ったことは、「体は賢い」

──次に「空」についてお聞きしたいと思います。2001年世界陸上エドモントン大会で「空」を意識したことについて語られていましたが、この体験についてもう少し詳しくお聞きできますか。

為末 私は考えるのが好きなアスリートだったので、自分の体をどうやったらうまく扱えるかをずっと考えてきたんですね。でもいざ本当に重要な勝負になったとき、むしろ何も考えないほうがうまくいった感じがしたんです。

体験としては時間感覚が少しおかしくなって、あっという間に終わった気もするし、ハードルを跳ぶのがコマ送りのように感じられた気もする。観客の音が小さくなって足音が大きくなって、トンネルの中を走っているような、そういう感覚が残っていました。大げさに言うと「俺が走ったの?」という感覚に近い。あとはよろしくねって体に預けちゃったら、体がつい反応して走ってしまったというような。

──不思議な体験ですね。その体験の後に、競技に対するアプローチやトレーニングに変化はありましたか?

為末 「体は賢い」という気づきですね。それまでは頭が賢くて、体は道具だと思っていたんですけど、実は体が賢くて、頭は勝負するときには邪魔になるのではないかと思うようになりました。

考えてみると、体のパーツはあまりにも複雑で微細なので、頭ですべてをコントロールすることなんてできないわけですよね。ある部位を動かそうとしても、実際にはかなり漠然とした指令しか与えられていなくて、体が勝手に調整して細かく動いている。だから、そこに頭が指令を入れようとすると、ノイズになってしまうのかもしれません。

もちろん、トレーニングでは頭で考えていいんですけど、本番ではむしろその制御を外して、ただただ体が周辺環境と合わさっていくのに任せたほうがうまくいくんじゃないかと思います。

──本番で走るときに、どれくらい体に任せようとしているのでしょうか。

為末 コントロールができないロボット選手権みたいなイメージです。日常の練習ではロボットに「こういう状況でこうやって動くんだよ」とプログラミングしていって、当日そこにロボットを置いた後は、環境に合わせて勝手に動くのに任せると。そこでエラーが起きたとしたら、それは当日の問題ではなく、事前のシミュレーションの問題という考え方をします。

当日に手足をどう動かすかみたいな具体的なことを考えると、混乱が強くなって、エラーが出る感じがするんですよね。それよりも「今日は、前半をキレよくいこう」くらいの抽象度で考えるほうがうまくいきます。

陸上は屋外でやる競技なので、前から風を受けると歩幅が3センチくらい縮んでしまって、ハードルを跳ぶ際のズレがだんだん大きくなったりするんです。だから、周辺環境に自分を合わせながら微調整をしなければいけないんですが、頭を使ってコントロールするのではなく、体が勝手に感じて調整していくという状態が理想ですね。

もちろん、最初から体に任せたらうまくいく訳ではありません。体が微調整してくれるようになるまでの鍛錬は、熟達の段階の中にあります。

──頭が認識できていない情報や言語化できていない情報も体はキャッチしていて、それまで鍛錬してきた自分の体が調整してくれるということですね。

為末 競技人生の最後のほうになると、自分が自分の体をどうやって調整しているのか、すべてはわからないんじゃないかと思うようになりました。全身で感じている風の強さとか、地面を踏んだときの筋肉の反応が普段と比べてどうかとか、体が複雑な情報を統合して微調整しているんだと思うんですよね。そんな量の情報を、自分で認識して思考して意思決定できるはずがない。体のそれぞれの部分が自律分散的に環境に対処していて、なぜかわからないけど全体でうまくいっている。局所的な情報しか認識できていない脳がそこに中途半端に介入すると、うまくいかなくなるということなのではないかと思います。

学びを楽しむことで、人は幸せに生きていける

為末 『熟達論』を書くときに、最初に編集者の方から「熟達って何のためにやるんですか」と聞かれたんです。私はその答えを、本の中で「自我からの解放」と書きました。振り返ってみると、自分自身の競技人生は、解放への道だったなと思ったんです。

体を型にはめていくというと、不自由になる感じがするじゃないですか。陸上の世界なら、わざわざレーンの上を走って、ハードルという決まった形の障害を跳べるようにしないといけない。でもだんだん体がそれに慣れていくと、最終的にはいろいろな概念から解き放たれて、体そのものが動いていくという世界が来る感じがします。最初はあることに特化して窮屈になる一方で、心理的にはすごく解放感を持っている。その矛盾の中で、最終的には自己が解放される感じがします。

──そうした楽しさは、ビジネスパーソンの学び直しにもつながるように感じました。熟達の考え方をビジネスシーンに応用するとしたら、どんなことが考えられるでしょうか。

為末 まずは好奇心ドリブンな、「面白いと思ってやる」という感覚ですね。ビジネスの世界では「役に立つ人になる」「役に立つことをやる」という圧力がものすごく強いので、放っておくとどんどん何かに特化されていくはずです。だからリスキリングを要求された人は、要請されて役に立つ形になったのに、「それはもう必要ないから別の形になってください」と言われたような、ある意味で裏切られた気持ちになるかもしれない。

『Unlearn(アンラーン)』
 著者:柳川範之、為末大
 出版社:日経BP
 要約を読む

これまでは世界の側にボールがあって、要請された形に自分がなっていくんだという感覚があった。でも今はボールが自分の側に回ってきて、自分から主体的に好奇心や興味に沿って「遊」を仕掛けていく、そしてその結果を社会にあてていくようになってきていると感じます。そのスタート地点としては、「型」ではなく「遊」から考えていくべきなんじゃないか。つまり、探索ありきで、必要なスキルがあればそれを求めていくというスタイルが有効なのではないかと。

今の時代に合わせてリスキリングをしても、これだけ変化のペースが速ければ、5年後にはまた学び直しが必要になる。だから常に自分は変化し続けるんだという前提に立って、学ぶ過程での「遊」における探索感が大切になると思います。

──変化し続けなければならないからこそ、自分の好奇心ありきで学ぶことが大事になりそうですね。

為末 ほとんどの人にとって「今見えている風景」というのは、実際には「何かが過ぎ去った後の風景」だと思います。それを追いかけても、たどりついた頃にはもう別の世界になっている可能性が高い。だとしたら、興味のないことに合わせ続けていくとつらくなってしまうはずです。ビジネスでは自分の興味と世の中のニーズの間を行き来する必要がありますが、日本では自分の興味をベースで動くことが弱いように感じるので、意識的にそれを肯定していっても良いのではないでしょうか。

──最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

為末 『熟達論』では、私なりの幸福論、生きがい論について書いたつもりです。私は競技人生を通じて、自分が好きでやっていることと、国の代表として世界で活躍するという社会が要請する役割との間で生きてきました。なりたい自分と世の中から要請される自分との間で悩んでいても、何かを学びながら生きていくことで人は十分幸せになれるんじゃないかというのが、『熟達論』で伝えたかったメッセージです。

内容自体はなんでもいいんです。仕事や人間関係、あるいは趣味なのかもしれない。どんなことでも、それをやること自体が面白いと感じられることに熟達していけば、きっと幸せを感じられる。そういう感覚を意識しながら生きることで、楽しく学べる人が増えてくれたらうれしく思います。

為末大(ためすえ だい)

1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2024年1月現在)。現在は執筆活動、身体に関わるプロジェクトを行うほか、アスリートとしての学びをまとめた近著『熟達論:人はいつまでも学び、成長できる』を通じて、人間の熟達について探求する。その他、主な著作は『Winning Alone』『諦める力』など。

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flier編集部

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