<従来説では、ギリシャの「大墳墓」のうち第2墳墓がアレクサンドロス大王の父フィリッポス2世の墓だった。考古学だけでは解けなかったミステリー>
分析の対象となったのは、あごの骨に数本の歯、頭蓋骨の一部に腕や足の骨、いくつかの遺物──それだけだった。だが数十年に及ぶ研究を経て、古代ギリシャのマケドニア王国のアレクサンドロス大王の父や息子の眠る墓について多くのことが分かってきたと考古学者たちは言う。
紀元前336年に即位し、同323年に死亡したアレクサンドロス大王は広範囲にわたる遠征を行い、世界史上まれに見る広大な帝国を造り上げた。その版図は現在のギリシャからインド北西部に及ぶ。
アレクサンドロス大王の埋葬地は古代史の大きな謎の1つだ。当初はエジプトのメンフィスに、後にアレクサンドリアに葬られたというが、彼の墓がその後どうなったかは不明で、そもそも正確な場所も分かっていない。
だがアレクサンドロス大王の親族たちの墓が、大王の物語に新たな光を当てつつある。学術誌「考古学科学ジャーナル・レポート」で発表された最新の論文がターゲットとしたのは、ギリシャ北部ベルギナの古墳群にある「大墳墓」で見つかった人骨だ。ベルギナは古代マケドニア王国の最初の首都アイガイがあったところで、大墳墓を含めて王族の墓所が4つある。
大墳墓は、紀元前4世紀後半頃のものと考えられる3つの大きな墓の集合体だ。発掘は1970年代に行われ、マケドニア王国の王族──アレクサンドロス大王の父フィリッポス2世、大王の息子アレクサンドロス4世、大王の異母兄のアリダイオス(フィリッポス3世)──の墓だと考えられている。だが、それぞれの墓に葬られていたのが誰かについては専門家の間で激しい議論が続いていた。
過去の通説の誤りを正す
「歴史上の重要人物と関係がありそうな墓をめぐるギリシャ考古学における珍しいケース」と、論文は指摘している。
論文の主著者で、トラキア・デモクリトス大学(ギリシャ)のアントニス・バルチオカス名誉教授は「(誰の墓かという議論は)考古学だけで解決できるものではなく、形質人類学でなければ解決できなかった」と、本誌に語った。「古人類学者として、私ならこのパズルを解けると思った」
今回の研究ではギリシャとスペイン、アメリカの専門家からなる研究チームが、発掘された骨を分析するとともに、これまでの考古学と歴史学の研究データを再検討した。
第1墳墓から発掘された中年男性(左)と若い女性の上あごの骨 JOURNAL OF ARCHAEOLOGICAL SCIENCE: REPORTS
その結果、第1墳墓で見つかった男性の遺骨はフィリッポス2世であることが判明したという。この墓には女性と赤ん坊の遺骨も葬られており、研究チームはこれをフィリッポス2世の妻クレオパトラと、生まれたばかりの夫妻の子供だと結論付けた。
これは、フィリッポス2世の死に関する歴史書の記載とも一致する。彼はクレオパトラが出産した直後に暗殺され、クレオパトラと赤ん坊もそのすぐ後に殺されたのだ。
「まず第1に、歴史資料によればフィリッポス2世は片方の目をけがしていた。そして第2墳墓の男性の骨には片目にけがをした形跡があるというのがこれまでの説だった。だから第2墳墓に葬られたのはフィリッポス2世というわけだ」とバルチオカスは語った。だが、第2墳墓の骨にあるといわれていた目の辺りのけがの痕跡は、実際にはないことが最近の分析で明らかになった。定説は誤った根拠に基づくものだったのだ。
「第2に、第1墳墓の男性の足の骨には癒着が見られ、これはフィリッポス2世が片足を引きずっていたとされる点と一致する。第3に、第1墳墓に新生児がいたことも、この墓がフィリッポス2世のものである証拠だ。マケドニア王族の中で、生まれた直後に殺されたことが知られているのはこの(フィリッポス2世の)子しかいないからだ」
「第4に、(合葬されていた)女性の生物学的年齢は18歳で、これはフィリッポス2世の最後の妻クレオパトラと一致する。古代の資料では、生まれたばかりのわが子と共に殺されたのは若い娘だったと伝えられている」
一方で第2墳墓の男性の遺骨からは、生前にけがをした痕跡が見つからなかった。また第2墳墓にも女性が葬られていたが、2人の遺骨は火葬されており、大王の兄アリダイオスの歴史的データと一致する。そこで研究チームは、第2墳墓をアリダイオスと妻のエウリュディケのものと結論付けた。
第2墳墓の主がアレクサンドロス大王の後継者となった兄だったことから、ここで見つかった遺物は元はアレクサンドロス大王の所有物だった可能性もあると研究チームは指摘する。「埋葬者の身元が誰かによって、その(墓の)内容物の解釈は大きく変わってくるだろう」
「例えば、古代の文献の描写や記述を基に、第2墳墓の鎧などの遺物の一部はアレクサンドロス大王のものだったという説を唱える学者もいる。だがそれも、これがフィリッポス2世ではなくアリダイオスの墓でなければ成立しない」と論文は指摘する。
一方で、第3墳墓に葬られていたのは死亡時に10代の少年だったアレクサンドロス4世だという点で、ほとんどの専門家の意見は一致。今回の研究でも、定説を否定するような証拠は見つからなかったそうだ。
アリストス・ジョージャウ(本誌科学担当)
分析の対象となったのは、あごの骨に数本の歯、頭蓋骨の一部に腕や足の骨、いくつかの遺物──それだけだった。だが数十年に及ぶ研究を経て、古代ギリシャのマケドニア王国のアレクサンドロス大王の父や息子の眠る墓について多くのことが分かってきたと考古学者たちは言う。
紀元前336年に即位し、同323年に死亡したアレクサンドロス大王は広範囲にわたる遠征を行い、世界史上まれに見る広大な帝国を造り上げた。その版図は現在のギリシャからインド北西部に及ぶ。
アレクサンドロス大王の埋葬地は古代史の大きな謎の1つだ。当初はエジプトのメンフィスに、後にアレクサンドリアに葬られたというが、彼の墓がその後どうなったかは不明で、そもそも正確な場所も分かっていない。
だがアレクサンドロス大王の親族たちの墓が、大王の物語に新たな光を当てつつある。学術誌「考古学科学ジャーナル・レポート」で発表された最新の論文がターゲットとしたのは、ギリシャ北部ベルギナの古墳群にある「大墳墓」で見つかった人骨だ。ベルギナは古代マケドニア王国の最初の首都アイガイがあったところで、大墳墓を含めて王族の墓所が4つある。
大墳墓は、紀元前4世紀後半頃のものと考えられる3つの大きな墓の集合体だ。発掘は1970年代に行われ、マケドニア王国の王族──アレクサンドロス大王の父フィリッポス2世、大王の息子アレクサンドロス4世、大王の異母兄のアリダイオス(フィリッポス3世)──の墓だと考えられている。だが、それぞれの墓に葬られていたのが誰かについては専門家の間で激しい議論が続いていた。
過去の通説の誤りを正す
「歴史上の重要人物と関係がありそうな墓をめぐるギリシャ考古学における珍しいケース」と、論文は指摘している。
論文の主著者で、トラキア・デモクリトス大学(ギリシャ)のアントニス・バルチオカス名誉教授は「(誰の墓かという議論は)考古学だけで解決できるものではなく、形質人類学でなければ解決できなかった」と、本誌に語った。「古人類学者として、私ならこのパズルを解けると思った」
今回の研究ではギリシャとスペイン、アメリカの専門家からなる研究チームが、発掘された骨を分析するとともに、これまでの考古学と歴史学の研究データを再検討した。
第1墳墓から発掘された中年男性(左)と若い女性の上あごの骨 JOURNAL OF ARCHAEOLOGICAL SCIENCE: REPORTS
その結果、第1墳墓で見つかった男性の遺骨はフィリッポス2世であることが判明したという。この墓には女性と赤ん坊の遺骨も葬られており、研究チームはこれをフィリッポス2世の妻クレオパトラと、生まれたばかりの夫妻の子供だと結論付けた。
これは、フィリッポス2世の死に関する歴史書の記載とも一致する。彼はクレオパトラが出産した直後に暗殺され、クレオパトラと赤ん坊もそのすぐ後に殺されたのだ。
「まず第1に、歴史資料によればフィリッポス2世は片方の目をけがしていた。そして第2墳墓の男性の骨には片目にけがをした形跡があるというのがこれまでの説だった。だから第2墳墓に葬られたのはフィリッポス2世というわけだ」とバルチオカスは語った。だが、第2墳墓の骨にあるといわれていた目の辺りのけがの痕跡は、実際にはないことが最近の分析で明らかになった。定説は誤った根拠に基づくものだったのだ。
「第2に、第1墳墓の男性の足の骨には癒着が見られ、これはフィリッポス2世が片足を引きずっていたとされる点と一致する。第3に、第1墳墓に新生児がいたことも、この墓がフィリッポス2世のものである証拠だ。マケドニア王族の中で、生まれた直後に殺されたことが知られているのはこの(フィリッポス2世の)子しかいないからだ」
「第4に、(合葬されていた)女性の生物学的年齢は18歳で、これはフィリッポス2世の最後の妻クレオパトラと一致する。古代の資料では、生まれたばかりのわが子と共に殺されたのは若い娘だったと伝えられている」
一方で第2墳墓の男性の遺骨からは、生前にけがをした痕跡が見つからなかった。また第2墳墓にも女性が葬られていたが、2人の遺骨は火葬されており、大王の兄アリダイオスの歴史的データと一致する。そこで研究チームは、第2墳墓をアリダイオスと妻のエウリュディケのものと結論付けた。
第2墳墓の主がアレクサンドロス大王の後継者となった兄だったことから、ここで見つかった遺物は元はアレクサンドロス大王の所有物だった可能性もあると研究チームは指摘する。「埋葬者の身元が誰かによって、その(墓の)内容物の解釈は大きく変わってくるだろう」
「例えば、古代の文献の描写や記述を基に、第2墳墓の鎧などの遺物の一部はアレクサンドロス大王のものだったという説を唱える学者もいる。だがそれも、これがフィリッポス2世ではなくアリダイオスの墓でなければ成立しない」と論文は指摘する。
一方で、第3墳墓に葬られていたのは死亡時に10代の少年だったアレクサンドロス4世だという点で、ほとんどの専門家の意見は一致。今回の研究でも、定説を否定するような証拠は見つからなかったそうだ。
アリストス・ジョージャウ(本誌科学担当)