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30秒以内に検知...受精卵で父親由来のミトコンドリアが「消される」仕組みが明らかに

ニューズウィーク日本版 2024年3月8日 21時30分

<群馬大の佐藤美由紀教授、佐藤健教授と徳島大の小迫英尊教授らによる研究チームが、線虫の体内を動画撮影し、受精直後に父性ミトコンドリアがオートファジーで選択的に食べられて除去される様子を確認。これにより、ミトコンドリアのどのような謎が解明されたのか。「オートファジーの仕組み」もあわせて紹介する>

ミトコンドリアは、ほぼ全ての真核生物の細胞中に存在する細胞小器官(オルガネラ)の1つで、細胞にエネルギーを供給する重要な役割を担っています。内部には細胞の核に含まれるDNAとは別の、独自の遺伝情報を持つDNA(ミトコンドリアDNA)を有しており、ある程度は自立的に細胞内で分裂して増殖できます。そのため、ミトコンドリアの起源は、進化の初期に細胞内に好気性細菌が取り込まれて共生したものであるという説が有力です。

生物個体の遺伝情報を担う核のDNAは、父親と母親からコピーされてそれぞれ1セットが伝わり、2セットで1組となっています。一方、ミトコンドリアDNAには同じコピーが多数存在しており、例えばヒトでは細胞あたり103〜104コピーも含まれています。しかも、その全てが母親由来の遺伝、つまり「母性遺伝」という特徴があります。

では、なぜ、父親由来のミトコンドリアDNAは消えてしまうのでしょうか。

群馬大・生体調節研究所の佐藤美由紀教授、佐藤健教授と徳島大・先端酵素学研究所の小迫英尊教授らによる研究チームは、モデル動物の線虫を用いて、受精後に父性ミトコンドリアが入ってきたことを瞬時に検知し、「オートファジー(細胞の自食作用)」によって分解・除去されている様子を動画撮影しました。研究成果は、オープンアクセスの科学学術誌「Nature Communications」(2月17日付)に掲載されました。

発生初期に受精卵をリアルタイムで撮影した動画は、ミトコンドリアのどのような謎を解明したのでしょうか。日本人がノーベル賞を受賞した「オートファジーの仕組み」についても概観しましょう。

『パラサイト・イヴ』で知れ渡ったミトコンドリア・イブ説

ミトコンドリアDNAは、性をもつ多くの動植物で必ず片親(大多数は母親)からのみ遺伝します。

1987年、カリフォルニア大バークレー校の分子生物学者アラン・ウィルソン博士らは、できるだけ多くの民族を含む147人のミトコンドリアDNAの塩基配列を解析しました。その結果、約15万年前のアフリカのある女性が、現在の人類の全てのミトコンドリアの「母親(起源)」であるとの仮説を発表しました。この女性は、旧約聖書のアダムとイブになぞらえて「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれています。

ミトコンドリア・イブ説は、瀬名秀明さんのSF小説『パラサイト・イヴ』(1995年、角川書店)によって、一般にも広く知れ渡りました。細菌共生説とミトコンドリア・イブ説に基づいて、架空の「ミトコンドリアの反乱」を描いた物語は100万部を突破し、映画化やゲーム化もされました。

ミトコンドリアがなぜ母親由来の遺伝情報のみを持つのかについては、かつては受精時に精子の頭部だけが卵子に入り、ミトコンドリアを含む中片部や尾部は入らないからであると説明されてきました。

けれど、これはチャイニーズハムスターなどの一部の生物に見られる特殊なケースで、90年代後半には、多くの生物で精子のミトコンドリアが受精卵に侵入することが確認されました。

では、どうやって父親由来のミトコンドリアDNAは「消える」のでしょうか。後の研究で、マウスやウシなどの哺乳類で、発生の初期段階で父親のミトコンドリアDNAが徐々になくなっていく観察が報告されましたが、具体的な仕組みはなかなか分かりませんでした。

今回の研究論文の責任筆者である佐藤美由紀教授は、10年以上前からオートファジーに注目して、父性ミトコンドリアDNAの消失の説明を試みています。

オートファジーとは、ほとんどの真核生物が持つ、細胞内の不要物を分解する仕組みです。排除したい細胞内の一部(タンパク質や細胞内小器官)を膜で取り囲み、消化して取り除きます。大隅良典・東大特別栄誉教授は2016年、この仕組みの解明によりノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

生物はオートファジーによって、細胞内での異常なタンパク質の蓄積を防いだり、細胞質内に侵入した病原体を除去したりしています。このような生体の恒常性維持に関与しているだけでなく、アポトーシス(プログラムされた細胞死)や細胞のがん化抑制にも寄与していることが最近の研究で明らかになってきています。

生きた線虫の体内を動画撮影した結果

佐藤教授の研究チームは11年、土壌に生息する線虫C. elegans(Caenorhabditis elegans)を用いて、受精卵において精子由来の父性ミトコンドリアが、オートファジーによって選択的に食べられて細胞内から除去されることを明らかにしました。チームはこの現象を「アロファジー(allophagy:非自己[allogeneic]オルガネラのオートファジー)」と名付けました。研究成果は科学学術誌「Science」に掲載されました。

さらに18年には、アロファジーに必須な因子として、ALLO-1とIKKE-1というタンパク質を発見しました。ただし、それぞれのタンパク質が父性ミトコンドリアを排除にどのような役割を果たすのかは未解明でした。

本研究では、ALLO-1とIKKE-1の機能を解析するために、生きた線虫(C. elegans)の体内を動画撮影しました。C. elegansは身体が透明なため、体内の観察に適しています。その結果、受精直後に父性ミトコンドリアがオートファジーで食べられる様子を、世界で初めて詳細に捉えることに成功しました。

まず、ALLO-1の解析を進めると、ALLO-は1つの遺伝子から2種類のタンパク質、ALLO-1aとALLO-1bを作っていることが分かりました。この2つのタンパク質の配列の違いは最後の短い配列だけですが、主にALLO-1bが父性ミトコンドリアの分解を担っていることが分かりました。

次に、ALLO-1bはどの時期に、どのような方法で父性ミトコンドリアを分解しているのかを確認するために、線虫の受精をリアルタイムで動画撮影しました。すると、ALLO-1bは卵子に入ってきた精子由来の父性ミトコンドリアを受精後30秒以内に識別し、父性ミトコンドリアに向かって集まっていくことが分かりました。

一方、IKKE-1の構造は、哺乳類において機能が低下した不良ミトコンドリアをオートファジーで除去する際に働く「TBK1/IKKε」というタンパク質によく似ています。今回の実験では、線虫ではIKKE-1の遺伝子が欠けていると、ALLO-1bの集まり方が弱くなり、オートファジーが正常に起こらないことも明らかになりました。

つまり、線虫ではALLO-1bがまず父性ミトコンドリアを識別し、さらにIKKE-1の働きによって父性ミトコンドリア周囲に一定レベル以上のALLO-1bが集まることで、オートファジーが開始されることが示唆されました。

これらの結果から、研究チームは父性ミトコンドリアにはALLO-1bで識別される母性ミトコンドリアとは違う目印が付いている可能性に注目しており、今後はこの目印を解明することでミトコンドリアの母性遺伝の仕組みに迫れるのではないかと考察しています。

さらに、IKKE-1のアロファジーにおける役割とTBK1/IKKεとの類似性から、父性ミトコンドリアの除去におけるオートファジーの仕組みは、哺乳類での不良ミトコンドリア除去の仕組みに類似していると予測しています。

ミトコンドリアの機能が低下すると、エネルギーを供給できなくなるために、脳、心臓、骨格筋といった身体でもとくに多くのエネルギーが必要である器官に異常が生じて、重篤な疾患(ミトコンドリア病)につながることが知られています。

本研究は、母性遺伝の謎の解明だけでなく、不良ミトコンドリアを除去し正常に保つ仕組みの解明にもつながることが期待されます。

ちなみに線虫では、オートファジーが正常に起こらない場合、父性ミトコンドリアは幼虫期頃まで分解されずに残りますが、分裂も融合も増殖もせずに当初の形を保つと言います。つまり、残っていても成長にはほとんど影響しないようです。

さらに他の生物種のミトコンドリアDNAの研究から、父親由来のミトコンドリアDNAを除去するためのメカニズムはオートファジー以外にもいくつか存在することが分かっています。たとえば、ショウジョウバエでは、精子形成時にミトコンドリアDNAが分解されて消失します。マウスでは、精子形成過程でミトコンドリアDNAの減少が起きるとともに、受精後に分解されるための目印(ユビキチン)が付加されます。

生物はなぜ多様な手段を使って、何重にも保険をかけて、頑なにミトコンドリアDNAの母性(片親)遺伝を保とうとしているのでしょうか。科学研究では、謎が一つ解明されると新たな謎が生まれます。次は、一歩進んだどのような新しい知見が得られるのか楽しみですね。

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